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日本海軍の駆逐艦に関して二つほど質問したいと思います。 1.戦前、あるいは丁型駆逐艦の計画が浮上する以前、島風(丙型)よりも新しい、次の世代の駆逐艦の構想は海軍にはあったのでしょうか。 2.1とは関係なく、海軍は将来の駆逐艦の主砲は従来の三年式でも良い、と考えていたのでしょうか。それとも別の砲を採用するつもりだったのでしょうか。 涼月 |
- 1.主旨は違いますがFナンバーは忘れましたが乙型に丙型の機関を積むtypeの計画は一時存在したようです。(一次資料でなく古い丸のレベルの記事の記憶からなので正確性についてはその辺のことをお含み置きください)
部外者
- 昭和16年策定のマル5およびマル6計画においては、新造の艦隊型駆逐艦(水雷戦隊の主力としての駆逐艦)33隻は、全て島風型として計画されていましたので、島風級の次の世代の艦隊型駆逐艦は具体化されていなかったものと考えます。
秋月級は元々駆逐艦として計画されたものではありませんし、丁型は護衛駆逐艦と呼ぶべきものです。
主砲の件ですが、少なくとも太平洋戦争勃発までは基本的に3年式でよいと考えていたのでしょう。最新鋭の島風型がそうなのですから。
夕雲型で、陽炎型で一旦あきらめた主砲の高角射撃能力を復活させているところを見ると、対空砲力の増大に関して無関心ではなかったのでしょうが、日本海軍で艦隊型駆逐艦(水雷戦隊)に第一に求められたのは、「砲力」よりも「高速」と「重雷装」でしたから。
つね
- >つねさん
丁型は消耗激しい駆逐艦の補充を目的としたもので、
明らかに艦隊型駆逐艦ですよ。性能が必要最低限なのはご存知の通り。
勝井
- >3
護衛駆逐艦ではないにしろ「明らかに艦隊型」と断言出来るのでしょうか?
tackow
- だって既存駆逐艦の損耗補充であることを計画段階で高らかに謳っているじゃないですか。
他にどう解釈しろと?
勝井
- ここで議論しても仕方がないけど。「艦隊型損耗の補充艦=艦隊型」と言えるのか、ということですね。「艦隊型」であるならば、大和の沖縄突入にどうして丁型が加わらなかったのでしょう?
tackow
- 少々、言葉が足りなかったようです。
ソロモンなどの島嶼戦および高速輸送艦、護衛などでの使用により艦隊型駆逐艦が多数損耗したため、丁型がその補充として計画されたことは存じております。
しかし、高速輸送や船団護衛などせ、多くの駆逐艦が損耗したような使用目的は、本来の日本海軍が思い描いていた艦隊型駆逐艦の任務ではなく、、他国で言う護衛駆逐艦が当てられるべきものでしょう。そのような使い方を想定して計画された丁型は、艦隊型駆逐艦の補充とは言え、主力艦を相手に雷撃戦を演ずる本来の艦隊型駆逐艦の系譜からは外れたものと認識しておりますので、あえて「護衛駆逐艦」という言い方をさせて頂きました。
日本海軍に艦区分として護衛駆逐艦と艦隊型駆逐艦の区別はなかったと思いますので、どちらも「艦隊型駆逐艦」と呼べるのかもしれませんが、丁型の設計思想は島風級まで連綿と続いてきた「高速」「重雷装」を求めた特型駆逐艦の系譜からは明らかに外れていると思います。
つね
- 丁型の建造目的がたとえ艦隊型損耗の補充であったとしても、
18kts3500海里という航続性能を艦隊型として捉えるかは別問題ではないかと思います。
烈風天駆