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明治時代の戦艦で富士だけ横腹の装甲がなぜ450mmも有るのでしょうか(戦艦大和でも410mm)?当時の材質が悪かったにしても前後の戦艦の扶桑や三笠は230mmぐらいなのになぜ富士だけ他の船の2倍近くも厚くて重い装甲をつけることになったのでしょうか? 稲妻銀河 |
- それほど当時の装甲の発達が急激だったのです。
三笠は富士の半分の厚さで、同等以上の防御力を有しています。
勝井
- >1
半分ダウト。
前後とはいっても、扶桑は明治11年竣工で、富士は明治30年竣工、20年近く違うのです。
つまりこの20年で大砲と装甲は巨大化しているのです。
ついでに言うと、扶桑は建造当時でも一級の装甲戦闘艦とは言い難い小型艦で、富士は当時世界最大最強級艦として建造されました。つまり20年前の二級品と比較したら、まあこのぐらい違ってしまうという事です。
次に、この明治30年あたりで装甲が新型に切り替わります。
従来の半分ぐらいの厚さで同等の防御性能を発揮するという浸炭装甲が登場する訳です。三笠等はそういう世代の装甲を採用する事で、富士の半分の厚さで済んだわけです。
で、問題になるのは、この従来型の「複合装甲」を採用した富士なのですが、実は設計時では「複合装甲」を予定していたのですが、急遽切り替えて、この新型「浸炭装甲」を採用しています。ただし重量等の都合や、性能を信用できないという面もあってか、当初の予定と同じ18吋の厚さで装着しています(ちゃんと焼入れと浸炭できたのかね・・・・)
よって、多分ですが、三笠等の倍の厚さの浸炭装甲なので、三笠よりは防御力があるかもしれません(でもどうなんだろうなぁ・・・)
富士の装甲厚は、ちょうど新世代装甲に切り替わる時期であったというのが理由でして、この時期の各国の戦艦は、このように非常に分厚いものといきなり半分に厚さになったものが混在しており、中々興味深い様相を呈しています。
SUDO
- 英語ですが、ここが参考になります。
ttp://www.warships1.com/W-Nathan/metalprp2002.htm
富士・八島当初予定:複合装甲(表面硬化層:軟鋼、背面:鋳鉄)
富士・八島・敷島・朝日・初瀬:ハーベイ鋼(表面浸炭・焼入れニッケル鋼)
三笠:クルップ鋼(表面浸炭・焼入れニッケル・クロム鋼)
耐弾性は、ハーベイ鋼は複合装甲の倍、クルップ鋼はハーベイ鋼の1.2〜1.5倍と言われますから、
富士・八島の装甲は敷島・朝日・初瀬より確実に強く、三笠をも上回る可能性があります。
ただし、敷島以降は装甲厚さを減らして軽量化した分防御範囲を拡大していますから、
船としての防御力は敷島以降の方が上です。
ハーベイ鋼は、厚さがどうであれ表面1in程度しか浸炭・焼入れしないので焼入れ性と厚みは関係無いかと。
表面焼入れの深さの差がハーベイ鋼からクルップ鋼への大きな進歩ですから。
AI
- ハーベイ鋼の耐弾性が2倍なのは錬鉄に対してです。なお、当時の英海軍の計算だと、複合装甲と比べて ハーベイ鋼の耐弾性は1.4〜1.6倍、クルップ鋼が約2〜2.1倍です。御参考までに。
大塚好古