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戦没商船について、サイトを開いていると新たな疑問が湧いてきました。 外航用貨客船が「特設油送船」として沈んでます。 そんなに早く、貨客船がタンカーに急造で改装出来るものなのでしょうか? もう一つ済みません。 緯度・軽度から沈没地点を地名(?)等で検索できるサイトを ご存知なら教えてください。 探し方が悪いのか有料サイトばかりに突き当たります 甲標的 |
- 緯度・経度から沈没地点を検索されたいのであれば、
そのようなソフトを購入されたほうが宜しいと思います。
ネットでもDLできます。ただしワタシが知っているのは有料ですが。
ラクはできんもので…(笑)
すすむ
- 戦時造船史によると、昭和17年度中に、タンカーの増勢が望まれ(この時点では消耗による物では無く、単に内地での需要増加と南方での大量確保の結果)しかし、当時建造中のタンカー数が少なく、増勢の見込みが立たなかったという事情がありました。
結果として
・対象は比較的船体構造の良好な物20隻、12万総頓
・工事期間は約20日
・昭和17年12月までに使用可能とする。
・使用はシンガポールから内地への原油輸送
・重油を運び得れば良い程度の設備とし、多少の油漏れは許容する
といった目論見で動き出し、17年11〜18年1月までに大部分が完了したそうです。
また、同様に建造中の、鉱石運搬船、貨物船も改造対象にされました。
対象は比較的完成時期の近いもので、上記改造船と同様の工事が行われたそうです。こちらは対象となったのは、鉱石船6隻34000総頓、中型貨物船11隻28000総頓。使用目的はバレンバンからシンガポールへの石油集積でした。
また、第二次戦時標準船舶から、2A型と2E型の貨物船から相当数が、2AT・2ETとして、油槽船仕様として建造されています。
これらは、つまり、当時の貨物船・鉱石船は、大きな船倉を持ち、そこに所用の改造をすれば、油タンクとして用いる事も不可能ではなかったという事が上げられます。
勿論、艤装も不十分ですし、構造的に、例えばガソリン等の揮発性の高い油はとてもじゃないですが危なくて運べませんが、貴重なタンカー戦力の一翼を担う羽目になったのです。
SUDO
- 松井邦夫著「日本・油槽船列伝」(1995年成山堂刊)によると、「現役就航中の、既成貨物船を油槽船に応急改造案を決定し、比較的状態の良い船の中から陸軍A船3隻、海軍B船8隻、民間C船9隻、合計20隻が選ばれて、改造期間20日間を目標の緊急指令により、全国の主要造船所や、海軍工廠まで動員され、<中略>改造工事が施工された」とあり、損傷修理工事のあった5隻以外の15隻については平均29日間で工事を完了したとのことです。
hush
- > 緯度・経度から沈没地点を地名等で検索できるサイト
面白いですが、地名は陸地につくもので、海上の経緯度位置は直接は地名に結びつかず、最寄の陸地(岬)とそこからの方位距離で言うことになります。
(1) お手元に地球儀を置いて見られるのがごく早そうです。
(2) http://www.google.co.jp/ で 19°20'N 125°51'E Japanese sunk
というようなキーワードで引くと、それらしい沈没艦と海域を知ることができます。
(3) 例えば
http://www.ibiblio.org/hyperwar/USN/USN-Chron/USN-Chron-1941.html 〜 1945.html
から
52°00'N, 177°40'E. off Kiska, Aleutians, (霞 沈没位置)
19°20'N, 125°51'E. 220 nautical miles east-northeast of Cape Engano (瑞鶴沈没位置)
09°10'S, 159°52'E. southeast of Savo Island (霧島沈没位置)
20°00'S, 93°00'E. south-southwest of Cocos Islands (報国丸沈没位置)
というような表をつくるとMS Excelでも検索できそうな気がします。が、つくってしまうと自分で結局環太平洋の地名を覚えてしまって検索の必要がなくなるような気がします。(子供の頃の地図帳での地名捜し遊びを思い出します。)
掲題のサイトがないのも、(1)〜(3)のような事情によるのでは。
IWA
- ご教授ありがとうございました
なりふり構わず「油が欲しかった」「油から始まった戦争」ですか・・・
子供が8年前だったか、ナホトカ号の重油汲出しボランティアに参加しましたが、物凄い数字の資源の無駄使い、周辺地域への環境汚染が有ったのでは・・
イラクが原油を海に放出するのを戦争手段としたのは、まだ可愛い方(不謹慎、ゴメンナサイ)・・
甲標的
- >5
この泥縄的タンカー増勢は、幾つかの情けない要因が影響してます。
・昭和16年中は海戦準備で民間造船所が海軍特設艦船改造工事に動員された事。
・昭和12年あたりまで造船は大不況で、政府助成以外の新造船が殆ど無い事。
・軍艦建造・改装工事の増強が直接間接的に民間造船所の能力を圧迫した事。
・最新タンカー群(高速大型)の殆どが艦隊油槽船として動員された事
・油の民需が貧弱であり、タンカーの需要が限られていた事。
即ちこれらの、日本の国力がこれだけの規模の戦争を支えられるだけのバックボーンを持っていなかったという事が挙げられるのではないでしょうか。
SUDO