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日本の空母で信濃ってありますよね。あの大和型戦艦になるハズだったヤツ。アレも魚雷で沈みましたけど、信濃には注排水システムは搭載されてなかったんですか? 紀伊 |
- 詳細は他の方がご存知とは思いますが、結論からいうと、システム自体は当然搭載していました。
惜しむらくはそのシステムを生かすだけの兵員の質(将官はまだしも)がなかったこと、艦自体も仕上がりが不十分な状態で戦線に投入されてしまったことです。
どちらか一方があればあのような沈没には至らなかったでしょうし、あるいはこのような最悪に近い状態で4本もの魚雷を食ってなお数時間浮かび続けられたところにも「信濃」の強靭さが垣間見えると思います。
(片舷4本食らえば、戦艦級でも通常は戦闘能力激減、下手すると「瞬時に」沈むことがあります)
zono
- 学研の歴史群像シリーズ「空母大鳳・信濃」の記事によれば、横須賀工廠造船部で信濃担当だった山内技師の覚書で「防水区画の気密試験省略はも水線部以上に限られていた」ということであり、また「進水後の在泊時に、10区画程度の抜き取り試験ではあるものの、注排水試験も行われた」ということです。
さらに、山内技師が信濃沈没後に作成した「空母信濃被雷時の注水操作について」によれば、右舷に被雷後、通常は直ちに左舷へ注水し、傾斜を復元しなければならないところ、注水弁の誤操作(つまり、注水したつもりが注水されていなかった。そして、その間違いに誰も最後まで気付かなかった)により、左舷への注水はついに実施されず、ついに転覆したと結論付けられています。
ちなみに、信濃の水中防御は空母改造までにある程度工事が進んでいたので、船体構造や注排水等の装備も含めて、基本的に戦艦「大和」と同じです。むしろ、磁気信管対策として機関部の船底の一部を三重底にする、ガソリンタンク周辺の区画にコンクリートを充填する(対魚雷対策としての効果は??)など、戦訓を取り入れた改良が施されています。
つね
- 信濃の護衛の駆逐艦に乗っていた人の話だと潜水艦捜索後戻ってみると「信濃は傾きもせず火災も起こしていなかった」という話を聞いたことがあります(実際は戻ってくるまでに注排水装置で傾斜復旧をしたものと思われる)その後呉へ向かっている最中(真夜中)に謎の轟音(本人は信濃内部のガス爆発だと聞いたそうです、少なくとも再雷撃ではない)が信濃のほうから起きそれから急に傾きがひどくなっていったそうです。(何の音だったのでしょう?)
ホーク
- >ホーク殿
信濃の沈没までの時系列を簡単に並べると、おおむね以下のとおりとなります。
昭和19年11月28日
21:00ごろ 信濃電探が不明艦らしきものを探知。護衛の「雪風」が反転調査するも、敵潜水艦は確認できず。
昭和19年11月29日
02:45ごろ 信濃見張員が敵潜水艦らしきもの発見。
03:05 敵潜水艦を見失う。
03:17 米潜「アーチャーフィッシュ」が信濃を雷撃。右舷に4本命中。
05:00ごろ 傾斜増大により主機関が停止し、航行不能となる。
06:00ごろ 艦の傾斜が20度を越える。
09:00ごろ 総員退去発令。
10:57 空母「信濃」潮岬沖の熊野灘に沈没。
以上のように、ホーク殿の言われる潜水艦捜索は、おそらく前日の雪風による捜索のことではないでしょうか?この時点では、まだ信濃は被雷していません。
信濃が雷撃を受けたのは3時17分のことであり、真夜中の「謎の轟音」というのが、すなわち「信濃」に魚雷が命中した音だったのです。
つね
- よそ者が済みませんがホークさんの仰ってるのはこちらの話だと思います。
http://www.amitaj.or.jp/~shibata/book/book_63.html
のなし
- >のなし殿
ご指摘のページ拝見しました。なかなか興味深い記事ですね。
実際にその場で体験された方の記事を、簡単に否定するわけには参りませんが、「信濃」については、第二次大戦中に竣工した世界最大の空母であるとともに、
竣工後わずか10日ほどで沈んだ悲運の空母として、たくさんの本に書かれており
ます。
4.の回答で書いた時系列は、そうした本などで広く使われている数字であり、
米潜「アーチャーフィッシュ」艦長、エンライト少佐も執筆に参加している
「信濃!日本秘密空母の沈没」でも、ほぼ同様の時系列が語られていますので、
信頼に値するものと思っております。
戦場では、往々にして情報の混乱があり、末端の水兵たちまでは正確な情報が
なかなか伝わらなかった、また戦後かなりの年数が経過してからまとめられた
ものということで、大変失礼ながら、記憶が曖昧になっていたり、他の体験と
混同されている部分もあったのではないかと推察します。
つね
- >5.、6.
本記事、「金剛」と「浦風」の被雷が昼間の出来事のように読めるのも奇異な気がします。「浦風」は艦影を認めるいとまもなく轟沈とも聞いています。 遺稿をまとめた方が比較的海事にうとく、編集の過程で手(過誤)が入ったのかもしれません。
IWA
- つね様、IWA様
確かに他の項を読んでみても、明らかにおかしいと思われる部分はあります。でも磯風の処分時の話など、微細は違ってもその場にいた方の強烈な印象にのこった情景はなんとなく想像できます。
ところで信濃の釜の火はいつの時点で消されたのでしょう?私はあとの轟音とはボイラーに水が入った時の事と考えましたが。
のなし
- 「空母信濃の生涯」などの記事では、被雷から約3時間後の午前5時ごろだったと言われています。
まず、被雷により右舷外軸が運転不能、ほどなくして浸水拡大のため右舷内軸も運転停止。しばらくは左舷の2軸で航行していましたが、右傾斜が18度に達しボイラーで使用する真水の供給ができなくなったため、左舷外軸、続いて最終的に左舷内軸も運転不能となり、信濃は航行不能状態に陥ったということです。
信濃に関しては、ボイラー浸水による水蒸気爆発が起こったという話を読んだことがないように思います。
つね
- 雪風乗員の久保木尚という方が絵心があって(波の書きかたに独特な意趣があります)、雪風関連のスケッチを幾つも残されています。信濃のものは、右舷に大傾斜して停止し、特徴ある艦首に曳航索をだらりととたらして後部エレベータ開口から蒸気を高く垂直に上げているもの見たことがあります。(世界の艦船誌の横井忠俊の記事の挿絵)少なくとも明るくなったあと(停止した後)も、罐は焚かれていたのではないかと思いました。(罐は傾斜しても焚けますが、照明・油圧の主動力の原動機の発電機は夜明け前に運転できなくなったのではないかと思っています。)
IWA
- 私がこの話を見つけるきっかけとなったサイトでは轟音の正体として、当時信濃にはガソリン及び火薬はつんでいなかったということから防水隔壁が壊れて浸水が広がった音ではないかという説が出ていました、そういったこと(防水隔壁が壊れること)はありうるのでしょうか?
ホーク
- 防水区画に浸水すると、そこに在った空気があらゆる開口部から外に押し出されますんで、浸水が急速になるとそれが著しくなって轟音となるんじゃないでしょうか。
アルゼンチン観戦武官ガルシア大佐も、日本海海戦で輸送船「ウラル」の沈没時に大きく強力なサイレンのような轟音を聞いたと自身の手記で述懐しています。
志郎家の番頭