2411 |
最近、戦艦などの第二次世界大戦の艦艇の事を調べているのですが、艦橋は「塔」に見えるのでがなぜ「橋」と言われているのですか? ガンガル |
- ブリッジは名前のとおり、橋みたいな形で左右に大きく張り出した見張り台だったんです。
これは例えば今の商船でも少なくないですし、例えば三笠なんかに行って見れば実感できるでしょう。船の上に乗った橋という趣です。
そこからならば船の甲板全域に、舷側ギリギリ部分の千階見下ろし等、非常に色々見る事が可能で、そしてそれらは操船に重要な意味を持ちます。
この船内外に対する視界や指示を与える場所だったブリッジは、見張りマスト(遠距離を見るために高い・帆船なら帆柱)と一体化し、また館内の通信機能等で形態が変わったりしていきましたが、慣習として「ブリッジ」「艦橋」という呼称が残っているのです。
SUDO
- この呼称は元々は帆船時代に使われていたものですが、その後動力船に移行してブリッジの形式は変わりましたが、名称だけは継続して使われて現在に至っているようです。
帆船では舵輪が船尾に有り(機械的に舵を操作するので、距離は短い方が良い)、操船指揮も船尾で行っていました。帆の状態を見ながら作業を指示する必要があるので、船尾の方が都合良いのです。ところが船尾にいたのでは船の前方海面の状況を見ることが出来ません。前方を確認するためには舷側まで出る必要がありますが、甲板上を左右に移動しようとすると沢山の障害物があります。そこで移動を容易にするために、舵輪よりも高い所に両舷にまたがった障害物の無い専用通路を設けました。これが丁度橋のように見えたので、操船指揮する場所を「ブリッジ」と呼ぶようになったのです。
鉄人68号
- 船橋-Bridge-の呼称が初めて使われたのは蒸気動力の外輪船からで、両輪のカバー上部を橋-Bridge-でつなぎ、ここから指揮を取ったのが始まりと読んだことがあります。
鉄人68号様、帆船時代から使われたと言うのは初耳ですが、出典などありましたら教えて下さい。
それ以前の帆船では後甲板-quarterdeck-から指揮をとっていたのが、煙突と外輪が視界を遮ることから、あるいは後甲板には全速前進時煤煙が吹き付けることから創られたともいいますが、どちらが正しいか、または両方なのか、確証はないようです。
何時頃使われ始めたか、精確なことを御存知のかた、居られましたらよろしく
タンジェント
- タンジェントさん、外輪船説の出典は堀元美氏の「現代の軍艦」でしょうか(違ってたら御免なさい)。同書の場合ですと堀氏自身も「まず本当だろう」と言いつつも、「少し心もとない語源」とも言っています。私もこの説には疑問を持っておりまして、客船であれ貨物船であれ、船の中央部にこのような設備を設ければ操船以外の機能が大きく損なわれてしまいます。しかも更に船首に近い所に行けば、視界はもっと良くなるのですから外輪の装備部分に留まる必要はないでしょう。
帆船時代には船尾楼甲板(最後尾の甲板で、1段又は数段高くなっています)で指揮していたとも紹介していますが、船尾楼はいきなり出現したわけではありません。船尾楼への移行段階として操船だけのブリッジが出現しても不思議はないでしょう。また船尾楼が出来たとしても、必要があれば両舷への張り出しを作ったことと思います。
この話を読んだのはもう20〜30年くらい前になると思いますので(ちなみに前記「現代の軍艦」は昭和45年発行)、出典が何であったかまでは覚えていません。ただお堅い本ではないことは確かなので、雑誌か写真集だったのではないかと思います。手許の資料では見つからないので、また分かりましたら報告致します。
鉄人68号
- >4 鉄人68号様、小生のネタ元は御指摘の堀元美氏の著作を含めて複数ですが、いずれも現在手元に無く、書名を確認できない状態です。以下も記憶モードでのゴミレスとしてお読みください。
その中で、クリミヤ戦争当時の蒸気フリゲートを扱ったものに、同じ説が載っていたと記憶。艦長が機関の回転速度をブリッヂから直接指示するために設けられたのが始めとか。著者は…覚えていないのです。申し訳無い。(同時期の英国海軍蒸気フリゲート艦長を主人公とした小説及び解説にも紹介されていましたが・・・)
このブリッヂ、当初は小型の外輪船にしか設けられず、蒸気船でもスクリューを使うタイプには見られ無い様です。普通の帆船同様に後甲板-quarterdeck−から指揮をとったようで、機関への指示をどうしていたのか興味があります。(速度指示器−正式名称わすれたーは何時から使われたんでしょう)
因みに船尾楼甲板−Poopdeckから指揮をとったという表現は見たことが無く、後甲板-quarterdeckの表現が使われることから、両者は同じ部位を指している場合でも意味が違うようです。この辺、詳しい方に解説して欲しい。(歴史的に意味が動いていて混同しているかも)
なお、小生の理解では、当初舵柄と(小型船ではその後も)一緒だった船長、または艦長が指揮をとるためだけに船尾楼甲板(舵取りより一段高い位置)に上がり、それを追いかけて舵輪も上に来たのが後甲板では無いでしょうか。で、指揮をとる場所を後甲板-quarterdeckというようになったと。
以上長々と推測混じりで書きこみました、申し訳無い。
タンジェント