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187 97式戦車の評価と言うか戦績というかは酷いもんですが、開発当初の97式および改の性能はそんなに低いもんだったのでしょうか?ドイツの3号は最初は37mmで頑張ってたし、4号も24口径だったし、この辺が相手だと97式の57mmや47mmで対抗できたんではと思います。
taka

  1. いや、開発当初の97式は列強標準の性能ですよ。歩兵支援任務が重点だっただけで。
    アレは97式=1937年の性能でM4なんかに挑んじゃったのがそもそもの間違いなんです(M3スチュアートについては向こうは一応対戦車戦闘考慮してたから、多少情状酌量)。
    そして無理に「改」だの1式だのを開発しちゃったのが第2の罪。もう20tない「軽」戦車に中戦車としての役割を負わせたんだから、そりゃあの戦績も無理ないわ。
    勝井

  2. チハをクサすのは素人でも出来ます。でもどう負けたか、どんな戦車戦だったか、どこの本を読んでも曖昧です。それにチハ車の挙げた戦果、M4撃破話など実は飲み屋三軒分くらいあります。今度、行きましょう。
    BUN

  3. いいですねぇ、ひたすらチハを話題に飲みあかすんですか。
    議論ボードにゃもったいない。
    勝井

  4. ホントゥですね。三軒、チハだけで行きますよ。いいんですね・・・・。
    BUN

  5. 勝井さん、是非録音しておいてくださいっ!!

    私は下戸なんで3軒も付き合ったら死んでしまうんで・・・(;_;)

    SUDO

  6. いや、僕も下戸です。
    ビールジョッキ3杯も空けたら寝てしまう…
    まあ、1軒あたりビール1杯ちびちび飲りながら、かな。
    (不許可なら、僕も死んでしまう−苦笑)
    勝井

  7. って、もはやチハ談義じゃねえ…
    takaさんゴメンね。
    勝井

  8.  九七式の性能は開発当時は世界水準であったと言いきれます。ただノモンハンで対戦車戦闘に日本戦車が
    余り得手ではない事が立証されたにも関わらず、九七式改の制式化に時間をとったこと、その後の戦車の
    実用化に遅れを取ったのが日本戦車隊の悲劇であったと言えましょう。
    (九七式改はアメリカ/ドイツ戦車に比べて性能的には一年遅れを取っているだけですから)。
    なお、BUN閣下も言われている通り八九/九七式はノモンハン等で結構な対戦車戦闘の戦果を
    上げているのもまた事実です(戦車兵の神業による所大ですが)。
    大塚好古

  9. チハ車の空冷直噴ディーゼルの優秀さはよく語り継がれていますが、あの独自の転輪とサスペンション構造も、同時代の他国戦車に比べれば同等どころか秀でた点が多いと思います。ただ悲しむべきは工業力の遅れ…単に主砲威力や装甲厚にとどまらず、重い戦車を運用し得ない橋梁(橋の渡れん戦車はただの鉄塊)・鉄道・港湾整備力(戦車重量をこなせるクレーンが無けりゃ船にも貨車にも載せられない)の限界が日本戦車の足枷になってしまいました。
    トラックや軍馬の数さえ足りず、野砲を分解し歩兵が肩にかついで移動しているような軍隊に、スペアパーツひとつが数百キロもあるような戦車を効率的に運用することは望むべくもありません。そもそも前線まで持ってゆけないし、例え持って行ったとてすぐに弾薬・燃料・部品不足でヘタり込んでしまうのは目に見えています。
    自力で移動できる軍艦や飛行機と異なり、膨大な支援器材が無ければ前線運用できない戦車という兵器の性格上、国の底力の無さが露呈してしまったのです。単に用兵者を「先見の明がなかった」とか、まして戦車設計者を「ブリキの棺桶を作りやがって」と責めるのは酷というものだと思います。
    ささき

  10. ありがとうございました。飲みにもいきたいですね。
    taka


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