QQCCMMVVGGTT
2251 第二次大戦中の「艦砲射撃」について調べています。
(1)主に太平洋側の被害が詳細ですが、日本海沿岸、オホーツク海沿岸
  の被害はあったのでしょうか? 
(2)米英軍の攻撃以外に、ソ連・中国海軍の艦砲攻撃はあったのでしょう   か?   よろしくお願いいたします。
S 

  1.  (1)について
     1945年7月21日、重巡洋艦ペンサコーラ、軽巡洋艦リッチモンドとコンコード、第114駆逐戦隊(駆逐艦ビアース、ジョン・フッド、ジャーヴィス、ポーター、アンダーソン、ヒューズ、マクダーマット)からなる第92任務部隊(ブラウン少将)が千島列島北部の幌筵島を砲撃しております。同部隊による砲撃は8月11日にも、幌筵島と松輪島に対して行っており、駆逐艦マクダーマットは沿岸砲台からの砲撃により損傷しています。
     室蘭以外の北海道沿岸部が砲撃を受けたケースは存じておりませんが、潜水艦による砲撃の可能性はあります。ただし、アメリカ側が「天皇の浴槽」と呼称していた日本海への潜水艦の侵入はきわめて少数であり、あったとしてオホーツク沿岸部のみであったのではないかと愚考いたしております。
     被害の詳細については、当方の調査能力を超えておりますのでフォローしていただける方をお待ちいたしております。

     (2)について
     ボリス・スラヴィンスキー著「千島占領−1945年 夏」(1993年共同通信社刊)によると、ペトロパヴロフスクから千島占領の目的で送られた最大艦は、国境警備艦キーロフとジェルジンスキーで、同名の重巡洋艦と異なり102mm砲を3門ずつ装備していただけでした。他に130mm砲3門と76mm砲2門を装備してする機雷敷設艦オホーツクがあり、この3隻がソ連軍の占守島上陸時の艦砲射撃の中心であったようです。また、カムチャツカ半島南端のロパトカ岬に配備されていた130mm砲4門が占守島上陸を支援しています。なお、この時、片岡飛行場に配備されていた日本機がキーロフを空襲しております。
     中国海軍に関しては、そのような余裕はなかったと思います。

    hush

  2. ソ連海軍の対日戦における艦砲支援の実績は「ソビエト海軍」(D.Wミッチェル)によると

    朝鮮半島北部の清津に対して行われた上陸作戦への艦砲支援。(護衛艦6)
    千島諸島の要衝占守島に対して行われた上陸作戦への艦砲支援。(護衛艦2)

    で行われています。このほか真岡や元山に対する上陸作戦の護衛が行われています。
     あとソ連アムール河川艦隊による満州侵攻作戦の支援を行ったことがソ連海軍の対日戦でのめぼしい行動になるでしょうか。
    じょーぢ

  3. 1、について

    「日本水雷戦史」の記述に拠ると、>1で仰られたケースの前に
    1944年6月13日には千島列島の松輪島が
    米スモール少将の率いる重巡2、軽巡2、駆逐艦9の艦砲射撃を受けているようです。

    同書にはそれ以上の個艦名等は記されていないのが残念ですが
    時期的に見て、マリアナ侵攻への揺動作戦の一部ではないかと推測します。
    烈風天駆

  4. じょーぢ様、烈風天駆様
     高名なるお二方のフォローを頂戴し感謝に堪えません。

     清津砲撃に関しては帰宅してから調べさせていただきます(書込みがなければ分からなかったものと思ってください)。

     1944年6月13日の砲撃についてはErnest G. Small少将の率いる第94任務部隊所属の重巡洋艦チェスター、ペンサコーラ、駆逐艦イシャーウッド、ルース、第49駆逐戦隊(駆逐艦スプロストン、ウィックス、キンバリー、ヤング、ウィリアム・D・ポーター、チャールズ・J・バッジャー、ピッキング)が実施しています。同様の砲撃が同じ編成で5月26日に幌筵、松輪両島に対して(チェスターは不参加)、6月26日に幌筵島に対して行われておりますが、これに先立つ同年3月4日にベーカーWilder D. Baker少将の率いる同部隊第6群がリッチモンド、ルース、イシャーウッド、第49駆逐戦隊で幌筵島を砲撃しており、この時には日本船Kokai Maruを撃破しましたが、荒天により各艦が損傷を受けております。

