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旧陸軍の軽戦車は他国の装甲車に当たることについてどうおもいますか?
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- 95式や98式軽戦車は騎兵部隊用の7t戦車で、他国なら偵察用の軽戦車に相当します、だから装甲車とはちと違うでしょう。(単純に重量でみれば、まあそうなんですけどね・・・ただ設計コンセプトとしてはあくまで戦車)
- 戦車を戦場に届けて活躍させるためには、その重量をこなしきれる港湾・鉄道・架橋の整備能力が必要です。前線でメンテナンスを続けるにも部品を運ぶトラックやエンジン・変速機を積み換えるクレーンなどの機材が必要です。日本陸軍にはこれらの能力・機材が決定的に不足していました。戦車を軽く作ったのは資材をケチッたのでも兵士の生命を軽んじたでもなく、軽く作らなければとても前線で扱いきれないという国力の事情があったのだと思います(ささき)
- ヨーロッパ戦域での過酷な状況では出番の無かったM3スチュアート軽戦車が太平洋戦域では、日本の中戦車より装甲、攻撃力、機動性、信頼性等全ての点勝っていたというのが悲しい。ろ獲品のM3軽戦車が日本軍最強戦車として重宝されたしね。
- M3は日本の基準では立派な中戦車ですね。あと欧州戦線でもロシアからアフリカまで十分に活躍しています。敵戦車が少なかったからで、例えばロシア戦線の北半分には全くと言っていい程にパンター戦車は配備されていません。M3は有効だったのです。
- でもM3(軽)はヨーロッパでは最前線にはほとんど配置されなかったとか。ところで便乗質問。なんで中戦車と軽戦車に何で同じM3の名前を付けたんだろう?ややこしい。
- 後期にはさすがに旧式化し、主に後方の警戒任務などに少数が使用された、と、思ったら大間違いで、ノルマンディにもスチュアート(M5も含みます)は何と1000両以上が参加しているのです。終戦までその姿は消えることがありませんでした。だから、後継としてM24程度のスペックの戦車が配備される余地があったのでしょう。型式についてはM3は軽戦車3型といった意味、中戦車3型=M3もあるわけです。
- ↑面白い!ひさびさのヒット!もっと知りたい。
- そ、そうかな。ちなみに45年3月の中央ヨーロッパの戦線には2059両の軽戦車が約15個師団にわたって配備されています。この数字にはM24も含まれますが、半数以上はスチュアートと考えて自然と思われます。スチュアートは姿を消すどころか多分、増えているのです。
- ただ枢軸側の機甲戦力や対戦車能力が日増しに弱体化していったのですから配備数だけで過大評価は禁物です(仮にあの時期に米ソ対決などとなれば軽戦車が活躍する場面など無いでしょう)、味方の優勢に助けられて小回りの効く扱いやすい補助車両として重宝されたに過ぎないと思います(砲塔を取っ払って「簡易装甲兵員輸送車」として使われた車両も多い筈です(「カンガルー」って奴ですね)、そいつらも数に入っていません?)
- 結局、主力の中戦車がしっかりしていてこその軽戦車ですね。(自走砲とか高速牽引車とか派生型が色々と作れて便利な車両とは思うけど)
- そう、連合軍の戦車の海の中には相当数の軽戦車が含まれていて、そこそこ活躍の場があったと言うことなのです。ソ連軍ではよく独軍の報告でT34と誤認されるT70等もその口でしょう。それに米軍は装甲車両による歩兵支援を重視していたこともこれらの軽戦車の存在理由でしょう。
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