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大和級戦艦の後部水偵格納庫は、、、 1、機体は艦首に向けてV字型に置いていたようですがこれだと奥の機体を先に出す場合はどうやって出したのでしょうか?やっぱり一度上甲板に他の機体を上げていたのでしょうか? 2、戦争中に改装により順次増加した乗組員の居住区に転用されたそうですが大和最終時の時点では水偵の搭載収納能力はどの程度残っていたのでしょうか? ポトリオット |
- 大和型の搭載機定数は戦争全期間を通じて2機〜3機ですから19年秋〜最終時にはこれに対応する程度しか即応できなかったのではないでしょうか。
BUN
- 1の方ですが、いったん後方に引きずり出して、エレベーターに乗せ(両方のカタパルトの間にある、四角くへこんだ部分です)甲板にあげてからカタパルトに移動させました。(でしたよね^^;)
大和の最終時はわからないのですが、武蔵の飛行長、佐久間武大尉の手記からは、1943年6月の時点で、搭載機=零式観測機x2+1、クルーが4組(8人)、整備員20名で飛行科を形成していたようです。
Lachesis