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車輛コーナーは書きこみが少なくて淋しいので、下らん質問でちょっとお邪魔させていただきます。もういっちょ、日本戦車について。 四式中戦車の砲塔後部の機銃の装備位置ですが、チト変だと思いませんか?何であんな変な位置にあるのでしょうか?砲塔内の砲弾やら無線機のアレンジであんな場所に? そもそも、八九式以降の日本の主要な戦車は何故砲塔後部に機銃があるのか?主砲を敵に向けながら、後方に機銃掃射する必要性はかなり低いと思います。前方の敵を掃射するのに砲塔を後ろ向きにしたら、装甲の弱い後面をさらすことになるのに。敵歩兵や軟火点の掃射には主砲同軸機銃を使うのが世界の常識だったのでは。何故日本にはその発想がなかったのでしょうね。 いま手元にまったく資料がないのですが、二次大戦の主要参戦国の主力戦車で砲塔後部に機銃を装備したものはKV-1くらいしか思い浮かびません。KV-1はSMKの末裔だから多砲塔戦車の思想が尾を引いているのか? 変な質問ですみません。突っ込み大歓迎です。 Sampon |
大抵の戦車にはピストルポートとかが妙なところにあるでしょ
あれと発想は同じなんではないかと思います
SUDO
BUN
ませんか?(それに車体には前方銃があるんだし)
やっぱり死角になる車体後方の対歩兵対策だと思うのですが?(文献で調べた訳
じゃなくて単なる想像ですが)
私もピストルポートと同じ発想だと思っていました。
佐藤利行2000
しかし、装甲の厚いところがあったら(笑)待ってますから回して見せて欲しい。
でも、この件はちゃんと調べなきゃならないかもしれませんね。
BUN
「日本の中戦車の装甲ってチハ車の頃までは前/後面で厚さ一緒じゃん」
しかも砲塔と車体の装甲厚が(車体後面の装甲が若干薄い以外は)これまた同じ
厚さ(イギリスの初期の巡航戦車も一緒ですね)
チハ車や初期の巡航戦車の世代は、まさに全周に対して等しく防御力を振り分け
ている訳ですが、この防御配分の決め方が砲塔に後ろ向きに機銃を付けた考えの
ヒントになりそうです。
砲塔前面が一番被弾率が高いってのは第二次世界大戦の本格的な対戦車戦を見た
思い込みですね。
チハ車の世代はそれ以前の発想で作られている事を考慮すべき・・・か。
佐藤利行2000
肉迫歩兵対策というのはきっとそうだとは思ってましたが、では重量と工程を増やしてまでツィンメリットコーティングを施すほどに吸着爆雷を警戒したドイツ戦車に、なぜ砲塔後部機銃がないのか?
私の考えでは、戦車が単車で敵歩兵に囲まれるという状況は想定し難く、味方戦車に敵兵が取り付きそうになったら、後続車の前方銃で撃てばよいという考えが日本以外にはあったのでは。ところが日本はビンボーであったために戦車の数がそろえられず、「味方戦車一台に敵兵大勢」という状況が十分ありえたのではないかと、いま考えつきました。こういうビンボーな発想が八九式からチト車までずっと尾を引いていたのかな、と。
おまけ:いま思い出したのですが、確かチホ車って砲塔斜め前方に機銃があったんじゃなかったでしたっけ?(手持ち資料なし)そんな位置に機銃をつけた戦車って世界唯一では?
