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湾岸戦争終了後、海上自衛隊がペルシャ湾で機雷を処理して海外から高い 評価を得たと聞いていますが。他の機雷の処理に参加した国はどの程度の 期間の間にどれだけの機雷を処理したのでしょうか? SK |
- 海自が到着するまでに90%以上の機雷は処理されてました。
日本は後に残った処理の難しい機雷を50個ばかし処分してます(出先なので正確な数は不明でごめんなさい)
勝井
- 実際に掃海に参加された方からお話を聞いたことがあります。ついでに湾岸の砂もビンにつめて頂きました。
自衛隊の掃海能力は極めて高いとされていましたが、その装備のためではなく、訓練のたまものと言った面が強かったようです。例えば、水中作業をする場合、呼気を回収できる無音スキューバがなく、民生用のスキューバを使用していたため、排出される泡の音で音響感知機雷が爆発するのではないかとヒヤヒヤしたとのことでした。
富士見町
- 処理した機雷は34個だそうです。
なお、ペルシャ湾掃海派遣部隊落合一佐(当時)は、沖縄戦の時の沖縄方面根拠地隊司令官・大田実海軍少将です。
NHK TVでペルシャ湾派遣部隊の番組を見ていたのですが、ある乗組員の息子さんの名前(確か生まれたばかりだったと思う)が多聞君でした。
富士見町
- 日本の担当箇所は>1様のおっしゃるとおり、まだ他国が処分してない「難問機雷」でした。
簡単なところは様々な掃海具で機械的に処分できますが、その残り(イラクは敷設したと言うが、数が合わないところ)や、木箱に入れるなどの偽装が施され、その上ヘドロや砂に埋まり、発見そのものが難しいモノばかりでした。
…が、そこは海上自衛隊より歴史の古い掃海部隊。
その発見も処分も職人ワザで、一個一個処分していきました。
それは訓練でというより、戦後もずっと「実戦」が続いたから磨かれたモノでした。
ここら辺の話は、中公新書だったと思いますが「海の友情」という本に良くまとめられております。
もし近場の港に掃海隊郡のフネが入港しましたら、舷門当番にお尋ね下さい。機雷・掃海・機関あたりに当時を知る乗員がいるはずです。
…そのときに焼酎でも持って来て下されば、いくらでも話が聞けると思います(w
だめ機関科海士