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潜水艦による輸送船・商船の被雷ですが、どうして敵国の船と分るんでしょうか? 護衛が無ければ しばらく追跡しているんでしょうか? 護衛も特設砲艦なら、外観は同じ商船タイプ。軍艦なら識別帳を備えられかも、 味方船の単独航行や中立国の商船も有る筈だし、外国購入船や拿捕船もあります。 消去法で この海域にいるのは敵国船しか有り得ない で、ボカスカやっていくのでしょうか?? ご存知の方 よろしく 甲標的 |
- 無制限潜水艦戦だったら、そんなもんです。
SUDO
- いちいちそんなことまで気にしてないと思います、殺るか殺られるかですし。
ゼンガー
- 船にも一応、航路というのがあるんじゃなかろうか・・・
で、味方の航路外なら攻撃ってな具合。
一年生
- 少なくとも国旗もしくは商船旗の確認はしますわな…。
宇宙狩人ジョー
- これを避けるため、中立国艦船であることを示す標識をつけていたはずです。http://yokohama-toukai.infinity-net.jp/f3salon/salon61.htmの例で行くと、船腹に国籍マークが大書されています。
それでも間違いはあるもので、1942年5月16日に伊29がソ連船Uelenをオーストラリア沖で砲撃により損傷させ、7月1日に伊16がスウェーデン船Eknarenを、10月11日に伊25がソ連の潜水艦L16を、それぞれ雷撃により撃沈しています。
アメリカの場合は資料がなくて分からないのですが、最初から無制限潜水艦戦を実施していますから(この点を、日本が抗議しなかったのが理解できません)、多少の間違いがあっても不思議はないと思います(阿波丸の撃沈は、その一例でしょう)。
hush
- 第2次大戦では1941年12月8日(日本時間)までは日米ともに中立だったワケですが、船腹に日章旗や星条旗を大書して攻撃を予防してます。
1939年11月21日に英国ハリッジ沖で触雷、沈没した日本郵船照国丸の当日の写真にも船腹に描かれた日章旗が有りましたし、1941年1月12日にフロリダ沖で座礁したマンハッタンも船腹に2段にMANHATTAN/UNITED STATES LINESと表記、その前後に星条旗を大書していました(写真所持)。
あと日本郵船新田丸や大阪商船ぶらじる丸の船腹日章旗付きの写真も「世界の艦船」第523号に掲載されてます。てなワケで>4. >5.に基本的に同意。
駄レス国務長官
- 「護衛があっても、しばらく追跡している」が正解です。
定期航路で待ち伏せていて
出会い頭にズドンやると思っていらっしゃる方が多いようですがそれは違います。
Kleist
- >7
なぜ、そうなのかを教えてください。
すすむ
- 一言で言えば
海は我々が考えているよりかなり広いという事でしょうね。
航路といっても海上に1本の線があってその上を
独航船やら船団が必ず通る物ではありません。
潜水艦が敵艦船を見つけるのはむつかしいことであり
ましてやその敵艦船がこちらにやってくるような
状況は期待できないのです。
潜水艦はパラワン水道のような隘路で待ち伏せていても
すぐには襲撃せず、ジグザグ運動する敵艦隊を観察し
浮上走行で追いかけ追い抜いて前方に回り込んで
有利な射点で襲撃しています。
商船の速度なんて20ノットをはるかに下回る
軍艦と比較して低速目標であるとか(簡単に追いつける)
潜水艦が敵を発見しても敵は潜水艦を発見していない事が多いとか
魚雷の本数も限られているので不意の転舵をする目標に不用意に撃って
無駄を出したくないとか
理由はいろいろあります。
Kleist
- >9
ダーターの場合、出会い頭の時点で良い射点に占位できなかったのでまず警報を発し、その後必死に追躡しつつデースと合流すべく移動したもののはずですが。
また、既に警報を受けていたデースは待ち構えていきなりズドンの要領で攻撃してますね。
