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こちらには初めて書かせていただきます。 先ごろ沈没直前の写真がwebで公開された八十島についての質問です。 1) 修復完了後は海防艦に類別され、艦名もそれに即したものがつけられていますが、のちに巡洋艦に変更されたのはなぜでしょうか? 艦のサイズや兵装からみれば、駆逐艦並みかそれ以下なのに変更があったのは、かつての中国艦時代の格式を重んじたからでしょうか? 2) 軍艦籍に編入された際か、その後にでも艦首の菊花紋章は取り付けられたのでしょうか? 以上2点、ご存じの方がおられましたらよろしくお願いします。 サバニ |
- 1)に関して
昭和19年9月に捷号作戦を睨み緊急輸送を目的にした輸送戦隊が編成されることが決定されます。一等/二等輸送艦により編成されるこの戦隊には当然戦隊旗艦が必要となります。めぼしい大型艦艇は全て連合艦隊の決戦用に投入されている関係上、「五百島」「八十島」は旗艦設備を持つ貴重な艦艇として注目されます。(なにせ元は中華民国海軍旗艦です)
第一輸送戦隊に「五百島」、第二輸送戦隊に「八十島」が旗艦として当てられる予定でした。
つまり戦隊旗艦となる以上巡洋艦に昇格させるほうが海軍軍政上便利が良い為というのが1)に対する答えとなります。実際には「五百島」は直前に撃沈されてしまい、海防艦のまま喪失となりましたが。。。
2)に関して
とりあえず御真影は乗せていたようです。戦隊編成後、日本本土で艦首の菊花紋章も取り付けたものと思われますがこちらに関しては確証はございません。
じょーぢ
- 簡潔かつ明快なご回答ありがとうございました。>じょーぢ様
某別館でアイコンを作っているのですが、解説文を書こうと思って調べるうちに、通常出回っている資料の通り一遍の解説ではどうしてもわからないところがありましたので。
できれば上の文の引用をお認めいただけると有り難いのですが。
あるいは資料の出典を教えていただけますか?
サバニ
- 引用は問題なしです。好きに料理してください(笑)
で、大元の引用元ですが大体は木俣滋郎「日本軽巡戦史」に拠っております。
じょーぢ
- >「日本軽巡戦史」
さっそく検索かけてみたら、どうも絶版みたいですね。しかも高い!
ところがダメもとで職場のデータベースを見たら、なんとヒットしてしまいました、なんでやねん(笑)。さっそく週が明けたら見てみます。
じょーぢ様ありがとうございました。
サバニ