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アイオワ級戦艦には一時期だけ核砲弾が制式化されていたそうですが、(1)1門あたり何発づつ搭載されていたのでしょうか?(2)斉射の演習等は行われたのでしょうか?また、(3)核砲弾はどのような目標に向けて発射することが想定されていたのでしょうか?ソビエト戦艦に撃ち込むつもりだったのか、陸上陣地等に撃ち込むつもりだったのか、気になります。ご教示いただければ幸いです。 未明2 |
- "Battleships:United States battleships,1935-1992"
by William H Garxke,Jr. & Robert O Dulin,Jr.,Naval Institute Press,1995.
の解説によりますと、原子砲弾Mk23通称"Katie"は、1953年に開発が始まり、
1956年に完成して、50発ほどが製作された。威力は15〜20kt相当。
アイオワ級のミズーリ(当時退役中)を除く3艦がMk23搭載用に回収されたが、
2番砲塔からのみ発射されることになっており、専用の弾庫に10発前後が搭載される。
Mk23は実際に発射されたことは一度もなく、訓練弾Mk24が1957年2月
プエルトリコ沖のウィスコンシンから陸上の標的に対して試射されたことがあるだけである。
MK23は1962年には退役し撤去された。
核砲弾の目標については書かれていませんが、この時期にはアメリカ海軍の戦艦の任務は陸上に対する火力支援ですので、
当然陸上目標が想定されていたと思われます。開発当時に核砲弾の利点として考えられたのは、
航空爆弾よりも命中精度が高く、天候の影響を受けにくいことだったようです。
便利少尉
- http://nuketesting.enviroweb.org/hew/Usa/Weapons/Allbombs.html
ここにそのkatieなるものの写真とデータがあります。写真と言っても見た目は単なる砲弾ですが・・・。ちなみにここではMk-23ではなくW-23と表記されています。
YF−23A
- 丁寧なご回答ありがとうございます。これらはやはり海外の文献を調べないと分からなさそうですね。
関連する疑問ですが、当時は既に冷戦のまっただ中であり、アメリカ戦艦に核砲弾が配備されたことをソ連は把握していたのか、把握した場合、どのくらい脅威に感じ、どのような対策を検討したのか。また、イギリスやフランスなどの戦艦保有国は同様の核砲弾の配備を計画したのか、計画されていたとしたら結果的に断念された理由はどのようなものがあったのか、など疑問は尽きません。
これらも明らかになっている場合はご教示いただければ幸いですが、なぜか大いに関心を持ってしまったので自分の将来への研究課題にしたいと思います。ありがとうございました。
未明2
- 出遅れましたが、先日陸上の砲門から発射されるタイプの核実験の映像を発見したのですが、MK-23との関連性はあるのでしょうか?
シルバー