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素人的な質問ですみません。日本の太平洋戦争中の潜水艦(イ25など) は飛行機を搭載してますけど、アメリカやドイツの潜水艦にはそのような 例を聞いたことがありません。潜水艦に飛行機を搭載したのは日本のオリジナルな発想だったのでしょうか? 模型屋 |
- イギリスのM2は格納庫に浸水し、船を沈め…
フランスのシュルクーフは作ったものの大砲ともども役に立たず…
ドイツのは所詮は凧に過ぎず、乗員の命はロープに全てを委ね、いざとなたらロープ切断…
やはり我が海軍は偉大です。
す
- 米海軍は潜水艦の索敵能力向上のため、潜水艦S-1を試験艦として航空機搭載に関する各種研究は行っています。大型潜水艦V-4建造の際には航空機搭載が真剣に検討されましたが、この際には水中における機動性の問題や格納庫に浸水した場合の脆弱性増大等の問題が指摘されたことと、更に航空機の能力不足もあって航空機搭載を見送っています。
これ以後も航空機の能力が改善された場合に備えて航空機搭載に関する研究は行われましたが、以後の潜水艦では航空機搭載が真剣に考慮されたことはありません(なお、戦後艦隊型から改装もしくは新規に建造されたレギュラスSLCM搭載潜水艦は、航空機搭載潜水艦と言っても良いとは思います)。
大塚好古
- 日本の巡洋潜水艦が飛行機を実戦運用できたのは、カタパルトを装備していたという要素が非常に大きいと思います。
潜水艦搭載機はその性質上、非常にコンパクトに作る必要があり、これが外洋での離着水性能にモロに撥ね返ってきます。
ドイツはAr231水偵を試作して失敗作に終わらせていますが、いろいろ不満な点はあったにせよ、止めを刺したのは風速10m強での離水、あるいは波高1mになると着水できないという点にありました。外洋ではこの条件は「奇跡的なベタ凪」の部類に入るものですから、つまり実際にはほとんど使える場面がないということで不合格になってしまったものです。
しかし、これとてカタパルトさえあれば多少の改良と運用上の工夫で実用できたはずの飛行機です。実際、日本の九六式小型水偵の離着水性能もこれと大差なかったわけですし。
フランスのシュルクーフ搭載水偵MB411に関しては、手前味噌ながら
http://www.warbirds.jp/data/fra/htm/mb411.html
をご覧ください。
まなかじ
- みなさま、有難うございます。そうすると実践で潜水艦搭載機を
活用したのは日本だけということになりますね。疑問が解けました。
模型屋
- >1
恐らくフランスのシュルクーフ建造を刺激した存在として
イタリア海軍の潜水艦エットーレ・フィエラモスカ(Ettore Fieramosca)
を挙げることができると思います。
同艦は、1930年4月の竣工時点では司令塔後方に格納庫を設けており
このスペースに水上偵察機を1機格納することが理論上可能と見られていました。
ところが例によって影響が好ましい物ではなく、
結局31年には肝心要の水偵を搭載することなく格納庫を撤去したようです。
1930年という、かなり早い時期に航空機を搭載しようとした姿勢は判るとして
果たしてこれに搭載する水上偵察機の用意は済んでいたのでしょうか?
烈風天駆
- ↑フィエラモスカの場合、計画当初から航空機搭載が予定されてましたが、肝心の航空機が製造に至らなかった事もあって1931年に格納庫を撤去したようですね。
大塚好古
- >5
それ、ちょっと疑問です。
シュルクーフ(着工1927年)とフィエラモスカ(着工1926年)は確かに計画年度で一年の差がありますが、竣工年度ほどの差はないわけです。
両艦のスケジュールを見ると、
フィエラモスカは着工1926年7月17日、進水1929年6月14日、竣工引渡し1930年4月、正式就役1931年12月5日というワリとのんびりしたペースでした(公試に1年半もかけて何をやっていたのだろう?)
シュルクーフはといえば建造途中で上構内部の設計変更や砲装関係での艤装工事のやり直しをしているので、着工1927年12月、進水1929年10月18日までは良かったものの竣工引渡しは1934年5月と大幅にずれ込んでいます。
ある程度構想がまとまっていなければ設計案を決定することはできませんから、フィエラモスカを見てからシュルクーフを作ったわけではないでしょう。
計画段階で両国が意識しあっていた可能性は多分にあるとは思いますが。
また、搭載機の開発ではフランスがはるかに先行しています。ベソンMB.35は1925年に開発が始まっており、つまり1924年にはフランス海軍は潜水艦に飛行機を積むことを決めていたということになります。
まなかじ