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艦橋頂部に21号電探を増設した「翔鶴型」ですが、それまであった艦橋頂部の九四式高射装置は文献によって「撤去された」「左舷に移設された」と両者あるようです。 しかし、18年9月にブラウン環礁で仮泊中の「翔鶴(推定)」や19年10月のエンガノ岬で行動中の「瑞鶴」等、写真では左舷側に移設されたらしい九四式高射装置(計2基)が見えなくもない上、書籍資料でもかなりの割合で「左舷2基」を描いたケースが見受けられますが、スケールを問わず“模型”でこれを再現した方を見かけません。 「歴史群像シリーズ 日本の航空母艦パーフェクトガイド」でも17Pに21号電探設置後の1/700「翔鶴」があり、この模型が現時点で最も正確、精密な「翔鶴」との事ですがやはり左舷側の高射装置は移設されていないようです。(以前、モデルグラフィックス(?)でも超絶な出来の最終時「瑞鶴」が掲載されていましたが左舷1基でした。) 何か因縁があるのでしょうか? 素人モデラー |
- そのことについては実は私も前前から疑問に思っていたのです。
「丸スペシャル空母翔鶴・瑞鶴」のP16に、南太平洋海戦時の翔鶴の飛行甲板の写真が載っていますが、左舷の9メートルカッター格納位置あたりに確かに九四式高射装置らしきものがはっきりと写っています。
制止装置の横で、整備兵が3名その上に乗り、出撃する零式艦戦に手を振っています。
これには誰も気がつかなかったのでしょうか?
みいくさ
- >1.
ご指摘の写真は、おそらく滑走に入ろうとする零戦21型(垂直尾翼にE1-111と記載)をキャットウォークの上の乗組員が見送っているという写真だと思います。これは、長らく南太平洋海戦時のものと言われてきましたが、最近では、搭載機に書かれている「E1」の識別符号が第5航空戦隊の1番艦を示すもの(瑞鶴はE2)であり、南太平洋海戦時には翔鶴・瑞鶴は昭和17年7月に新編成された第3艦隊第1航空戦隊の1番艦(識別符号「A1」)であったことから、昭和17年5月の珊瑚海海戦時の写真であると判定されています。
この時期、まだ翔鶴は21号電探を搭載していませんので、当該写真に写り込んでいる高射装置は、新造時より左舷用として舷側に装備されていたものです。
(場所的にも新造時のものと符合します。多くの本に掲載されている瑞鶴の新造時を左舷から撮影した写真を見て頂ければわかります。翔鶴級には左舷用、右舷用それそれ2基づつ、計4基の94式高射装置が装備されていました。)
さて、問題の21号電探搭載後の高射装置位置についてです。
僕自身、本当にそんなことをしたのか、やや確信がもてないのですが、光人社から雑誌「丸」編集部編として発行されている軍艦メカ・シリーズ2巻「日本の空母」のP15の記事を引用すると、「翔鶴は昭和一七年初夏に二一号電探が搭載され、その空中線(アンテナ)が艦橋構造物上の九四式高射装置の上に装備された」とあります。これが正しいとすれば、艦橋上の高射装置は撤去も移設もされなかったことになります。
つね
- 補足。
搭載機の尾翼に書かれている搭載艦の識別符号は、アルファベットとローマ数字の組み合わせです。従って、第5航戦時代の翔鶴搭載機は「EI」、瑞鶴搭載機は「EII」、第3艦隊第1航戦になってからの翔鶴搭載機は「AI」、瑞鶴搭載機は「AII」になります。前の記事では、つい普通にアラビア数字で書いてしまいましたので、誤解なきよう。
また、前記事で引用した軍艦メカ「日本の空母」(1991年発行)では、第1航戦に編成された後も昭和18年まで識別符号はそのままだった、という記事もありますが、より発行時期の新しい学研の歴史群像シリーズ「翔鶴型空母」(1997年発行)で、前記事で書いたような理由で、当該写真は南太平洋海戦時のものではなく、珊瑚海海戦時」のものと断定されている、という旨の解説ありましたので、より新しいものを信頼することとして、書かせて頂きました。
つね
- つね様のご指摘、なるほどと思い、ほぼ了解しました。
ただ、ひとつ疑問なのは、公表されている図面と異なる位置→つまり9メートルカッターの格納位置あたりに高射装置らしきものが見えるということをどう理解すればよいと考えておられるのでしょうか?
みいくさ
- つまり、左舷用として艦橋上に1基、前部エレベーターの後端の線付近に1基、そしてその十数メートル後方に問題の「1基」??
