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私の祖父は戦時中瀬戸内海の粟島にあった商船学校にいたのですが、大戦末期に武装タンカーが艦載機によって被雷、粟島の砂浜に乗り上げ、対空戦闘によって数機を撃墜したそうです。祖父はこの様子を防空壕から見物し、機体の残骸や戦死者の回収を行ったと語っていました。ただ記憶が曖昧で、船名や詳しい状況が分かりません。調べてみましたが資料も少なく、よく分からないのでどなたか教えていただけないでしょうか。 軽巡 多摩 |
- 粟島近海で空襲により被害を受けたもの
1945年7月24日 大阪商船貨物船 金津丸 岡山県笠岡市六島付近で被爆沈没 2724T
1945年7月25日 日本近海汽船 第10福栄丸 香川県三野港外で被爆沈没 847T
これは第38任務部隊所属のイギリス空母4隻が瀬戸内海を攻撃した際のものです。被害を受けただけのものもあろうかと思いますが、当方の所持している資料では分かりません。
うち、金津丸はhttp://www.ibiblio.org/hyperwar/USN/USN-Chron/USN-Chron-1945.htmlにAircraft sink Japanese merchant cargo ship Kanatsu Maru, Awashima anchorageとあり、粟島泊地の文字が出てまいります。http://member.nifty.ne.jp/jpnships/company/chuokisen_list.htmによると、戦後浮揚され1965年にパナマ船籍のブリリアントと改名されるまで使用されたそうです。
また、第10福栄丸は1942年のアリューシャン作戦に第1哨戒隊所属として参加しております。
どちらにしろ、タンカーではありませんが、当方の調査で可能性のありそうな船舶はこの2隻しか見出せませんでした。
hush
- hushさんどうもありがとうございます。ところで新しく聞いた事なのですが、敵機は米軍機で、タンカーには前後にカノン砲が1基づつと両舷に何基かの機銃が装備されていたそうです。そしてこのタンカーは戦後解体されたそうです。
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- あと、瀬戸内海、タンカーと言うことで考えると近海油槽船の第6、第9近油丸が1945.7/26淡路島仮屋沖と7/24瀬戸内海釣島水道付近で爆撃を受けて沈没していますが、粟島からは見えないと思います。また、834Tと小型ですので、それだけの武装を装備していたかどうか。
もしも、追加情報が分かればお知らせしますが、このあたりが私の調査能力の限界です。
hush
- 祖父と1時間余りの会話のすえ、船名が分かりました。どうやら「雄洋丸」と言うようです。
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- '日本・油槽船列伝' 松井邦夫 成山堂書店 1995 からです
雄洋丸 2TL戦時標準タンカー 25番船
浅野物産/森田汽船 10,045総トン
長さ、幅、深さ=148.0m × 20.4m × 12.0m
建造 播磨造船
主機 タービン 5,000馬力 速力 15.4kt
完成 1945.2.10
備考 船舶運営会使用船 戦後に残存 (X120)
(2TL 25,26,27番船)雄洋丸、勝邦丸、忠栄丸の3隻は竣工したが南方輸送には出撃できず、動けないまま終戦を迎え係船されていたが、1948年に至り日本船によるペルシャ湾の原油積取りが許可となり、各社は競って船体整備の上、バーレーン航路に投入、国際航路へ復帰して、石油ブームに乗り、戦後油槽船(タンカー)業界の大発展の幕開けとなった。
(中略) 瑞雲丸、雄洋丸、勝邦丸、忠栄丸、千種丸などの2TL船隊は伍してペルシャ湾の石油輸送に活躍した。
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この船だとするととても興味深いエピソードです。
IWA
- 祖父は戦後船員として世界中をまわったので、他の船と混同してる可能性もありますが、IWAさんの教えてくださったこの船なら確かに興味深いですね。ありがとうございます。
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