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友人から聞いたのですが、元長門の連装高角砲手だった方のお話で、レイテ沖海戦 でやられた武蔵を長門と大和で何とか持ち帰ろうとしたのですがその2隻ではバラン スが取れず、ワイヤが切れて(ワイヤが飛び跳ねて、数十名が犠牲になった そうです)結局そのまま武蔵は沈んでしまったそうです。このような話は初めて 知りました。しかし私はこのような記述のある本を見たことがありません。誰か文献等ご存知ありませんか。 某軍管区 |
- 第二部隊の駆逐艦清霜と浜風(当初2水戦の島風なるも交代)が武蔵救難に向かい
清霜が武蔵艦尾からの曳航を試みましたが、接近中に武蔵が沈没しています。
少なくとも両戦艦による武蔵曳航は行われていないでしょうし、
栗田艦隊の台所事情を見てもそれは無いと思います。
烈風天駆
- 海戦中にはやってないでしょう。
ひょっとしたら、やられたことを想定して行なったリンガでの曳航実験と記憶がごっちゃになってる可能性があります。
実験は成功と記憶していますが、事故があったのかも知れませんね。
埋立地猫
- それでは、2)に似た事例で。
大和型3番艦信濃が熊野灘で被雷・沈没した時も、護衛の駆逐艦が曳航を試みています。
しかし、浸水し重量の増した船体を曳航するには鋼索でも力不足だったらしく、張力のかかった瞬間に索がちぎれ、駆逐艦上で作業していた人間をなぎ払ったとの回想があります。(この事故で曳航を諦めたとも)
「駆逐艦では大和型を曳航することは出来ない」「長門がは大和の曳航(試験)を試みたことがある」事が混同されているのだと思います。
能登
- なるほど、混同している可能性、頷けます。
勉強になりました。どうもありがとうございました。
某軍管区