みいくさ
- 昭和18年に砲術学校で纏められた対空兵装の配置図を見る限り、左舷側の高射装置は既設高射装置の後方に装備されていたようです。
艦橋トップの高射装置は、電探の装備に伴い移設されたと思います。少なくとも写真からはそう見えますね。
tackow
- ご指摘の件を受けまして、再度、写真を見直しました。
確かに、よく見直しますと新造時の高射装置位置より少しズレていることがわかりました。前記の記事につきましては、当方の誤りであったことをお詫びして訂正いたします。
では、問題の写真に写っている高射装置らしきものは何か?本当に高射装置が左舷に2基あったのか、それとも何か別の装置なのか?ということです。
高射装置であるとするなら、少し飛行甲板に近接しすぎており(旋回の余裕がほとんどない)、またサイズ的にも少し小さすぎるように見えます。
写真位置からすると、問題の円筒形構造物と台形の物体の位置は第1滑走繋止索付近の作業員控所あたりと思われるのですが、現時点では手元の資料で該当するような装備が発見できせんでした。強いて言えば位置的に「着艦照明灯」なのではないかとも思うのですが、形状がやや異なるようにも思えますので、少し調べてみたいと思います。
つね
- 第三艦隊になってからの番号はローマ数字ではなく、アラビア数字で「A1−1−○○○」「A2−1−○○○」です。しかもこの記入法は南太平洋海戦後に導入されたのかもしれません。
BUN
- ええ、南太平洋の頃の一航戦三番艦瑞鳳が「EIII」をつけている写真が現存しており、翔鶴・瑞鶴も「EI」EII」だったと考えるのが妥当なのではないかと考えています。「EI-111」号機の写真を南太平洋のものではない、とする根拠として耳にするのは、甲板に落ちた影から考えられる太陽の高さが南太平洋海戦での発艦時刻と一致していない、というようなことだったりするのですが、しかし、周囲の乗組員の長袖着用が珊瑚海海戦以降に指定されたものであるとか、うまく条件にあてはまる場面が南太平洋海戦以外では見出しにくいのです。
片
- もうひとつ大事なポイントを上げるとすると、EI-111の滑走開始前の写真を見ると、最艦尾の二式艦偵らしき姿が写っていることです。珊瑚海ということはあり得ないのです。
片
- ええ、あれが二式艦偵であればまさに確実ですね。
BUN
- 「丸スペシャル空母翔鶴・瑞鶴」は長年にわたり手元において舐めるように眺めてきたのでいくつかの図面と異なる事実をつかんでいます。時間をかけて見ていると面白い発見をすることがあるのです。
94式高射装置の装備位置ですが、第1滑走繋止索と第2滑走繋止索の中間線の付近と見ています。右端に5〜6名手を振っているのが伸縮継手の付近の作業員控所で、零式艦戦の向こうに大勢いるのが機銃郡直前の控所だとすると、その中間よりやや前方と見ています。つまり9メートルカッターの格納位置なのです。
つね様ご指摘の「飛行甲板に近接しすぎ」の件ですが、写真をよーく見ると、特に右端の控所と比較すると、かなり離れているように私には見えます。飛行甲板に接しているとすると3人の人物が小さすぎるように見えませんか?右と左の控所の人物達と比較しつつ、よく目を凝らし見つめてみてください。
つまり第1滑走繋止索付近ではなく、第1と第2の中間線付近やや離れた位置にあるように私には見えます。3名のうち右端の人物が座っている付近に、天蓋の縁に白線が放射状にひかれているのが見えます。どなたか94式高射装置に詳しい方のご教示をいただきたいと思います。
みいくさ
- 遅ればせながら質問者です。皆様のご回答を見ているうち「頼ってばかりではいられない」と手持ちの写真集を引っぱり出しておりますが、考えれば考えるほど難しくなってきました。
なお、今回のご回答につきまして、特に零戦「EI-111」号機の発艦シーン等が引き合いに出されておりますので私も再考証してみます。【なお、当方「丸スペシャル」は所有しておりませんが、学研歴群シリーズ「翔鶴型空母」及び光人社「日本の軍艦3(空母I) 別巻2(図面集)」、双葉社3D CGシリーズ「翔鶴」らで見てみます。】
特に学研歴群「翔鶴型」は後発だけあってその「EI-111」号機等の発艦に関する写真に注釈、解説まで付記されており説得力があります。
それによると、飛行甲板上及び舷側の設備の位置関係諸々は「12」でみいくさ様の仰る指摘が正しいように思えます。同じく同書に掲載されている1/100「瑞鶴」も併せて見てみると、円筒形の物体傍の台形の物体はつね様の仰る「着艦照明灯」が位置的にも形状的にも正解なのでは(そうとしか言いようがない)?・・・とも感じます。
ただ、疑惑の円筒形の物体周囲にいる3人がその他の場所の人と比べて小さすぎるのでは? という指摘についてはあまり差がないように思えます。(ただ、右端の探照灯格納蓋すぐ横で見送っている人(他の人に比べ黒っぽく写っている)だけは、身を乗り出しているせいか大きく見えますね)
さて、「高射装置は1基か2基か?」という本題ですが、この円筒形の物体が増設分の高射装置だとすると明らかに小さすぎます。1人がどうにか上に乗って座れるような装置の中に7名が中に入って操作できるとも思えませんし、1/100「瑞鶴」の模型を見れば着艦照明灯と九四式高射装置との大きさの差は赤ん坊と大人の違いくらいあります。(なお、写真で見えているこの円筒形は形としてはおかしいですが、ひょっとすると高射装置頂部のフード部分かも!?)