20世紀前半の潜水艦の哨戒網の構成法というのは、何らかの情報に基いて敵艦が通ると予想される海域に張り込みをするというものであり、自力で捜索をする範囲というものはそこを通る艦船がすり抜けられないであろう範囲内に絞られます。
そこを通らないならばかわされてしまうけれども、そこを通るならば何らかの手落ちやミスが無い限り(そうしたことは往々にしてあるとはいうものの)少なくとも捕捉できないということはあり得ません。
また、射点についた以上は雷撃するものです。
射点にあるものを見逃すことは、特に命令がなければ原則としてありません。
より有利な射点を求めるかどうかはかかって艦長の胸三寸であり、第一に状況に応ずるものであり、艦長の性格にも応ずるものであって正解もへったくれもありません。
追跡をしなければならないとすれば、より大きな戦果を得られると思われる状況に味方の網を張り直すために触接を続行しなければならない場合であって、単艦襲撃の場合にはそれは誤答であって正解ではあり得ないでしょう。
まなかじ
- 何を熱くなっておられるのか分かりませんが・・・・
デースは待ち構えていきなりズドンの要領で攻撃していません。
レイテ沖海戦上巻
光人社NF文庫P267等
Kleist
- 例・待ち構えてズドン
伊58潜による米重巡インディアナポリス撃沈
浮上直後に船影発見
急速潜航
魚雷戦用意、回天戦用意
船影確認(友軍であるか否か)該海域に味方艦は潜水艦しかいない
月明かりで大型艦であると判明
魚雷発射
船を見つけたので潜ったら、近づいてくるので、敵味方を確認し、発射して撃沈という流れですね。
この時の敵味方確認は、こんな場所に友軍がいるなんて聞いてないから敵艦だろうって程度です。
また面白いのは、低速の商船は追尾が難しかったそうで(日本潜水艦)不慣れなため、先に出すぎて見失ったりしてるようです(浮上したまま攻撃する訳では無いし、相手から見える範囲での浮上移動も避けるので、実はかなり大きい間合いで先回りして、潜って待ち構えてとなります)
いうならば、猫科の動物の狩りみたいなものですね、獲物を見つける・知る>獲物を待ち伏せできる場所に先回りする>待ち構えてズドン(多少の射点移動で潜航移動はする)。
このそれぞれの「>」において、潜水艦が目標との接触を維持できるかどうかは、双方の警戒装置や行動能力によって可変です。
ですから追尾もできるかもしれないし、待ち構えたところに来なかったので、移動して射点を得ようとする事もありますが、流れとしては、まなかじさんが述べられたようなところに落ち着くのではないでしょうか。
SUDO
- お、いい例出しますねえ、さすがSUDOさん
艦長たちの太平洋戦争
光人社NF文庫P328を見みるとわかります
伊58艦長橋本氏の襲撃行動パターンが
本人の談話としてはっきり書いてあるから。
橋本艦長によると、敵艦だろうじゃあなく敵艦なんです。(笑)
Kleist
- 潜水艦がどう商船を襲撃する(した)のかというのは、結局〜1945年の日本の軍人には理解されないまま、記述も残らず、2003年の今日に至っているように思います。 待伏せ/遭遇・奇襲戦もありますが、追跡・強襲戦もおなじくらい多いではないかと思うものです。 例えば次ぎのような事例です。 (御意見お願いします。)
(1) 1944.1.14 バリクパパン→トラック のタンカー船団への米潜3隻の攻撃。 タンカー2隻、駆逐艦1隻(★印)を撃沈。
【タンカー3隻】
健洋丸 ★ 国洋汽船 10,024総トン SS217 Guardfish(7)
日本丸 ★ 山下汽船 9,974総トン SS277 Scamp(6)
国洋丸 山下汽船 10,026総トン
【護衛3隻】
早波、島風、漣 ★ SS218 Albacore(8)
(2) 1944.02.19 ヒ40船団 シンガポール→門司 への米潜SS259 JACK(3)の攻撃。 同日にタンカー4隻撃沈。
【輸送船6隻】
南栄丸 ★ 日東汽船 5,019総トン
国栄丸 ★ 日東汽船 5,155総トン
