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2429 シブヤン海における武蔵の戦闘ですが、一番主砲塔が使用不可になった原因について、
1.「レイテ沖の日米決戦」では魚雷命中により装填されていた三式弾の暴発
2.学研「大和型戦艦」では機銃弾が砲口から飛び込み、それにより三式弾の暴発
 の2つの話があるのですが、どちらが正しいのでしょうか? また砲塔員の方は無事だったのでしょうか?
TOTO

  1. 論より証拠、当の武蔵自身の戦闘詳報を当たるのが一番確実でしょう。
    シブヤン海における戦闘経過については、アテネ出版から刊行の
    「連合艦隊海空戦戦闘詳報 戦艦戦闘詳報I」に収録されています。

    上記の資料より得られる一番砲塔直接関連の記述は三ヶ所。
    1、「戦闘実施」1025(第一次空襲)「一番主砲塔天蓋ニ60kg程度ノ爆弾命中スルモ何等ノ被害ナシ」
    2、同上項(第六次空襲)「一番主砲塔天蓋ニ250s爆弾命中、天蓋甲鈑径約10cm深サ約2p程度ヲ削リ去リ、
    砲室内天井ニ直接取付アル電燈全部落下暗黒トナリタルノミニシテ其ノニハ他何等ノ被害ナシ」
    この二件を見る限り、一番主砲塔内にとりたててダメージは無いように見られます。

    ところが次の「令達報告等」には、戦闘の経過を示した「戦闘実施」に記述の無い報告として
    「二、一番主砲塔中砲三式弾自爆ノ為使用不能」(第二次空襲後武蔵艦長より第一戦隊司令官に当てた電文)
    があり、これが質問文中にあるような諸説の原因かと思われます。

    ここで留意点ですが、この戦闘詳報は武蔵の沈没後に製作されたものです。
    第二次空襲直後の時点で一番砲塔主砲に生じた何らかのトラブルを把握し
    それに基づいて第一戦隊宛に打電していたものの
    艦長、一番砲台長双方の戦死と艦橋被爆、加えて沈没時の混乱の為に
    戦闘後編纂された戦闘詳報にはその詳細が一部始終、
    他の記録と完璧に整合が取れる形では伝わっていない可能性は十分にあります。
    烈風天駆

  2. 追記

    アテネ出版からの刊には、「戦訓所見」が収録されておりません。
    そちらに事の真相を明かす何かが書かれているかもしれませんが、
    現時点ではあくまで可能性の域を出ないでしょう。
    烈風天駆

  3.  回答ありがとうございます。
     戦闘詳報自体は読んだことはないのですが、それを模写したと思われる雑誌丸の特集「大和・武蔵」の武蔵 行動年表には、一番主砲塔が使用不可能になったという記述が無く、2つの戦記物で出てきた話ですので不思議に思っておりました。
     最近刊行された「真相 戦艦大和の最期」にてシブヤン海で空襲にさらされる武蔵の写真が多数掲載されていましたので、子細に見れば一番主砲塔が動いているかがわかるかもしれません。
    TOTO

  4. 「軍艦武蔵下巻−太田出版刊−手塚正巳著」によると
    1.第2次空集中、1番主砲中砲装填した主砲弾が弾架に下がってきたために、水圧管が破裂。
    2.その主砲弾からは信管が欠落していた。
    3.この事故により中砲は俯仰角不能となり、左右砲も打撃を受けそれ以降1番主砲は発砲できなくなった。
    とのことです。この本は関係者からの徹底的な取材によって書かれていますので、信憑性は高いと思います。
    GO


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