なお、ブラウン環礁での「翔鶴」らしき写真ですが、左舷2基あるらしい物体のうち、前部の方が形状が大きいような気がします。(下部の水面見張方向盤の影響かも知れません)
あと、映画ロケに協力する「瑞鶴」から搭載機が発艦するシーン(これも歴群「翔鶴型」に写真あり)にも左舷前部高角砲座(2基)の後ろに不鮮明ではあるものの「らしき物体2つ」があるように思います。(これには9mカッター(?)も写っており、カッターを挟んで2基があるように思えます。)これもみいくさ様の考察を裏付けている感があります。
一方、「3D CG 翔鶴」では、時期的に見て最新刊ですが、110Pを見れば「高射装置を取り去り21号電探を設置」とあります。さらに「(前略)レーダーを装備するには何かを降ろさなくてはならない。そこで選ばれたのは測距儀と探照灯(以下略)」とあり、移設云々については一切書かれていません。
さらに、つね様の仰る・・・
>「翔鶴は昭和一七年初夏に二一号電探が搭載され、その空中線(アンテナ)が
>艦橋構造物上の九四式高射装置の上に装備された」とあります。これが正しいと
>すれば、艦橋上の高射装置は撤去も移設もされなかったことになります。
という事ですが、これは光人社「日本の軍艦3」にも同じ解説をされています(同社なので当然か?)。
撤去も移設もなく、高射装置上に置かれたとすると、イメージとしては測距儀上に電探を設置した「伊勢型」「金剛型」のような感じになろうかと思います。
しかし、これについては電探装備後の「翔鶴(?)」の写真(大きな海軍旗がマストに掲げられているのも写っている)で丸いブルワークに囲まれたような感じで電探が積まれています。(←つまり、高射装置は艦橋上に無い?)
その反面、光人社「日本の軍艦 3」140Pで零戦三二型が発艦しようとする姿を撮った南太平洋海戦時の「翔鶴」では高射装置らしきものが艦橋上にあって「修正のため測距儀上の電探は消されている」といった写真もあり、「艦橋上に高射装置+21号電探」という説も否定できないように思えます。
長文でありながら全然まとまってません(汗)。申し訳ありません。
素人モデラー
- 「らしき物体」の天蓋?上には3名の整備兵が乗っており、うち2名は手を振っていますよ。
みいくさ
- >14
昨日は長文故、目を使いすぎて過労していたようです。
一晩明けて見直してみると、3人のうち中央の人が「らしき物体」の最も頂部(フード部?)に座っているようです。昨日疑問に思っていた「高射装置にしてはあまりにも小さすぎる円筒」が、実は「らしき物体」の右半身という事が言えそうです。
素人モデラー
- 皆さん方の素晴らしい考察に触発されまして、私もちょっと調べてみたり、考えたりしました。結論は出ませんでしたが(苦笑)
・左舷への移設説
学研の「翔鶴型空母」に内地で映画のロケに協力して発艦する雷撃機から撮影された写真に左舷側が写っていますが、ほぼ同じ大きさの塔状の物が2つあります。レーダを装備する前の1/100のモデルでは、ここには高射装置、機銃射撃指揮装置と並んでいますが、機銃射撃指揮装置の方が小型ですので、これが移設された高射装置ではないでしょうか?
もっともエンガノ岬沖で空襲を受ける瑞鶴の真上から見た写真では(こちらも不鮮明ですが)どう見ても大きな円筒と小さな円筒に見えてしまうのですが。。。
・高射装置の上のレーダ説
戦艦の測距儀ならともかく、高射装置のような小さな物の上に21号レーダのアンテナは載るでしょうか? 大きさ、アンテナによる視界不良を考えても、ちょっと難しいとは思いますが
・撤去説
一言で移設といっても射撃指揮装置です。簡単ではないはずです。砲の旋回面と指揮装置の旋回面を同一にしなければいけませんので、その調整も相当の手間がかかったはずです。
また、左舷の高射装置が2基になるということは4門ずつで2目標を狙えますが、それが効率的だったのか? 秋月型でも4基8門の砲に対し高射装置は1基です(この理由も異論はあると思いますが)。1目標に対して8門でも足りないのに、4門ずつ分けることに意味があるのか、と考えますと1基で充分だったと思えるのです。
というわけで、個人的には撤去説を支持したいとは思っていますが、確たる証拠も何もありません(汗)
TOTO
- > #16 TOTOさん
> ・撤去説
空母瑞鶴(神野正美著)や、瑞鶴戦闘詳報(エンガノ岬沖の戦闘時)とかを見ると、高射装置は4基あるように思えます
セミララ