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「長門」「陸奥」の大改装の際に、主砲性能の改善のため、以前に製作されていた「加賀」「土佐」の砲塔を使ったと聞きます。 ところで、「加賀」「土佐」用に必要なはずの主砲砲身は、同様に製作されていたのでしょうか?。 あるいは「長門」などの予備砲身になったのでしょうか? それとも結局艦が未成のために製作されないままに終わったのでしょうか? どなたか御教授願います。 zono |
- 呉海軍工廠造兵部史料集成によると、
加賀・土佐用の製造は、完成していたのは8門砲塔数は4基程度のようです。
また、同資料では、長門・陸奥の砲塔は新製。土佐の砲塔が陸軍の要塞に転用されたことが記されてます。
SUDO
- 回答感謝です。
しかるべき文書にはちゃんとその辺の経緯が書いてあるわけですね。
ということは、長門・陸奥の新砲塔は図面からもう一度作りなおした、というわけですね。
砲身はそのまま積んでも数的に足りないから、また追加して16門作るのも馬鹿馬鹿しいので、
それを考えるとそのまま長門型の予備砲身になったと考えるのが順当か?
zono
- SUDO様
陸上砲台に転用された旧日本海軍戦艦の大砲はhttp://www006.upp.so-net.ne.jp/fortress/tsugaru/omaz.htmに掲載されているものがすべてでしょうか?もし、そちらでお持ちの資料でお分かりになる部分がありましたら、御教示戴ければ幸いです。
便乗質問で申し訳ありません。
hush
- >3
えっと、呉工廠以外でやったのなら判らないと思いますし、この本に書かれてることが全てともいえませんが。
呉海軍工廠砲塔工場の「主なる製作砲塔」から抜粋
大正14年 陸軍委託30糎砲2基改修据付
大正15年 陸軍委託30糎砲1基改修
昭和2年 陸軍委託30糎砲据付 1基改修
昭和3年 旧攝津30砲塔1基完成 旧土佐40糎砲塔改修
昭和4年 旧伊吹30糎砲塔1基改修 旧赤城40糎砲塔1基改修
昭和5年 陸軍委託旧伊吹後部30糎砲塔据付 旧土佐2番40糎砲塔据付
SUDO
- 結論としては、改修のみで据付が別だったのか判らないので何とも言えませんね。
ただ、まあ、土佐と赤城の砲塔3つは、その要塞砲になったんだろうなとは思います。
30糎は伊吹と攝津のは兎も角、他のは素性も判らないので、他にも退役した戦艦は居ますし、陸軍以外に在庫という可能性もあるでしょうから何とも・・・。
SUDO
- SUDO様
早速の御回答、ありがとうございました。
先のページをもとにまとめてみると、
鹿島 30cmIIx2→東京湾要塞千代ヶ崎砲台&壱岐要塞的山大島砲台
安芸 25cmIIx2→東京湾要塞城ヶ島砲台(1928射撃試験開始)
摂津 30cmIIx2(x1*)→対馬要塞龍ノ崎第1、第2砲台
鞍馬 20(30cm?)cmIIx2→東京湾要塞大房岬砲台(1928−31建設)
生駒 30cmIIx1→東京湾要塞洲崎第1砲台(1929−31砲台工事実施)
伊吹 30cmIIx2*→津軽要塞大間崎砲台(1924−9建設)&豊予要塞鶴御崎(丹賀)砲台
土佐 40cmIIx2*→鎮海湾要塞張子嶝砲台&対馬要塞豊砲台
赤城 40cmIIx1*→壱岐要塞黒崎砲台
40cmIIx3、30cmIIx9(鞍馬を含む)、25cmIIx2
(うち呉工廠で40cmIIx3、30cmIIx6+@を工事)
*は今回御教示いただいた資料に掲載されているもの
となります。要塞に転用された旧日本海軍戦艦の主砲のほとんどに呉工廠が関与していることになりますね。加賀、土佐用に建造された4基中2基が転用されたとすると、残る2基はどうなったのかと言う疑問は生じましたが、大体の流れを把握することができました。また、壱岐要塞黒崎砲台に設置された40サンチ連装砲塔は土佐のものではないかと言う説もあったようですが、これで赤城の主砲塔の転用であることは、ほぼ確実となりました。
お忙しい中、便乗質問であったにも関わらず丁寧にお答えいただき、本当にありがとうございました。
hush
- 鞍馬は20サンチでいいようです。
要塞探訪(http://www006.upp.so-net.ne.jp/fortress/)のMKNJ様、失礼いたしました。
hush