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初めてご質問いたします、下手な文章で失礼いたします 昭和20年4月に大和が最後の出撃をしたのですが、雲が低く、視界悪く 天候が悪くて十分な戦闘ができなかったと聞きます なぜ、その日で無ければいけなかったのでしょうか、 沖縄にたどり着けないまでも天気がよければ、もう少し戦えたと思います 特攻隊との連携にしても、天候が回復するまでもう数日遅らせることはできなかったのでしょうか、教えてください 初心者です |
- 雲が低く、視界の悪い条件が、そのまま有利に働く可能性も考えられます。
菊水作戦の主目的は、沖縄に上陸した(しようとしている)米軍の撃破です。大和以下、この艦隊の目標は、敵艦隊の撃破ではなく、あくまで上陸した(しようとしている)米軍への攻撃であり、その中で発見したものを攻撃する。それが艦隊であれば、艦隊を。上陸船団ならば、それを。
つまり、まずは沖縄にたどり着かねば意味がないのです。
それを阻もうとするものは何か。
敵艦隊の戦艦群、または、敵艦載機群です。
敵艦隊であれば、大和としても、随伴の水雷戦隊としても本望ですが、航空機により、遠距離で一方的に攻撃されては、本来の目的を達せられません。
よって、悪天候であればあるほど、大和にとって、好都合だったのではないでしょうか。
雲が低い状況では航空機も目標を発見しづらく、また、攻撃にも低空進入を余儀なくされ、対空砲火の密度を上げる結果になりますし、嵐にでもなれば、それこそ飛行機は飛べません。
その意味では、いっそ台風(神風?)でも吹けば、最高だったのかもしれませんね。
Lachesis
- あの作戦は、大和の為に編み出されたものではなく、特攻を含む一連の航空総攻撃が主力であり、その支援というか追撃戦力として大和以下の艦艇が存在したのです。
既に陸海の総力をあげた大規模空襲作戦は始まっており、戦果も出ているという報告が出ている状況下で、大和以下は進撃を行ったのです。
よって天候問題は、重要な要素ではなかったのです。
確かに大和の戦力発揮を前提にするならば、天候回復を待つのも手ですが、その場合、せっかく航空総攻撃によって敵戦力に打撃を与えつつあるという情況を活用できなくなります(実際には空襲はそれほど大きな戦果を出したわけではないのですが、当時の日本軍はそう認識していたのです)
あくまでも沖縄戦の主役は航空隊であり、大和はオマケでしかなかったのです。
SUDO
- 追記
菊水作戦=大和特攻
と一般に誤解されている場合が多いようですが、大和以下の出撃は菊水作戦の一部としてであり、菊水作戦自体はもっと広範囲のものであります。
Lachesis
- ↑菊水作戦自体は「もっと狭い範囲」のものではないでしょうか。
BUN