    S様
     他にも北千島各島に対する砲撃はhttp://pacific.valka.cz/の中に散見されますので、一度、お調べになられてはと思います。なお、このページはチェコのページだと思いますが、MatsuwaがMacuwaになっているなど少し日本式のローマ字から逸脱している部分があります(表記自体は英語ですのでご安心下さい)。またThe Official Chronology of the U.S. Navy in World War II(http://www.ibiblio.org/hyperwar/USN/USN-Chron.html)や当方のソース集(http://hush.gooside.com/Source/Sankou/Sankou.html)に掲載してあるページ等が調査に役立つと思います。この部分の調査は比較的進んでいないようですので、まとめていくと非常に面白いものが出来るかと思います。
     御健闘をお祈りいたします。


    hush

  5. hush様、ぢょーじ様、烈風天駆様、丁寧な回答、貴重な資料有難うございました。空襲の記録に比べ、艦砲攻撃についてはあまり一般に知られていない
    もので、以前から興味を持って居りました。早速ご回答をヒントに、検索等してみたく存じます。重ね重ねお礼申し上げます。


  6.  樺太方面ですが、「艦砲」に潜水艦のそれを含めるなら昭和20年5月頃から樺太のオホーツク海沿岸が何度か米潜水艦による砲撃を受けております。
     7月には樺太北部の海豹島(チュレニイ島)に建設中であった海軍の電探基地を砲撃で破壊、なおかつ隠密裏に上陸部隊を送って樺太東岸の鉄道線路に破壊工作を行い、軍用列車を脱線転覆させた猛者がおり、バーブ(SS-220,Barb)が該当艦のようです。

     同じくソ連軍が樺太に上陸した際にも艦砲射撃を行っているようですが、手元に資料がないので詳細は不明です。
    天翔

  7. >hush様

    他力本願な回答に注釈を下さって有難う御座います。

    で、思いついたように(2)

    上記までで各諸氏が仰られたケース以外に、交戦状態が発生した可能性として
    ソ連駆逐艦トビリシ(レニングラード級)が旗艦を務める船団が8月15日にウラジオストクを出港。
    その後、朝鮮半島の羅津に敵前上陸を敢行して在泊の日本輸送船数隻を拿捕したようですが
    この際に同艦(を含む他艦艇)と在地の日本軍との間で交戦の可能性があります。
    (情報源にある「敵前上陸」という言葉が、強襲とも無血上陸とも読み取れるのです)

    後は…
    ソビエト海軍最新鋭軽巡洋艦チャパエフ級のカガノヴィッチとカリーニンが
    太平洋艦隊所属として対日戦に参加している記述を知っておりますので
    世艦の該等巻を当たっていけば、何らかの記載があるのではないかと思います。
    烈風天駆

