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旧陸軍の3式中戦車の砲塔材質は、特殊鋼でなく、なま材に近い鋼で造られていたと、以前何かで読んだ記憶があるのですが、実際はどうだったのでしょうか。 SASA
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- 表面硬化処理をしていなかったんだっけ?
SUDO
- たしか司馬遼太郎氏の手記で、97式の装甲にはヤスリが立たなかったのに、3式の装甲はヤスリで簡単に削れるので驚いた、という話だったと思います。厚い(といっても50mm)装甲板は全面に焼き入れするとかえって割れやすくなるので表面のみ焼き入れるのですが、3式の少なくとも一部はこの処理を省いて生産されたらしいです。
ささき
- この話は前にも取り上げられていますが、非常に胡散臭い話だと思います。ヤスリが・・・という話の真偽もさることながら、メディアに取り上げられるごとにつく説明についても、それもどうかな、と思います。焼き入れは50mm程度の鋼板に深く施しても装甲として問題が出るとは限りません。かえって、例えば独では表面に浸炭処理をした装甲板の方が破片による被害が大きかったとの説もあり、一概には言えないのです。また、特殊鋼を使用する理由はまさにこの熱処理のしやすさにあります。
結論としては、この話、よぉっく洗い直した方がいい、ということです。
BUN
- 他のHPに、3式中戦車には衝撃吸収を狙い、柔らかい鋼材を使っていたということが書いてあったけど本当なのだろうか。しかし、いくら物資が乏しい時代と言えども最新戦車に軟鋼板を使ったとは思えないのだが。
アリエフ
- 50mmの装甲で衝撃吸収も何もないんじゃないかと思います。軟鋼製ではとの件ですが、どちらにしても鋼材を熱処理をしないことは考えられないので、焼き入れを施した装甲板であることはほぼ確実なのではないかと思います。で、ヤスリが立つのかどうかとのことですが、装甲に使われる鋼板であっても、通常、研削は可能です。たから九七式のヤスリが立たない装甲というのは本当に立派だなあ、と思いますね。
BUN
- 三式中戦車の装甲の件ですが、ある本で次のように書いてあるのを見ました。『当時、固い鋼板で弾丸に対抗するよりも、弾丸の勢いを受け止める柔らかくて「粘り」のある鋼板が開発され、外国の戦車に採用されつつあった。三式中戦車も同様に「粘り」のある鋼板を使っていた。スターリン重戦車やT−34、そしてシャーマン戦車も装甲はやすりで削れたのである。』ということはやすりで削れなかった九七式とはまったく違う材質で出来ていたんですね。
山城扶桑
- 97式の装甲は鍛造の鋼鈑の表面に浸炭したものであるのに対し、戦争中期以降の各国の戦車の装甲は生産性と被弾径始(字が違うかな)を重視した鍛造品。その辺の差では?
要は多少の表面硬化処理をしても無駄ではないか?3式の場合は、単なる軟鋼だったという説もありますが。
itou
- 繰り返しますが、恐らく九七式の装甲にはヤスリは立ちます。また、三式に至ってというか、一式の車体が開発された時期に柔らかく粘りのある材質が開発されたのではおそらくありません。どっちにしても熱処理をしなければ鋼は使えないので、ほぼ確実に焼き入れによる硬化処理は施されていたと見るべきだと思います。シャーマンもスターリンもヤスリはかかる、というのはその通り、健全な話ですが、九七式はヤスリが、というのはどういう発想なのかはかりかねます。(誰もいないときにあそこで実験してみたいけれど、もはや「御神体」なのでばちがあたりそうですね。)
BUN
- 戦争中期以降のは「鋳造品」と書きたかったのを間違いました。
ところでどなたが浸炭処理した装甲面とヤスリの硬度をご存じの方いらっしゃいます?それがわかれば問題は簡単そうですが。
itou
- 装甲の標準的な硬さは多分、ブリネルで500HBくらいではないかと思われます。これ以上硬いと脆くなるだけで意味が無いとされています。スターリンやパットンの丸い鋳物の砲塔も多分、熱処理を前提とした鋳鋼だと思うんですが。
37mmクラスの砲弾に対抗したと思われる一式の装甲は、やはり推測ですが、クロムモリブデン鋼か、その代用材であるマンガンクロム鋼、(確かイ234等とよばれていたもの)ではないかと思います。鉄橋とかじゃないんで、軟鋼製ということはないんじゃないかな。想像、推測ばかりですみません。
BUN
- んじゃ、皆さん御存じかと思いますが「宮崎駿の雑想ノート」の後ろの対談に
でてくる「三式は装甲材不足の為普通の鉄で作られた」との戦時中
装甲を作ってた人の話はどうなんでしょうか?うそなんでしょうか?
P-kun
- 雑想ノートの決まり文句は「この記事に資料的価値はありません。」ではなかったかな?たとえば、同じく特殊鋼で作られていた鉄兜は終戦まで材質は変わっていないはずです。また、三式の写真をよく見るとわかりますが、車体は一式の車体上面ハッチを溶接で塞いでから、ターレットリングを拡大しています。ということは、完成した三式の多くは、結構早い時期(十九年中)に車体が生産されていたのです。しかも、九七式の生産は十九年に入っても続行されていたのですから、両車の生産はは時期的に重なるものもあるわけです。末期的な代用材料の導入は二十年以降に見られますから、材質の変更は無かったのではないでしょうか。
BUN
- よし、この件、年が明けたら、私は前線(南方です)に出て確認してこよう。ヤスリ持ってくぞ。
BUN
- ↑って三式って南方に落ちてるんでしょうか(;_;)
レポート待ってます(爆)
SUDO
- そうそう
「帝国陸海軍の戦闘車両」に三菱下丸子工場での生産風景が有りますが
ハッチの溶接は確認できません
って言うかターレットリング周囲は別の物を新規に貼り付けた感じ
一式と三式の生産切り替えはスムーズだったそうですから
ハッチを溶接して、ターレットリング拡大なんて方法より
天板だけ取り替えちゃう方が合理的だったように思えます
試作車だったら判るんですけど
実車も模型も見たことがないので、全部憶測なんですけどね(^^;;
SUDO
- SUDOさん!夜更かしで視力が低下しているんですよ。お互い早く寝て体力を回復しましょう。その写真の2両目、ターレットリングの4時から5時にかけての溶接跡が第二砲手用のハッチです。
BUN
- むう、天井板だと思っていた(;_;)
やはり年寄りの夜更かしはイカンなあ(;_;)
SUDO
- 軟鋼でないと溶接できなかったからではないでしょうか。
1式は車体のあちこちで溶接してますし(写真で見る限りですが)、
3式も砲塔にリベットは余り見えないので、恐らく溶接を多用しているのでしょう。
高張力鋼の溶接は現在でも難しい部類に入るので、
溶接技術の貧弱だった当時の日本としては、
鋼材の等級を落とさないと溶接できなかったのかもしれません。
(ああ、ほとんど推測文だらけ。安いなぁ)
それはそうと、先日サイパンで95式と97式の残骸を拝んできましたが、
ぞっとするような安い構造をしていて驚きました。
(板と方材とをリベットで止めているだけ。板も10mm前後が多かった)
あれじゃ鉄の棺桶と言われても仕方ないです。
hoge
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