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軽巡「鬼怒」について教えてください。 1944年頃(最終状態頃)、搭載していた水偵はなんでしょうか? よろしくお願いします。 Micht |
- この時期ですと射出機を外した艦が多く、また残っていても搭載機をおろしていたようですので、鬼怒の場合も搭載機は無いのではないかと推測します。
SUDO
- SUDOさん、早速のご回答ありがとうございます。
わたしも「搭載機をおろした可能性がある」とは読んだことはあります。
いまのところ、その説がもっとも有力なのでしょうか。
そしたら、ちょっと質問を変えまして、最後に搭載していた艦載機(まあ、比較的確実な範囲で)はなんでしょうか?またその時期は?
続けてで申し訳ありませんが、教えてください。
よろしくお願いします。
Micht
- 昭和19年5月「鬼怒」には二座水偵1機の定数が設定されていました。沈没により削除されています。航海時積んでいたのかは別の話しですが。
二座水偵の機種はわかりませんが、九五水偵か零観ではないかとは思います。
川崎まなぶ
- 鬼怒は18年の8〜10月にかけて呉で工事を行っており、その際にカタパルトを撤去したともいわれます。従って、最終時には「搭載機はない」が正解でしょう。撤去前は九四式水偵を搭載していたと考えられます。
tackow
- みなさま。情報ありがとうございます。
戦時中の5500トン型の改装って、意外と情報がないんですよねえ。
(戦時中なら、5500トン型に限った話ではありませんが・・・)
撤去された可能性が高いというのも私も読みました。
また川崎まなぶさんが、おっしゃるように19年になって零観?の割り当ても読んだ記憶があります。
どちらが正しいのかと思ってまして・・・
いろいろありがとうございました。
Micht
- 19年10月の史料を見ても「鬼怒」はカタパルトを搭載していたことになっています。
その史料には「観一」と書いてあるような感じなので、やっぱり零観なのかもしれません。
川崎まなぶ
- 手持ちの史料では18年8月現在カタパルトが装備されています。その後が不明なのですが、「Japanese cruisers of the pacific war」では8月以降にカタパルトを撤去した、とありました。
その他の5500t型の状況とドック入りの期間から撤去されたと考えたのですが。違ったかな?
tackow