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つづいて 1969年に父島を訪れ「濱紅丸」の残骸に戦没商船(商船軍属)の無念さに心打たれました。 当時は歩いていけそうな浜辺に赤い骸と往時そのままの三本マスト?(痕跡だったのか)が印象的でした。ガイドが「沖合いに沈んだのをチリ地震津波で打ち上げられた」と説明してくれました。 しかし、最近の写真ではただの真っ赤な沈船で、上部構造物は全く見当たりません。何かあったのでしょうか? このサイトの趣旨と異なるかも知れませんが、心に引っかかってなりません まんぼう0146 |
- この船は浜江(ひんこう)丸という名前らしいです。赤錆が印象的なので、「浜紅」とも言い慣わされているようです。
いくつかウェッブ上であたって見ました。 風化して消え去る運命ということのようです。 60年もよくもったものです。境浦というところがとても波静かだということが幸いしたようです。(あと米軍統治下だったり遠隔地だったりして故鉄業者の回収対象にならなかったのか。)
以下 www.google.co.jp 検索結果
・濱江丸について。
http://home.att.ne.jp/gold/km/chichi/sakaiu.htm
(サイパン島から決死の脱出行を果したのですが、ついに本土には行きつけなかったようです。このページの写真は外板も剥落した船尾〜機関室部分で4〜5筒の主機が見えています。)
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/7151/zukan14.htm
「平成9年に台風が連続して島を直撃した影響で、現在ではほとんどその原型を止めていません」とのこと。
・濱江丸の変化(1996-2001)
http://homepage1.nifty.com/axe/photo/hinkoumaru/
・父島 二見湾 沈船位置図
http://www42.tok2.com/home/fleet7/ogasawara/page030.html
・同ページの1975年頃の観光写真
http://www42.tok2.com/home/fleet7/ogasawara/card/hinko.jpg
・大連汽船について
http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/1996/00165/07/contents/07-031.htm
IWA
- 回答有難うございます。 浪打際の沈船は50年の歳月では朽ち果てるものなのですね。 海底擱座なら、もう少し長く原型を止めていれたかも
まんぼう0146