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何かの本で「駆逐艦は本来潜水艦キラーとして使われるものだったのに、日本軍は欲張りすぎて駆逐艦の重さが2000トン近い船になってしまい、鈍足になって逆に潜水艦に追われるようになった。」とあったのですが、 1、確か駆逐艦の駆逐とは、水雷艇駆逐艦の略で潜水艦キラーでは無かったような・・・由来を教えて! 2、日本の駆逐艦ってそんなに鈍足でしたっけ?(松型は例外として) どなたか教えてください。 ホーク |
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一番脚の鈍い松型だって、一番脚の速い潜水艦よりも速かったわけで、潜水艦に良いようにやられたのは、ソナーやレーダーと言った策敵手段の低性能と海上護衛に対する認識不足が主要因です。それと、日本の駆逐艦が2000tと肥大化していると書いてあるようですが、それを言ったら英米も同時期の2000t超級の大型駆逐艦を建造しています。
WC-Co
- 駆逐艦の由来は、おっしゃるとおり主力艦(戦艦)を狙う水雷艇を排除するため、水雷艇より大型の船体に速射のきく小口径砲を搭載したのが本来の姿です。駆逐艦vs潜水艦という図式は映画や小説等でよく見かけますが、駆逐艦のルーツから考えた場合、それは本来のものではありません。もちろん、後に対潜作戦が駆逐艦の重な任務の一つになっていったのは事実ですが。
・・・で、「日本海軍が欲張って2000トン近い船・・・」ということですが、米海軍の主力として量産されたフレッチャー級も排水量は2050トンで、日本の主力駆逐艦「陽炎」級や「夕雲」級とほとんど変わりません。このことを考えると、艦隊随伴用として、十分な航続距離と兵装、外洋航行性能を求めると、このくらいが最もバランスよくまとまる大きさなのでしょう。従って、決して日本海軍が欲張ったというわけではありません。
最後に、日本駆逐艦で速力の低下が懸念されていたのは事実ですが、それは対潜水艦戦を考えてのことではありません。日本の艦隊型駆逐艦は、対潜水艦よりも自慢の酸素魚雷を用いて主力艦に対する水雷戦を挑むことを考えていましたが、高速でないと有利な発射地点を占めることが困難であることから、より高速の駆逐艦が必要とされたのです。その結果、日本海軍最速の重雷装駆逐艦「島風」が建造されるに至りました。ちなみに、「島風」の公試速力は40.9ノット、「陽炎」級や「夕雲」級は35ノット前後、米「フレッチャー」級は公表値は37ノットでした。
米海軍等の対潜水艦戦を目的とする護衛駆逐艦の例を見ればわかるとおり、護衛駆逐艦の最高速力は25ノット程度で、必ずしも30ノットを越える高速が必要とされたわけではありません。当時の潜水艦は水上でこそ20ノットを発揮するものもありましたが、水中は6〜10ノット程度で、25ノットの駆逐艦でもそれに比べれば十分高速です。
日本海軍の駆逐艦が潜水艦に多くやられたのは、速力がどうこうよりも、元々が対潜水艦戦を主目的とした艦ではないため、対潜兵器の搭載が十分でなかったことと、レーダーや水測兵器の性能に劣っていたことが大きな原因だと考えます。
つね
- 日本軍の駆逐艦が米潜に返り討ちに遭うことが多かった理由としては、対潜戦術そのものが未完成だったことと、米潜の魚雷射統装置の高性能をつかんでいなかったことが大きいと思います。
電探はともかく、水測兵器自体の質はさほど劣っていませんし、爆雷や投射機などの対潜兵器も前投兵器を持たなかったことを除けば十分通用するだけの性能がありました。
ただ、その操作やデータ活用といった運用面が十分でなく、またそれを基にする占位機動や爆雷投射法など、いろいろな面で未熟であったと。
特に艦隊駆逐艦では逆に速力におぼれて丁寧な測敵や攻撃運動をないがしろにし、単艦で予想位置に高速突進する傾向があったという話もあります。
そこを追随性に優れ、発射諸元の算出も日本潜水艦に比べて数倍速い米軍の発射指揮装置に衝かれる例が多かったようです。
また、ドイツと違って(音響追尾魚雷配備後は別として)、米軍は護衛艦をも積極的に狙う方針であったことも大きいと思います。
輸送船や他の艦を撃って追われるシチュエーションでの反撃だけでなく、初めから狙って駆逐艦を雷撃するというケースも少なくなかったわけです。
まなかじ
- >鈍足になって
英国では専門護衛艦艇の充足に伴い、
V/W級旧式駆逐艦の一部から缶数を減少させて長距離護衛艦に改修しています。
速力より重要なものが何かという参考までに。
烈風天駆
- やっぱりそうですよねえ、むしろ旧日本海軍の中で一番役立ち度は高かったと私も思います。
ホーク
- 駆逐艦の原型は、英海軍のTorpedo-Boat-Destroyer(TBD)で、水雷艇駆逐艦です。その任務は主力艦を守る事に有り、例えば掃海作業なんかも任務に含まれるところになります。
潜水艦も水雷艇の一種であり、駆逐艦のルーツからも、当然のように対潜戦闘も要求されました。戦前の日本軍の対潜戦術や装備も駆逐艦を基準としたものが主流でした。
問題と言うか特色として、日本軍の「艦隊」は敵主力部隊と殴り合ってそれを叩きのめすのが主任務であったので、艦隊駆逐艦による敵潜水艦との戦闘も、この艦隊の任務と密接に関わり合うというところです。何隻もで長時間使って追い詰めて仕留めるというよりは、さっさと切り上げて、主任務である敵艦隊攻撃に参加したいと、そういう考えがあったのです(潜水艦は潜航してしまえば艦隊に追いつけません)
極論するなら目を光らせて威嚇してれば、それで充分に間に合うだろうと、そういう考えですね。
これは駆逐艦の数が足りないというよりは、条約によって、艦隊の水上打撃力の相当部分を駆逐艦に依存せざるを得なかった日本軍の艦隊構成上の歪みであろうとも考えられます。
駆逐艦を現場海域に残置出来るだけの各種の余裕が無かったという、厳しい懐事情を考えると、大型化した駆逐艦というのは、マイナス要素の一つであるという考え方も出来なくは無いでしょうね。
SUDO