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2143 2140の質問とややかぶるのですが、WW2時日本の戦艦や重巡を見ていると、戦闘や事故により大規模な破壊を受けた主砲塔を交換せずに、機銃や、その他でそのスペースを埋めているように思います。又、改装時に最上型から撤去した15.5cm砲も大和型と大淀型に割り当てられた数からすると、それらが来るべき日米戦で修理不能な損傷を受けうた時の交換が出来ないような気がします。
いくら一回の決戦でカタをつけるつもりであったとはいえ、その程度の補修も考えられていなかったのでしょうか?それともなにか私の見落としがあるのでしょうか?
Sマイン

  1. 一度大きなダメージを受けた金属は金属疲労に陥ります。主砲塔損傷ともなるとその基部付近の交換が困難な船体構造の一部にもダメージが蓄積しています。
    そこに元通り主砲を配置した場合、被弾した場合や暴発した場合の危険性はより大きな物になる筈です。
    とすれば損傷の程度によっては砲等の予備があっても復元すべきではないとも考えられます。
    HCN

  2. ってことは、砲戦主体の大型艦っていうのは、大損害を受けたら元の攻撃力には治らないってことでしょうか?
    Sマイン

  3.  予備のストックはそれなりに有りますし、新造も出来ます。
     また最上から撤去されたものだけが、あの15.5糎砲塔の全数ではありません。

    SUDO

  4. >1さま : 一度大きなダメージを受けた金属は金属疲労に陥ります。
     許容応力以下の繰り返し応力で破壊が進むのを疲れと金属疲労と呼び、「ダメージを受けた」を
    許容応力以上の力がかかったと解釈すると、それはただ破壊したという事になるのでは。
     それにしても金属全部をくくってしまうのは、ずいぶん乱暴な説明ですね。例えば、軟鋼などでは
    一定以下の応力では疲れは進まないと習いましたが、新しい理論が出たのでしょうか。

    Ratheon

  5. 疲労の話が出たので。
    金属疲労というのは4の人が言われているように弾性変形(変形しても力が無く
    なれば元の状態に戻る、分かりやすい例えで言うとゴムです)の領域であっても、繰り返し変形していくと、そのうち
    に亀裂が発生して破壊するということです。航空機の与圧隔壁が代表例ですね。
    ただ、一定応力以下では疲労は進まないというのはどの金属でもある話です。疲労限という言葉があります。
    大きなダメージということは普通は塑性変形(変形して力が無くなっても元に戻らない、粘土ですね。)で、疲労云々の細かい話ではなく、要交換ということです。

    で、本題の質問に関する答えですが、単に本格修理をするだけの時間と金と設備がなく、とりあえず、応急修理をして、取り急ぎ、戦線に復帰させたということではないでしょうか?
    あるエンジニア

  6. どんな材料にも、潜在的に欠陥が存在しています。
    大きな応力を受けた材料は、材料内部に許容できない大きさの欠陥を生じたり、小さな欠陥が大きくなったりする可能性があります。
    材料が破壊するかどうかがは、「材料特性」「応力」「欠陥の形状・大きさ」で決まり、大きな欠陥があれば、小さな応力でも破壊します。
    また、それほど大きな欠陥でなくとも、そのまま使いつづけると、その欠陥が大きくなり(疲れき裂が進展して)破壊に至る可能性があります。
    1さんがおっしゃりたかったことは、破壊力学的に説明すると、こうではないでしょうか?。
    やはり要交換、要注意です。

    >4さんの、
    「軟鋼などでは一定以下の応力では疲れは進まない」
    (S-N曲線などの『疲れ限』のことと思いますが)というのは工学的に設計の目安となり重要な意味があります。
    しかし、「一定以下の応力では疲れは進まない」というのは、腐食環境下ではない場合、ある有限回数の一定振幅の繰り返し応力が材料に負荷されて、なおかつ、材料が破壊に至っていない応力振幅を『疲れ限』と決めているだけで、材料内部の微小な欠陥がどうなっているのかではありません(実は良く分かっていないのです)。
    そのため、材料内部に欠陥が存在しさらに大きな荷重が負荷されるような場合、疲れ限で評価するのは危険です。

    ニュースなどの報道では『(金属)疲労』と言っていますが、学問的には「疲れ」です。
    きりさめ

  7. 15.5センチ砲塔

    最上型5基×4隻
    =20基

    大和型4基×4隻
    大淀型2基×2隻
    =20基
    でちょうど数が合うと思っていたんですが・・・
    Kleist

  8. >7 陸上砲台として使っている例もあったはずです。


  9. >7
    いえ、ですから、大和型と大淀型が全艦完成したら、予備の砲塔がなくなってしまうと・・・。
    改装で撤去されたり、後期艦は建造中止などで結局そうはならかったですが。
    Sマイン

  10. 呉の15.5センチ陸上砲台は大和から降ろした奴だそうだから
    本当に
    15.5.センチ3連装砲塔の21基目があったんでしょうかねえ。

    >8
    大戦中に砲塔を失った艦といえば
    戦艦日向(第5砲塔)
    とか
    重巡青葉(第3砲塔)とかありますが
    砲塔の予備を用意していた
    (日本海軍がそのような予備を用意するシステムを確立していた)
    とは思えないんですが・・・

    まあ私が知らないだけだったりして。
    Kleist

  11.  そうですね、砲塔というパッケージは基本的に艦上・砲台上で組み上げるものですから、パッケージとして予備は無かったと思います。
     ただ、パーツとしては予備砲身はどの砲もありましたし、装甲材もストックしてありますので、数基の砲塔ならば船体修復期間中に組みあがると考えれられます(駆逐艦や巡洋艦の事例ではそういう方向でしたね)
     また大和型のパーツはストックがあったのかどうか判らないという事を聞いた事が有ります。
    SUDO

  12. 青葉は、サボ島海戦で損傷後、昭和18年2月まで、呉で約3ヶ月修理をおこなっていますが、この時は3番砲塔は(予備砲身がないため)復活せずに運用しました。その後、昭和18年8月から11月の損傷修理で復活しています。
    砲塔は、たとえ予備の鋼材があったとしても、特に装甲板や砲身材は高強度の高じん性を要求されるので、その製造加工には数ヶ月かかり、容易に製造できません。
    材料特性上、素材の熱処理などに注意点を要したり加工が難しく、形状を整えるだけではありません。また、損傷修理の場合、他の船体構造との兼ね合いもあります。
    きりさめ

  13. 損傷した主砲を撤去して機銃を増設したのは、
    対空兵装の充実と言う意味合いもあると思います。
    無頼庵


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