  8. S様
     丁重な御礼を賜り、恐縮致しております。
    1につきましては出勤前にChronology of the War at Sea 1939-45.(1992年Naval Institute Press発行の改訂版)等をチョロチョロと見て書き込んだだけですので、フォローして下さった皆様の情報をもとに、若干補足してみたいと思います。
     じょーぢ様(あのう、名前を間違ってお書きになられておられると思いますが…)のお書きになられている「ソビエト海軍」は1981年に海文堂出版株式会社から出されております(なお、同書はA History of Russian and Soviet Sea Power by Donald W. Mitchell, 1974の抄訳ですが、第二次世界大戦に関する部分は全部訳されております)。また、中山隆著「一九四五年夏 最後の日ソ戦」(1995年国書刊行会刊)と言う本があり、樺太ならびに千島についてのみですが、この辺りのことが比較的詳しく記載されております。
     1945年8月9日の参戦時点でソ連極東艦隊(ユマシェフ大将)は7において
    烈風天駆様がお書きになられていますように軽巡洋艦カリーニン、カガノヴィッチ、嚮導駆逐艦トビリシ、駆逐艦12(旧式駆逐艦2を含む)、哨戒艇・水雷艇8、フリゲート(アメリカのアッシュヴィル/タコマ級フリゲートの後身で、海上自衛隊の前身である海上警備隊で使用されたくす級警備艦の同型艦)、機雷敷設艦10等が配備されていたようですが、巡洋艦の出動はChronology of the War at Seaに記載されておりません。また、「一九四五年夏 最後の日ソ戦」等でも各種上陸作戦でも直接支援兵力としての記述はありません。両艦はウラジヴォストークにあったと思われますが、同地からの作戦は南樺太の真岡への揚陸作戦のみであり、参加艦艇は哨戒艦Zarnitsa(ウラガン級警備艦のZarnicaならば450t、100mm砲x2)、機雷敷設艦オケアン等となっております。間接支援兵力として行動していたか、港内に留まっていたものと思われます。
     南樺太には、8月16日に北部の塔路、同20日に真岡、25日に大泊への上陸が行われております。前二者については艦砲射撃の記載はありますが、前記の2隻が中心となっているようです。
     千島での戦闘については1の(2)に述べた通りで、
    じょーぢ様のお書きになられている護衛艦2と一致します。
     朝鮮半島については「一九四五年夏 最後の日ソ戦」に記載がありませんので、Chronology of the War at Seaが情報源となりますが、8月12日、朝鮮半島北東岸の雄基上陸に始まったソ連軍の進攻はイワノフスキーN. S. Ivanovski少将の率いるフリゲートEK7(後のくす)、9(後のなら)の2隻を中心とする部隊に支援されております(「ソビエト海軍」記載の護衛艦2隻にあたる部分についてはChronology of the War at Seaではtwo patrol boatsとなっております)。
    8月12日に実施された羅津上陸には嚮導駆逐艦トビリシとフリゲートEK5(後のかや)が中心となっておりますが、トビリシは沖合を行動していたようです。在泊の日本輸送船数隻については調査未了ですが、おそらくはアメリカ陸軍航空隊機の投下した機雷によりソ連船数隻が沈没または大破しております。
     また、同13日の清津への上陸にはEK2(後のしい)が参加しておりますが、日本軍の抵抗により同15日に追加兵力として送られた船団には旧式駆逐艦ヴォイコフ、フリゲートEK1、3、8、9、7の艦名が見受けられます(この時も輸送船3隻が機雷原に突っ込んでおります)。同21日の元山進攻にはヴォイコフとEK3が参加しておりますが、日本軍の抵抗はなかったと書いてあります。

     天翔様
     フォロー多謝。御指摘通り、7月2日にバーブが北知床岬南方の海豹島を攻撃しておりました。Dictionary of American Fighting Ships第1巻(古い方です)によると、この攻撃は5インチ・ロケット弾を使用したもので、潜水艦によるこの種の攻撃としては最初のものだそうです。なお、同艦は敷香、知取等樺太東海岸の町も砲撃しております。

    hush

  9.  なお、天翔様のお書きになられた「最果ての海に−稚泊鉄道連絡航路小史−」第三章航路消滅の7の2「敵潜跳梁」(http://www.d1.dion.ne.jp/~j_kihira/tensyofleet.htmの文書資料室に収められています)にバーブによる鉄道破壊工作の様子が描かれております。この中で、1945年7月17日に工作が行われたと記されておりますが、The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II(http://www.ibiblio.org/hyperwar/USN/USN-Chron/USN-Chron-1945.html)等では7月23日の出来事となっております。しかし、この件について詳細の述べているThe Sub That Sank A Train(http://www.homeofheroes.com/profiles/profiles_fluckey.html)によりますと7月18日(アメリカ時間?)のこととなっております。おそらくはアメリカ側の資料の方が間違っており、前二者はそれに基づいたものと思われますので、念のため記しておきます。なおDictionary of American Fighting Shipsのバーブの項(http://www.hazegray.org/danfs/submar/ss220.htm)にはShe (Barb) next landed a party of crew volunteers who blew up a railroad trainとあるのみで、日付が抜け落ちております。

    hush

  10.  9におけるリンクが)の部分にまでかかっているため、エラーが出ます。)を抜いた形で、URLをご指定下さい。
     なお「海豹島今昔」(http://homepage2.nifty.com/abe-san/sub04.html)にバーブの同島攻撃のことが触れられています。

    hush

  11.  2261番にてa.abe様より#10のURLの訂正をいただきました。
     この時の砲撃の体験談も記載されており、非常に興味深いものがあります。
    hush


Back