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2219 ここでいいのかな・・・
江戸時代のいわゆる「薪水給与令」なのですが、捕鯨船等は補充した薪を何に使うのでしょうか?
(それとも、「薪水」というのは補給物資一般を指すのでしょうか。)
レギオン

  1. 捕鯨船上で鯨肉を煮て鯨油を取り出すときの燃料に使います。
    家鹿超八

  2.  推察で返答することを先にお断りいたします。
     
     レギオン様が「薪」という言葉に疑問を感じられたのは、当時の蒸気船の燃料は石炭ではないかという点があるからだと思います。
     しかし、当時の日本では石炭の利用方法は比較的少なく、一部の蘭学者が蒸気機関の存在を知っていたほかは、有明海沿岸の塩田で用いている程度であったと聞き及んでいます。
     また、蒸気船の方でも、燃料を石炭に拘らず、非常時には薪なども用いていた(宮古湾海戦前の「回天」や、大西洋横断船の各蒸気船)とされています。
     以上より、「航海に必要な燃料・清水を補給する」との意味で、お触書を見る役人一般に理解しやすい「薪水」の語彙を用いたのではないかと考えています。
     
    能登

  3. ありがとうございます。

    >1 
     よろしければ、延焼防止策(木造船ですよね)など、詳細を教えていただけませんでしょうか?

    >2 
    >当時の蒸気船の燃料は石炭ではないかという点
     それもありますし、当時(19世紀前半)の捕鯨船は帆船だったのではないか(ペリーでもあれですからねぇ)というのもあります。
    >有明海沿岸の塩田で用いている程度
     おおっ、初耳です。日本では石炭は使われていなかったと思いこんでいました。勉強になります。
    >非常時には薪なども用いていた
     そのような話は聞いておりましたが、具体例は知りませんでした。感謝です。
    レギオン

  4.  まず捕鯨船ですが、「薪水給与令」(1825)が出された当時はアメリカの捕鯨船が太平洋に進出して漁場を拡大しつつあった頃に相当し、中にはすでに日本近海まで到達して捕鯨活動をしたものがあったと推定されます。

     この頃のアメリカ捕鯨船は200〜400t程度の帆船で、機関とその燃料に膨大な重量とスペースを消費する当時の蒸気機関を搭載する余裕はありません。また、広大な太平洋のどこで燃料を補給するかも問題となります。
     特に捕鯨船は母港を出港すると、以後は消耗品を補給するため各地に寄港するだけで、船倉が鯨油で満載になるまで時には数年間帰港しないこともあったようです。

     当時は小型のボート数艘を下ろして銛で追いまわし、銛銃でとどめを刺すという捕鯨方法が用いられていました。捕獲対象としては、遊泳速度が比較的遅く、死後も浮力で海中に没しないマッコウクジラが中心でした。
     捕獲後の鯨は捕鯨船の舷側で鯨体を回転させながら皮と脂肪層を剥ぎ取り、残りはすべて投棄していました。しかる後に船内の釜で細切れにした皮を茹で、照明用の燃料として油を採取していました。

     この釜を焚く時に燃料が必要となるわけですが、当時蒸気機関を積んで外洋を航行していた船と言えば軍艦くらいで、商船が装備するには非常に不経済な代物でした。必要とされなければ燃料の補給地も限られてくるわけで、しかも当時ヨーロッパ〜日本航路の寄港地に備蓄されていた石炭のほとんどはイギリスから輸送したもので非常に高価かつ少量でした。

     というわけで、船上の簡単なカマドで鍋の湯を沸かす燃料としては薪が用いられていました。これなら陸地があればかなりの確率で得ることが出来ますし、帆船である捕鯨船は鯨油を搭載していなければ船倉が空いています。

     で、四半世紀の後、捕鯨船に薪を補給するためにペリーが日本にやってくるわけですが。
    天翔

  5.  さて、「薪水給与令」では、

     『〜外国のものにても難風に逢ひ、漂流にて食物薪水を乞候迄に渡来候を、其の事情相分らざるに、一図に打払ひ候ては〜』

    と、難破船が対象になっています。ですので、文面をそのまま解釈するなら単なる消耗品と考えてよいのではないでしょうか。船の上で煮炊きするには薪が必要ですし。
     薪を蒸気機関の燃料として用いる場合、良質の石炭と比べると木の体積当たりの炭素含有量は1/3くらいで3倍のスペースを食ってしまいす。ですので、特例を除けば通常は用いられなかったものと思います。

     ちなみにペリー来航で結ばれた日米親和条約全十二ヵ条の第二ヵ条には、

    "〜they can be supplied with wood, water, provisions, and coal, and other articles〜"

    で、「薪水食料石炭その他欠乏の品を補給するため」となっており、薪と石炭が別扱いになっていることから、薪が蒸気機関の燃料としては考慮されていないことが想像されます。

     ちなみにアメリカでは当時、中国に石炭があるのだから、近くにある日本でも石炭は産出するもの、と考えられていたようです。

    >自己レス
     「薪水給与令」って1842でしたね。ということはアメリカ捕鯨船はかなりの数が日本近海に来ています。蒸気機関ももう少し進歩して、商船にも搭載され始めてますね。失礼しました。
    天翔

  6. >木の体積当たりの炭素含有量は1/3くらいで〜
     ああ、なんか見かけ比重とごっちゃに計算してしまった。とほほ、忘れてください。

     ええと、とりあえず薪は石炭に対し発熱量で半分程度、積み方にもよりますが見かけの比重で多分1/5以下になると思います。要するにとても効率が悪いと言うことで。
    天翔

  7. >5 「薪水給与令」って1842でしたね
     天保の薪水給与令は、文化三年(1806)の撫恤令を復活させたものではないでしょうか。

     薪の用途ですが、甲板で火を焚いて居住区画を燻蒸し、ひどい悪臭を消すという事もやっていたそうです。
    ノースバーグ

  8. >6
     ご指摘ありがとうございます。「薪水給与令」とありましたので、ついアヘン戦争との絡みで有名な方を。
     1806だとすると、アメリカ捕鯨船はまだ日本近海には余り進出していないと思われます。蒸気船はまだ登場しておりません。

     なお、当時の捕鯨船が保存されています。掲載されている写真は>2の延焼防止策の回答にもなるかと思います。

     http://www.northstar.k12.ak.us/schools/upk/mystic/morgan/morgan.html
    天翔

  9. 「白鯨」によると当時の鯨の油を取る燃料のメインは鯨の脂身(油を取ったあとのカス)だそうです。(無論始めは薪を使うが節約のためその後は脂身を使い火力調節のためにだけ薪を使うそうです)
    ホーク

  10. みなさま、ありがとうございました。
    質問への回答のみならず、色々興味深いお話でした。

    レギオン


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