2141 |
こんばんは。御存知の方、御教授ください。 第二次大戦当時の魚雷は定められた深度で航走するためにどのような 機構を持っていたのでしょうか。過去ログにて「魚雷の深度調節は気圧を利用した装置による」という事は読んだのですが私の頭では機構のイメージが湧きません。 気圧(水圧?)計と潜舵が連動しているということなのでしょうか。 かめ |
- 水圧板(深度計測)と重錘(俯仰<ピッチ>感知)のセット「深度器」の信号をサーボモータに伝えます。
サーボモータは空気弁を動かし、操舵空気をコントロールし、横舵が動くという構造になっています(横舵機)
SUDO
- 今次大戦中の魚雷の構造については、http://www2.ttcn.ne.jp/~kobuta/emusi/gyorai/index.htmに当時の文献を元に図入りで説明されております。参考までに御紹介しておきます。
hush
- SUDO様 高名なSUDO様に御教授いただけるとは私は三国一の果報者です。
結構複雑ですね。電子制御なしでも機械制御でこれだけのことが出来るんですねぇ。過去ログにあった「気圧を利用」とは操舵がエアオペだって事なんですね。
現代の魚雷も制御の理屈は同じでしょうか?
hush様
hush様には開戦時の駆逐艦 潮・漣の行動についても教えていただきましたね。
お二方、無学者の愚問に丁寧な御教授ありがとうございます。
かめ
- 丁重なお言葉ありがとうございました。そのように言っていただけると、自分も多少は役に立つこともあるのだと言う気分になります。また、きちんと質問に答えようと思うと、調査を行うことが必要ですので、自分自身にとっても参考になります。時に常識と思っていたことを覆すこともありますので、こちらにとっても回答することは大切な行為です(実はこの間まで長門の主砲が410mmであると知らなかった未熟者です)。またお答えできる機会があればよろしいのですが。
hush
- >3
高名というよりは悪名高きって感じですが、これからもよろしくお願いします。
で、深度機ですが、発明されたのは1868年(明治元年)だそうで。発明者は魚雷の発明者であるWhitehead氏でした(彼が魚雷を開発したのは1864年と言われます)
色んな意味で物凄く先進的だったのです。
この基本的なスタイル、つまり深度と俯仰から舵を制御するという方式は基本的に現在まで用いられています。
1894年にジャイロを使った縦舵が発明されます。暫くはジャイロで直進をさせていましたが、日本海軍の91式航空魚雷では、投下時に魚雷が旋転してしまうことを防止するために、このジャイロと横舵を活用しました。
つまり落下中にジャイロで魚雷の旋転を察知すると、横舵を左右別個に動かして、言うならば飛行機のエルロンの役目を行わせ、旋転を抑止していたのです。
これは当然ですが水中に入っても作用し、縦横の舵が常に水平垂直を維持するように工夫されると共に、魚雷が能動的に舵を取って安定させるので、重心関係の設計が楽になりました(それまでの魚雷は左右に踊らないように浮力を重心前側に置くように工夫しており、頭部を軽くする必要から炸薬量をふやしにくかったのです)
91式は横舵で、飛行機で言うエルロンとエレベータの作用をさせて、旋転とアップトリムを自前で作りつつ、深度を安定させて疾走させるという構造になっていました。
恐らく第二次大戦時では、最も凶悪な魚雷構造の一つであろうと思います。
SUDO
- SUDOさまの後で、誠に恐縮ですが、我慢できず勝手に追加させて頂きます。
お題の「魚雷の深度調節は気圧を利用した装置による」は、深度計のレファレンスに大気圧のボトルを使っているとの意味だと存じますが、SUDOさまのご投稿のごとく、潜水艦では、3大動力のなかでも高圧空気を、一般人が想像する以上に活用しているのに、驚くことが少なくありません。
私は、91式航空魚雷の詳細は全く存じません(航空魚雷ノート買えよ!)が、第二次大戦直後に開発された、潜水艦用の電動魚雷では、ラダーやジャイロの駆動に高圧空気を使っていました。動力用の2個の大きな電池に加えて、モーターとギヤボックスの間に、ジャイロ駆動用とラダー駆動用の気蓄器が、別々に装備されていました。
せっかく電動魚雷にしても、気圧でコントロールしていましたので、深々度での運用が制限されたのではと想像しております。大変失礼いたしました(出典略)
豪腕少年タイフーン