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太平洋戦争中、陸兵は何度と飢餓に見舞われておりますが、海上で飢餓状態になった艦艇はあったのでしょうか? 酒保 |
- 帆船時代や、撃沈された後の救命艇(筏)内ではあったのではないか、と思いますが、稼動中の艦艇でそのような事象は起こり得ません。
なぜなら、食料等の搭載基準が「乗員数*(予定行動日数*1.5)日分の通常食料を搭載する」ようになっていますし、さらに非常用糧食として缶詰等を約1ヶ月分備品として搭載している筈です。
さらに、別枠で酒保管理の食料も搭載しています。
元むらくも乗員
- 飢餓ではありませんが、例えば日本海海戦で損害を受けたロシアの駆逐艦が、(他艦の将兵を救助したために乗艦人数が増えていた、という事情はあるのですが)のちに救助されるまでに深刻な水不足に悩んだ、ということがあります。
このように、軍艦内の生活で問題になるのはむしろ真水のほうではないでしょうか。
あの「大和」でも風呂に真水は使えませんでしたしね。
戦闘艦と言うこともあり、真水といえどもそう潤沢には積めないのでしょう。
食糧は最悪魚釣りでなんとかなるかも知れませんが…。
zono
- あれ?確か第二次大戦頃の軍艦にはもう海水から真水をとる装置があったと思いましたけど。ただ、それを動かす為には燃料がいるので風呂に使ってなかったんだと思います。真珠湾行く時に2航戦が燃料節約のために大幅な真水の使用制限してましたし。
tomo
- 原則的に元むらくも乗員さんのおっしゃるような感じで、普通じゃまず考えられません。
ただ戦時になると想像もしない事態に見舞われることがあるようで、例えば昭和19年1月16日に被雷し24日まで単独漂流を余儀なくされた駆逐艦「天津風」が数少ない例外に該当するでしょう。
救命艇による漂流ではなく、駆逐艦そのものが何日も漂流したという珍しい話です。
水は風呂桶にあったので何とか間に合ったが食料が尽きて難儀したという話が残っています。
概要はここ参照。
http://www.venus.dti.ne.jp/~jam/dd/record/frm/dd_frm_amatsukaze.html
どうでもいい太郎
- >3.
〜第二次大戦頃の軍艦にはもう海水から真水をとる装置があったと思いましたけど
海水より清水をつくる造水装置そのものは各艦に備えてあったようですが、現在のような浸透幕を利用したものではなく、単なる蒸留装置(海水を煮詰めて、蒸気を回収するもの)のようです。
一般的に、「清水1トンを作るのに、重油3トンを燃やす必要がある」と言われていたようで、緊急時以外にはあまり使われなかったのではないかと考えています。(ex)罐用清水タンクの破損時など )
また、この清水が飲用に適したものであったとは聞き及んでいません。
能登
- >3.tomo様。
現在の海上自衛隊艦艇でも、浴槽内は海水です。(幹部浴室・科員浴室とも)
上がり湯としてのシャワーのみが真水となっております。
>5.能登様。
現在でも造水装置で作った真水は衛生面では問題ないのでしょうけれど、とても臭いが強く、飲むのは抵抗がありますね。(塩辛くない海水を飲んでいるような感じです。)
>4.どうでもいい太郎様。
フォロー、ありがとうございます。「損傷艦の個艦漂流」は一種の救命艇と言う認識でしたので・・・感謝いたします。
元むらくも乗員
- 能登さん、元むらくも乗員さん、お手数おかけしました。フォローサンクスです。
tomo
- 飢餓ではありませんが、乗員の大半の発病により行動不能となると言う事件が日本海軍で起きています。これは、1918年12月、南洋方面での長期行動を終えて内地に帰投中の防護巡洋艦矢矧(先代)艦上での出来事で、流行性感冒の発生によりマニラに緊急入港後46日間にわたって行動不能となりました。発病者は最終的に300名に及び、48名の方々がお亡くなりになっております。
質問を拝見させて戴いた時に、この事件のことを思い出したのですが、艦名が思い出せませんでした。本日ようやく艦名を思い至りましたので、極めて遅いレスで恐縮ではありますが、記入させて戴きます。
hush