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第二次世界大戦時の米英独の機械化歩兵/自動車化歩兵/装甲擲弾兵は、 歩兵降車後のAPCをどのように運用していたのでしょうか。 やはり、操縦者と銃手が残って分隊支援火器として火力支援したのでしょうか。 しかし、歩兵は入れても車両は入れない地形もあるでしょうから、 いつも追随はできないですよね。 中隊本部から独立した指揮を受けて、動いていたのでしょうか。 sharman
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- 歩兵降車、展開後のSPWは普通後方に下がるものだったようです。また、英軍のカンガルーは輸送部隊として独立して運用されることが多く、降車後は他の部隊の輸送に当たっていました。更に米軍などはアルデンヌ戦の後期に山岳地形の為、戦車部隊を戦車から降ろして歩兵として運用した為に乗り捨てられたM4が大量に写った写真が残されています。ハーフトラックもおして知るべし。
BUN
- このころのAPCというとドイツはSdkez250,251として、米軍はM3か、じゃ英は?。でも Sdkez250,251はともかくM3では最前線で火力支援するにはちょっと心許ないか。
っそ
- ありがとうございました。なるほど、後方に下がるか、うち捨てられるかでしたか。すると、ドライバーとガンナーははなから歩兵分隊の員数外なのでしょうね。また、M3APCは、.50重機関銃のプラットホームとして(やろうと思えば)かなり強力な火力支援ができたのではないでしょうか。米軍の傑作車両の1つであると思います。
質問者
- ちなみに、英軍もM3APCを大量に使用していました。偵察小隊はキャリアを使用していたようですが、通常の歩兵小隊に比べて小振りな編成になっております。
質問者
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