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敗戦まで呉の海軍潜水学校に奉っていた 佐久間艇長の六号艇に関する質問です。 google検索すると「戦後、米軍が解体した」ことは 分かるのですが、解体されるに至った経緯をご存知の方、 いらしたら、その辺を教えていただけますでしょうか。 米海軍にしても見本になる艇だったと思うのですが。 よろしくお願いします。 ブドリ2世 |
- アメリカのホーランド型潜航艇ですから、技術的には当然見本にはなりません。仰っておられるのが精神的な部分であるのなら、逆に日本に残しておいてはいけないとアメリカ側が考えるのではないでしょうか。
本間
- すいません。言葉足らずでごめんなさい。
本間様のご指摘の通り、「技術的」な見本ではなく、
「潜水艦乗り」の見本としての部分でした。
勝手な想像ですが、佐久間艇長を尊敬する若い米海軍の潜水艦乗りと
日本憎しのガチガチGHQG2辺りの行政官とが
六号艇を「残す」「壊す」で争うなんて、
「解体」に関するエピソードが、もしもあったら、
聞きたいと考えたからでした。
ブドリ2世
- お手数をかけました。ちょっと疑問に思ったので、逆に聞いてしまう結果となり、申し訳なく思っております。
そのようなエピソードは存じておりませんが、第6潜水艇(第6潜水艦)のためにアメリカのサブマリナーがそこまでしてくれた可能性は少ないように思えます。確かに佐久間艇長の遺書はアメリカの国会に張り出されましたが、一時的な事の様に思えます(他国海軍でも佐久間艇長の名は有名であるとしたページもありますが)。また、敗戦時にアメリカ軍が接収後解体としたページもありますが、戦後のどさくさの中で売却されたと言うものもあり、その辺りの真偽も不明です。
「残す」「壊す」で争った事例としては、三笠のケース以外は存じておりません。極東委員会でソ連側が解体を主張したのに対して、アメリカ側が反論したケースです。その結果、同艦は上部構造物を撤去した状態で残されましたが、これは占領政策がうまくいくようにと言う政治的判断が働いた結果のように思えます。ただ、ご存知かと思いますが三笠はダンス・ホールになるなど荒廃を極め、1950年代になってニミッツ(そう言えば、この人も潜水艦乗りですね)をはじめとする人々の尽力により復旧しております。
本間
- >確かに佐久間艇長の遺書はアメリカの国会に張り出されましたが、一時的な事の様に思えます
この様な事例があったそうです、現在どうなってるかは知りませんが。
海戦/海難(フジ出版社)訳者の実松譲の「海戦/海難」後書きより
ワシントンの議会図書館は、二階の陳列場のアメリカの独立宣言書と憲法原文
と言う、米国でもっとも大切なものの入っているケースと向かいあった所に、写
真に取った佐久間艇長の遺書の全文に英訳をつけ、タイプで打った説明文ととも
に展示した。
真珠湾攻撃の直後の事である。日本軍の"だまし討ち"に憤慨したアメリカ人が、
「日本人の遺書を、この様な場所に陳列するのはけしからん」と、これを取り除
けるよう要求した。すると図書館長アーチボルト・マックリーンは、
「図書館の文化遺産は、時の動きによって支配されるものではない」
と、この要求をきっぱり拒否したという。
ooi
- オーストラリア議会のホールに展示されていたWW1当時の装甲巡洋艦伊吹の油絵は
WW2時に撤去されたままなのでしょうか?
Navy
- >4
確認いたしました。
ooi様、ありがとうございました。
また、記憶で書き込み、大変、失礼いたしました。
本間