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モデルアート増刊“軍艦の塗装”を購入して疑問に思った事を質問します。 この本では日本の空母の迷彩について様々なパターンが紹介されていますが、 その他の日本艦艇についてはそれほど複雑なパターンは多くなかったようです。 これは空母に関しては特別に研究されていたのか、それとも詳しい資料が残存しているのがたまたま空母だったのかどちらでしょうか。 前者だとすると、何ゆえ空母について凝った迷彩が研究されていたのでしょうか。 エラガバルス |
- >モデルアート増刊“軍艦の塗装”
モデラー向けの本と言う事を考えれば、「迷彩を施した空母は模型映えする」から沢山紹介していると考えて良いのではと思います。 商船だって一所懸命迷彩してましたよね?
リトルE
- 推測モードですので、ゴミレスになってしまうかもしれませんが御容赦ください。
まず、旧海軍における「迷彩」の位置付けですが、これは「上級司令部の許可がある場合に、艦長の判断により適当と思われる特殊塗装を行うことができる」というレベルのものでした。例としては、黛治夫大佐の「秋津州」があります。
さらに、太平洋戦争中期までは「迷彩塗装」と言えば各国とも「対潜水艦用の塗装」であり、艦の大きさや速力を誤認させることが主たる目的でした。
つまり、太平洋戦争以前は「航空機の攻撃能力は然程のものではない」と言う認識であったわけで、「航空機の脅威」が考慮されはじめたのはマレー沖〜インド洋作戦における旧海軍の戦果によるものでしょう。
(タラントや真珠湾では、停泊中の艦艇への航空攻撃であり、航空攻撃のみによる戦闘航海中の艦艇の撃沈はマレー沖のレパルスが最初です。)
ここからは推測なのですが。
「戦艦・巡洋艦等に凝った対空迷彩が見られないのは何故か?」これについては、以下の理由が考えられると思われます。
1.構造物の関係で、凝った対空迷彩を施しても意味がないと考えられた。
構造物の「影」により、迷彩塗装が迷彩の役目を果たさないと考えられた、あるいは、立体構造を塗装により平面的に偽装する塗装が困難であった。
2.費用(労力)対効果の有効性が疑問視された。
1.とも関連するのですが、実際に多大な労力をかけて塗装を行っても、それに見合う効果が得られないと判断された。
3.絶対的な物理法則に則った実験の結果
標的艦「摂津」において防空塗装の試験が行われたと言う話を聴いた覚えがありますが(ごめんなさい出典わすれました。教育隊時代に聞いた話だったような気が・・)、結論としては航空機が攝津を見失うことはなかったそうです。
理由は、艦そのものではなく、艦が引くウエーキを見失わなかったためです(つまり、ウエーキの先端には必ず船がいる、ということですね。)。
というような理由により、「戦艦・巡洋艦等に凝った対空迷彩」は停泊中しか有効ではなく、停泊中であれば塗装よりも枝等を付けた偽装網のほうが有効である、という結論に至ったのではないかと思われます。
空母に関しては、飛行甲板は平面ですので、「絵が描きやすかった」ということで、艦長の判断でいろいろと試されたのではないでしょうか。
元むらくも乗員
- 空母の迷彩に関しては個艦の艦長の判断で行われたのではなく、海軍中央からの通達によって実験された後に採用されています。この研究が始まった時期はかなり早く、昭和18年末頃には迷彩を実施する方針が固まっていたようです。(迷彩実験の通達が19年初頭に出されていることから推定です。その後、19年夏には実験艦に雲龍も追加されています。)基本的なパターンは航海学校が提示した商船用の対潜迷彩が基本になっているようですが、飛行甲板については当時認識されていた空母の脆弱性についての問題意識が影響しているのではないかと思います。
BUN
- 皆様ご回答ありがとうございます。
BUN様
>飛行甲板については当時認識されていた空母の脆弱性についての問題意識が影響しているのではないかと思います。
空母の脆弱性が認識されていたということは、空母については他の艦艇とは
異なる扱いをしようという考えがあったことが推測されるということでしょうか。
エラガバルス
- 空母は海上で最強の戦力と認識されていた反面、その脆弱性も認識されていましたから他の艦艇とは別に迷彩の計画があったのだと思います。
空母とほぼ同時に組織的な研究がなされていたのは潜水艦の迷彩塗装(写真に残っている上面が黒で側面が鼠色の塗装などです)ですが、これも潜水艦という特殊な軍艦の任務に対応しているのでしょう。実艦を何隻も使用した視認性の確認が水上、空中から繰り返されています。空母の迷彩実験の経過に関して詳しい記録が見つかっていないのが残念ですが、同じように試験されていたのだと思います。
BUN
- BUN様
ご説明ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
エラガバルス