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再度、艦載水上機の質問です。 日本の戦艦や巡洋艦は搭載機のための格納庫を大和型や大淀を除いて持っていませんが、、、 1.なぜ無かったのでしょうか? 利根型など航空艤装を優先したように思えるのですが。 2.ハワイやミッドウェーといった遠隔地に赴く場合、その間の整備はどうやっていたのでしょうか? 空母に移したりしてやっていたのでしょうか? また航海中も風雨にさらされるわけですがシートのグルグル巻きとかで対処したのでしょうか? TOTO |
- 主兵装以外は極力重量を軽減し、もって高性能化を図ったわけです。日本の重巡は兵員室にベッドがなく、兵はハンモックで寝ていました。固定式のベッドがなければ昼間の兵員室はその面積分有効活用もできます。欧米の重巡はたしかベッドだったはずです。兵の疲労の多寡も重要な戦力要素なのですが(つまり、単純比較で熟睡できた兵のほうが睡眠不足の兵よりも戦闘能力は上)、そこは日本海軍伝統の精神力で克服する自信があったのでしょう。
本題にもどると、重量軽減を図ればその分主砲や魚雷発射管を多く積めるわけですし、機関が同じなら、速力もUPするということです。
みいくさ
- 利根型重巡の例では、丸スペシャルNo122「重巡 最上型/利根型」の中で、格納庫を装備せず、全て露天繋止とした理由は「水偵を連続発進させるため」であったと書かれています。
ちなみに、日本海軍では重巡妙高型と高雄型が、新造時に搭載機用格納庫を装備していましたが、近代化改装された際に撤去されています。
なお、遠隔地での長期作戦行動の場合について、先の丸スペシャルNo122の中では、ハワイ作戦に参加した利根型の関係者の回想として「(前略)長期にわたる水偵の露天搭載は、実際の発進時に支障なく可動できるかどうか非常に不安があった」と紹介されており、「格納庫の必要性は日本海軍内部でも問題とされていたらしい。この点、戦時に竣工した大淀が、大型格納庫を備えていたことは大変興味ぶかく思われる。」と締めくくられています。
つね
- 大和型の場合は、艦のどこに置いたとしても、露天の場所では主砲の発砲による爆風に耐えられないため、あのような艦内配備にしました。(艦載艇も同様)大淀型の場合は、その搭載機の用途が長距離偵察機という特別任務の為に、特に整備と保守の為に格納庫を設置しました。他艦の場合、みいくさ様のおっしゃるとおり、それ以上に重要な問題の為に格納庫の場所と重量を浮かせたかったというのが、妥当な推論でしょう。また、通常、日本海軍の構想では、艦は単独行動をあまり前提としてはおらず、また2〜3機の搭載x数隻でカバーできるものと考え、露天繋止に踏み切ったのではないでしょうか?
ちなみに、お察しの通り、通常はシートで一部をグルグル巻きです。(エンジンや操縦席周りとかは、ですが)他の部分、翼などは何もしていなかったようです。動翼部分は、竹や木で作ったクリップのようなもので動かないように固定していました。(丁度輪ゴムで箱を止めて開かない様にした状態を想像してください)当然、担当部署の日課は、毎日毎日、整備と点検です。
Lachesis
- 旧式戦艦にも巡洋艦にも搭載機用格納庫を設けるべきであるという方向付けは早くからなされているのですが、艦の構造上の問題や改装工事の都合により妥協している、というのが本当の姿に近いようです。格納庫が充実しているように見える大淀も当初の検討では更に充実した甲板下への格納案が上がっています。やりたいのは山々だけれど都合がつかなかった、というのが正しい説明ではないかと思います。
BUN
- 皆様、回答ありがとうございました。
みいくささんの回答を読んだ時点で、日本の主力艦は西太平洋での邀撃作戦のため建造されたのだから、航海日数自体が少なかったためだろうと思っていたら、自然と、短い日数だったら露天でも構わないだろう、大淀が格納庫をもっていたのは潜水艦による長期間の漸減作戦支援のためだろうという答えになろうとして、その後の方々の回答で、格納設備の必要性は認識はされていたことを理解しました。
TOTO