一洋丸 ★ 浅野物産 5,106総トン
日輪丸 ★ 昭和タンカー 2,762総トン
南邦丸 飯野海運 10,033総トン
浅間丸 日本郵船
【護衛1隻】
占守
(3) 1944.10.23-24 春風(マタ30)船 団への
米潜 Seadragon SS-194, Snook SS-279, Drum SS-228, Icefish SS-367, Sawfish SS-276 の攻撃。
17隻の船団を5隻の潜水艦が攻撃し、夕刻−翌朝に9隻を撃沈。
【輸送船 12隻】
黒龍丸 ★ Seadragon(11)
菊水丸★ 拿捕船 3,887総トン Snook(7)
凌風丸
信貴山丸★ 三井船舶 4,725総トン Drum(11)
大天丸 ★ 大阪商船 4,642総トンSeadragon(11)
営口丸 ★ 日本郵船 1,847総トンSeadragon(11)
第一真盛丸★ 原商事 5,878総トン Snook(7)
阿里山丸★ 三井船舶 6,886総トン Snook(7)
天晨丸 ★ 瑞光商船 4,236総トン Icefish(1)
第三東洋丸
映海丸
君川丸 ★ 川崎汽船 6,863総トン Sawfish(8)
【護衛 5隻】
春風
呉竹
竹
鞍埼
第20号駆潜艇
IWA
- >14
いくつかの資料によると、米潜の狼群では
・船団の視界外を高速で航行して先回り
・僚艦らと示し合わせて襲撃
・敵の護衛体制や応戦に応じて、浮上・潜航攻撃を採択
何の事は無い、他国の潜水艦と基本的に何処も変わりません。
追撃・追跡と申しますが、つまりは浮上航行しての先回りですので、ある種の一撃離脱を繰り返しているというだけで、それぞれの一撃においては、基本的にアンブッシュで、低い相対速度で船団後方から追いかけて襲撃するというのは、よほど船団側の防備が貧弱だった場合に限られると感じますが、どうでしょう?
つまり、追撃・追跡・強襲という言葉の解釈の問題です。
その追跡運動は、対象に対して接触を維持できているのか否か。
友軍の接触報告を受けながらや、憶測で針路を想像しながら、予想した先回り地点に向かうのは、潜水艦のごく常識的な戦術であり、それは各国の潜水艦で基本的に変るところが無いように感じますが?
SUDO
- >14、15
ラメージ艦長指揮下のパーチの様に、充分な護衛がついている日本船団の中を駆けずり回って手当たり次第魚雷・艦載砲で商船や護衛艦を攻撃した例が無いわけではないですが、これは米潜と言えども一般的な攻撃方法ではありませんね。
大塚好古
- > SUDO様、大塚様
お説の通りです。
>14は、話しの流れで あまり馴染みのない方に、待伏せ - 一撃 - 離脱の単純パターンで終わりという風に思われそうなので、一撃離脱を一隻〜数隻、一夜〜数日で、繰り返す(魚雷が尽きるか、逃げ切られるか、逆襲されて損傷するかするまで)パターンもありというのを伝えたかったものです。
潜水艦の船団追跡の時間は発射管への再装填の時間でもありました。 攻撃を受ける側には間を置くことのできない緊張の時間でした。攻撃を受ける側はふいうちでそこから記述がはじまりますが、攻撃する側は射点に占位するまでの長い前段の話があります。
1943.10.06 給油艦風早への Steelhead(3) (SS-280)、Tinosa(3) (SS-283) の攻撃、撃沈も 14の例に加えたいと思います。
> 16 RAMAGE艦長 PARCHE(SS-384)
O'kane艦長のTang(SS-306)もこの例外に入るようです。自己申告なので、艦長の個性により報告の派手さも変るということもあるようです。
S. Dealey艦長 HARDER (SS-257) は駆逐艦 雷の撃沈記録を "Expended four torpedoes and one Jap destroyer." とだけ書いたそうです。
(雷の場合、おびき寄せてじっと観察してから去り際を撃ったように書いてある本もあります。)
IWA