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ナポレオン時代の帆船のことですが、英国デザインの艦より、特に大型の艦で同レベルならフランス艦のほうが当時は性能が良かったと聞かされました。にわかに信じがたいのですが、本当でしょうか? まるき |
- 手許にある本(シーパワーの世界史,青木栄一,出版協同社)によると
「7年戦争後,フランスは海軍の再建を図り,軍艦の建造,海軍工廠の整備
が進められ,海軍造船局が独立して設けられ,造船学はフランスを中心とし
て体系化され,優れた軍艦が設計されるようになった。」
「ナポレオン戦争では,フランスの二大軍港ブレストとツーロンがイギリス
海軍の厳重な封鎖を受け,修理資材などの必要な補給を断たれ,乗員の連度
が落ちた。1815年,50隻の戦列艦を保有していたが,損傷と整備不良
で外洋へ出れなかった。」
との趣旨のことが書かれています。質問の回答にはなりませんが,性能では
遜色がなく,運用面で負けたものと考えます。
帆船模型を見ると,フランス艦は優雅で性能的にも高いのではと,私は
にわかに信じてしまいます(^^)
帆掛け船
- 当時の英国の戦列艦は1740年頃に捕獲したスペイン艦・フランス艦を手本にして設計が行われた艦である七四門鑑が主体です。これらの艦は頑丈ではありましたが他国の艦に比べて機動性に劣る面があると言われる場合があります。また造船・設計能力自体も当時はフランス側の方が高かったと評価される場合があります(当時の英側の艦艇設計者がフランスの設計を元にしたという話も良く聞きますから、恐らく本当の事でしょう)。
まあネルソン提督自身が「むしろ性能の悪い我々の艦を燃やしてしまいたいほどだ」と書いてますから、それなりの性能差はあったのでしょうね。
大塚好古
- そういえば旗艦ヴィクトリアは元はフランス艦だったとか
聞きますけど。(あれ?もともとイギリス製造でフランスに
捕獲後、英軍再捕獲でしたっけ?)
wittmann
- またしても記憶のみですが、ナポレオン戦争当時、フランスの軍艦は、今でいうのとは異なりますが、規格化が進んでおり、マスト、ヤード、帆布などが共通化されていたと読んだことがあります。つまり略同じ大きさの船は儀装が統一されていたように、記憶にあります。
一方英国は、儀装は船長の趣味?で行われ、帆の形式が途中で変わることが珍しくなかったような…ただし、火薬や火砲類は英国側の方が規格がきちんとしていたようです。
以上の「記憶」から、造船技術ではフランス側、造兵技術ではイギリスがやや優位だったのではないかと「想像」しております。
タンジェント
- お初にお目に掛かります&記憶モードで失礼。
英国艦は、船体の割に武装を重くしすぎて、荒天時に三段に舷側に並べられた砲の内、最下段の砲が使えなくなることがあったそうです。
くろ
- 半分、便乗質問を失礼します。
以前、このHPでも取り上げましたが(「あなたは、どっち」で質問しました)。米国独立戦争において、1783年戦役の際、米仏蘭西連合国は、英国本土上陸作戦をかなり真剣に検討していたようです。史実では、ヨークタウンの戦いの敗北により、英国は継戦意思を喪失していた為、幻に終わりましたが、その話しを紹介していた雑誌記事を読む限り、18世紀当時、英仏の造船技術の格差はそう大きくなかった、と思われます。そのことから考える限り、あながち間違っているとは思われません。
山家
- 追加です。手許にあるもう一冊(田中航,帆船時代,毎日新聞社)でも
「この時期(トラファルガ−海戦)までは,建造,造船技術の面でではフランスの
方がややリードしていた」とあります。フランスも捨てがたかったと。
ただ,具体的根拠としては。ただ,イギリスのカロネード砲の威力が大きかった
点では両書とも共通しています。
帆掛け船
- ありがとうございました。勉強になりました!
まるき