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フィリピンで戦った戦車第十連隊の名簿を見ると、97式改と思われる中戦車の乗員は、車長、一番砲手、二番砲手、通信手、操縦手の5人となっています。97式改は4人乗りのはずなのですが、後期は一式のように5人乗車だったのでしょうか?それともあまり考えられませんが戦車第十は一式装備なのでしょうか?
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- 戦車マガジン別冊「帝国陸海軍の戦闘用車両」P129には「ルソンとレイテの防衛にあたった戦車第二師団には九七式中戦車改とともに一式中戦車が装備されていた」という記述がありますが、第十連隊がその所属かどうか私には全くわかりません。
- 戦車第2師団は、戦車第6連隊、同第7連隊、同第10連隊、機動歩兵第2連隊、機動砲兵第2連隊等からなります。という事は、結論として戦車第10連隊は97式改と1式の混成だったという事になりますね(3人よれば文殊の知恵/EOS)
- ↑間違ってますね。戦車第10は全部1式という可能性もありますよね(また自粛突入か?/EOS)
- 全部一式。面白い。EOSさん遠慮なく御説を展開してください。
- いやいやなんせ思いつきなんでね。正直この辺の戦車関係はあんまり詳しくないんで、自力でこれ以上の怪説の披露は無理ですね。という訳であんまり期待されても困っちゃう(EOS)
- 1式の生産開始は通説より大分遅く、ほとんど3式と並行生産された様な気がするんですよ。終戦時の配備状況とか見ると。3式の方が多い位だし。だから、フィリピン戦にはまず、間に合わなかったのではないかと考えています。
- 確か昭和19年からだった筈です>一式中戦車の生産
- 残された写真を見る限り、三式中戦車は中隊ごと装備された形跡もあるのですが、一式は中隊長車として砲戦車中隊を除く九七式装備の中隊に配備されただけなのではと思います。こんな配備状況では生産は一九年末か、二〇年に入ってからなのでは、とも、三式との並行生産とも考えられませんか? BUN
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