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日本海軍の軽巡夕張について疑問に思っていることがあります。 夕張の主砲の配置がそれまでの軽巡に比べて合理的なのは理解できます。 ただ、連装砲を単装砲よりも上に設置している意図が理解できません。 あの連装砲は波浪や風雨に強い砲室に収まっているのですから、そうではない単装砲を波が被りやすい上甲板に配置するよりも、この連装砲を上甲板に配置した方が良いのでは、と思います。 その他にも重心やスペースの関係でも多少は有利になると思うのですが。 一体どういった過程であの配置になったのでしょうか。 涼月 |
- 船体を軽くするためだったと思います。配置を逆にすると船首部、船尾部
の幅を広げる必要があります。すると、そこに繋がる船体幅も広げる必要が
生じて、結果として排水量が増える。それを嫌ったからだと思います。
福井静夫著作集の「日本の巡洋艦」の夕張の項目に、そのように記述して
あったと思いますが、今、手近にないので確実ではありません。不確実なレ
スで申し訳ありません。
hush
- 1と同じことですが。
何故船体が細くなるかと言うと、
砲塔にはその下に対応する弾薬庫が必要で、前にある弾薬庫を小さくし、後ろのを大きく出来るので、ああいう配置と言うことですね。
波をかぶって・・・という問題ですが、波をかぶって困るのはどの砲塔も同じで、夕張の1番砲も露出砲塔ではありません。
仮に、波が問題であれば、むしろ砲門の多い砲塔を上に逃がしたほうが、戦力維持の観点からは有効でしょう。
クリスティー
- >2
夕張の1・4番砲塔はオープンシールドでしょう。
2・3番砲の砲身下に1・4番砲の砲員を保護するためのブラスト・スクリーンがついています。
枚方太郎
- 上記訂正。
誤)夕張の1・4番砲塔は
↓
正)夕張の1・4番砲は
です。
枚方太郎
- すいません。福井静夫著作集第四巻「日本巡洋艦物語」には、探し方が悪
いのかも知れませんが、載っておりませんでした。また、他の文献も当たっ
てみましたが、未だそのような記述を発見することが出来ていません。出典
があきらかでない以上、1における私の書き込みは推論と言うことになります
ので、そのように扱って戴く様お願い申し上げます。
夕張級の砲配置については、連装、単装の背負式配置でありますから、重
心の問題から言っても、当然、連装砲が下に配置されていたと思っておりま
した。それが、逆であると言うことを知ったときには大いに戸惑いを感じた
ものです。そして、1に書いたような説明を読んで得心がいきました。残念な
がら、上記に記したように出典を未だ発見できておりませんので、そのよう
に書かれた文献を御存知の方がおられましたら、こちらに書き込んでいただ
ければ幸いです。
なお、夕張の単装砲は後方が開放されたオープン・シールドですが、連装
砲は全周を覆われたクローズド・シールドの砲塔形式です。したがいまして、
涼月様は充分に同艦の砲の形状を理解されて出題されていると思いますが。
hush
- 出題→質問
hush
- アメリカの重巡洋艦「ペンサコラ」級も、三連装・連装各二基の混載ですが、三連装のほうを背負式の上側に配置していますね。
同じアメリカでも戦艦となると異なるようですが。
井中かえる
- どうもありがとうございます。
ただ、まだ完全には納得できないでいます。
個人的に「あの配置は許せない!」と思っていることもあるのでしょうが…。
涼月
- 夕張の一番砲塔は5500t型のそれと比べてもかなり後方にあります。従って、それほどはウェットとは思えない(5500t型と同条件下であれば使える)のです。二番砲塔の前にある波よけも改装により小型化されていますから、問題は少なかったのではないかと。
tackow
- 確かに、許せない砲配置かも知れませんね(笑)。重心という面では不利ですし、スペースと言う面でも…これは、どうなのでしょう。ただ、あの連装砲塔は、これは資料を持ち合わせていないので推論ですが、重心点の上昇が問題になるほどの重量物ではないと思います。砲室の厚さは10mmですし、それほど巨大なものとも思えません。それよりも、平賀、福本コンビが問題にしたのは、排水量の軽減と縦方向の動揺の減少ではないかと思うのです。
5500トン型の6割の排水量で同等の性能を発揮させようと思ったなら、ありとあらゆる部分で重量を軽減しなくてはならない。そうすれば機関はより小さくできて、燃料も少しですむ。そのために1トン当たりの単価が高くなってもかまわない。彼らにとって、連装砲塔を艦首尾近くに置くことによって生じる船体幅のわずかな増加が、非常に大きく映ったのではないでしょうか。
また、縦方向の動揺を抑えるためには、船体の中央部に重量物を持ってきたほうが良い。ボイラー室の上に艦橋が置かれたので煙突を曲げると言う世界的に珍しい(と言うより世界的に物笑いになった)事までしています。単装と連装があるなら、少しでも重量のある連装砲を中心近くに配置しようと言うことではないでしょうか。
ペンサコーラ級の場合は、重量の軽減と、波浪の影響を受けにくい上部に有力な砲塔を置くためにあのような配置になったと言われます。しかし、実際には動揺が大きく、艦首高も不足していたようで、すぐさま次のノーザンプトン級に移行します。平甲板型から艦首楼型に変えた代償だと思いますが、主砲は3連装3基となって以後のアメリカ重巡洋艦のスタンダートとなるわけですが、結局、連装、3連装の混合配置はペンサコーラ級2隻で終了してしまうわけです。
日本でも、この夕張のような砲配置は以後出現しておりません。次の古鷹級では単装6基となったからです。これは連装3基より重量的に軽くなるからだそうですが、もし夕張の後も軽巡洋艦が造られ、平賀主任の英国出張がなければ、このような砲配置になったのかも知れません。
hush
- 厳しい条件で設計を極める上で必要な措置の一つ、ということでしょうか。
しかし排水量の条件がより厳しいはずの初春型の当初の砲塔の配置が夕張とは逆になっているのは面白いです。
これも平賀譲が中央から遠ざかった影響なのでしょうか。
涼月
- 初春級の場合は、重心を考えた結果でしょう。その結果がどのようになったかはご存知の通りですし、あの時、平賀氏がいなかったのもまた事実です。
hush
- 平賀博士ってこの配置が好みだったんですかね。
もちろん論理的な理由からくるものなのでしょうが。
金剛代艦の平賀案も1・4番砲塔が連装で2・3番砲塔が3連装ですよね。
枚方太郎
- 当時の英国軽巡を範にとったら、第二砲塔の方にスペースが大きくなるだけの事だったのではないでしょうか?
英C級後期やE級の第二砲を見れば、連装載せられなくもないなと考えるのは自然でしょう。
また艦首砲を単装並列2基として、たた後ろ側に配置すると言うのも、それまでに良く見られた配置で、1920年代以降の艦からさかのぼって見ていくのではなく、1900年代の艦から順を追って、どういう発想や思想があって進んできたのかを見れば、自然になっとくというか理解できるのではないでしょうか。
また日本艦の煙突も、マストの前に煙突を出していた英国戦艦や巡戦を思えば、極自然な流れとも言えます。
より新型の艦ではなく、その前の艦、技術は如何だったのかから見ていくと、夕張のデザインが何に影響を受けていたのかが理解できると思います。
SUDO