Sampon
ささき
砲塔内に大型化する砲弾を迅速に装填するためのスペース(即用弾収納庫も含む)を確保し、かつ砲塔の大型化を避けるには後部機銃が邪魔だったためあっさりと割り切ってしまったのでは。一方、ソ連の重戦車ではJS3まで砲塔後部機銃を装備しているのは、そこまで割り切れなかったからだろうか。
ところで、97式中戦車でも砲塔後部機銃を外しキャップでふさいでいるものが見られます(例:ガダルカナル戦で米軍に捕獲された独立第一戦車中隊所属のもの グランドパワー「第二次大戦の日本軍用車両」60ページ)。砲塔が大きいソ連の重戦車ならともかく、後部砲塔機銃は主砲装填作業にとってかなり邪魔だったと思います。
なお、質問中の4式中戦車とは4式軽戦車(ケヌ)のことでは(砲塔は57ミリ砲型97式中戦車のもの)? 中戦車の場合、三式以降は砲塔銃がついていません。
アリエフ
九七式戦車が砲塔を廻して砲塔後部機銃を前部に向けて乱射しつつ英軍の防衛戦に突っ込むシーンがありますので、
一応そういう用法が為されていたのでは無いかと想像します。
大塚好古
ますけど。
九七や八九式の砲塔は2人制で位置的にあの機銃は砲手が担当すると思います。
で、砲を使う必要がある相手(対戦車砲やトーチカや家屋に籠もった敵兵を射撃
する時)は砲手は大砲で射撃。
塹壕の敵兵を掃射する様な機銃の方が適している相手には砲手は砲塔後部の機銃
で射撃(指示は車長が出すのでしょうけど)
使い方としては同軸機銃みたいなもんだけど、日本の戦車砲は操作を砲手の肩当
て式の人力操作にこだわって同軸機銃が付けられないでしょう?、だからあんな
形式になったのかな?と想像するのですけど。
佐藤利行2000
ご回答ありがとうございました。私が話題にしていたのは、四式中戦車「チト」です。今まで公表されている写真は前方からのものばかりで確認できませんが、私が見たことある図面では、砲塔の左後方に7.7mm機銃が装備されていました。図面の真否を確認するには、浜名湖から引き上げるしかありませんね。
Sampon
アリエフ
アリエフ
主砲同軸になってない機銃ってのは
大抵の場合「ボールマウント」ですね
つまり、それなりの射界を持ってるのです
もし、砲塔を旋回して射撃するなら同軸機銃や固定機銃で良いのです
ボールマウントするのは主砲運用に支障をきたさない範囲で
ある程度の射界を持つことを要求されたからなのではないでしょうか
やはり、主砲の向いていない方向への脅威対象へ
ある程度の対応能力を持たせたものだと思うのですが?
それが重脅威なら砲塔を向ければよいし
機銃で対処できるなら、それで応戦する
そんな考え方の結果なのではないかと思います
ソ連の重戦車の場合
性格上、戦場で相互支援が受けられない可能性が
あの盲腸のような、後部機銃が残った理由だと思うし
日本戦車も、性能はともかく、数量的には似たような状況を想定したのでは?
勿論、投入数量の確保と同軸機銃を備えるほうが現実的なので
他国では消滅する方向になったのではないかと思います
SUDO
私見では、ソ連は「ヘンテコ戦車の隠れた宝庫」というよりは、堂々ヘンテコ戦車王国だと思うのですが。多砲塔重戦車を正式配備して二次大戦で運用したのはソ連だけでは?ドイツもNbfzを北欧作戦で数台使ってますが、あれは廃品利用みたいなもんで。T34以来、ソ連もすっかり更正してまともな戦車しか作らなくなったのは、とっても残念です。
Sampon
BUN
http://www.shangrila.co.jp/plystation/nibi/sensya/nibisen_01.htm
写真を探してみたらこんな感じ。クビンカに展示されている車両です。カッコイイ!
http://members.aol.com/borod1812/kubin40.jpg
こんなにカッコイイ軽戦車 T-18 はしっかりガレージキットも出てます。箱絵↓
http://win.sura.com.ru/~tam/ENGLISH/sk/mc127.gif
これだけも凄いのに、この車体に 47mm やら 76mm を載せた自走砲まであります。
http://win.sura.com.ru/~tam/ENGLISH/sk/ca45.gif
カッコよさ倍増でドイツのグリーレもまっつぁお。やっぱりソ連は戦車王国ですね(^_^;)ちなみに私は BT7 が「キャタピラを外せば転輪で走行できる」という話を最初に
聞いたとき、「絶対嘘だ」と思いました。
ささき
Sampon
アリエフ
Sampon