2025 |
太平洋戦争前〜大戦当時の金剛型、扶桑型、伊勢型(戦艦当時)、長門型はいずれも水偵搭載数は3機程度が標準なようですが、カタパルトはいずれも1基です。なのに古鷹/青葉型を除く重巡群は搭載機数は戦艦と変わらないのに2基のカタパルトを持っています。搭載数が多い利根型は別としても戦艦よりスペース、重量面で劣る重巡がなぜ2基装備なのでしょうか? ロックフラップ |
- 後から追加して積んだか、もともと計画で織り込み済だったかの違いに思うのですが…。
条約型重巡群は設計が新しいので、航空兵装を積むスペースを最初から確保する余裕があったのかも。
一方戦艦群は長門型も含めて「水上偵察機」が出現する以前〜出現したばかりの設計なので、当初案では搭載は考えられておらず、あとから余剰スペースに積むのがやっとだったのかも。
以上、推定ばかり…。
zono
- 日本の重巡のカタパルトは、攻撃機(水上爆撃機)を短時間で発進させる事を狙ったものです。
重巡洋艦は3機の複座水偵(水上爆撃機)と1機の三座水偵(偵察触接用)を搭載するものとされていたのです。
であるから、適当なタイミングで一機ずつ出すのではなく、敵発見と同時に全力短時間で爆装機を発進させる事が出来るように、大型で連続射出能力のあるカタパルトを複数搭載する方向に進んだのです。
反対に戦艦の搭載機は弾着観測や敵観測機迎撃が任務ですので、そこまで急速連続発進の要求順位が無かったのであると考えられます。
SUDO
- 単に旧式戦艦群は射出機の完成を見込んで設計されていなかっただけの事ではないでしょうか。元来艦載機の運用は攻撃機、戦闘機も含めて戦艦が中心に据えられていましたし、大和型の航空兵装を見れば急速連続射出は戦艦に於ても重視されていた事がわかります。
BUN
- 重巡とて果たしてカタパルト完成見込みで建造されたと言い切れるのですか?
私が見るところ、呉式一号の完成を前提として艤装されたのは青葉型で、それを踏襲したのが妙高。そして高雄は二号の完成前提ですよね?
つまり、射出機完成を見込んで建造されたのは一部の艦艇でしかないんです。
また古鷹・妙高は改装でカタパルト搭載・増設をしてますから、戦艦で同じことが出来ない訳でもないでしょう。
実際扶桑はカタパルトの為に主砲の向きまで変えたんですから、最終的には、やる気の問題だと思います。
勿論主砲射界に与える影響もありますし、主砲より優先順位が低いという事もあるでしょうね(改装に手間やコストをかけたくないとかも有るかも)
ですから、カタパルト2基は、出来なかったのではなく、しなかったのだと私は思います。
新造時にならともかく、改組で乗せるほどの優先順位は無かったのだと、そう考えます。
SUDO
- 戦艦、巡洋艦への飛行機搭載は昭和4年の航本「艦載機搭載方針」に沿って実施されているんです。この時点で戦艦と巡洋艦はほぼ同規模の搭載設備を持つように定められ、戦艦、巡洋戦艦、巡洋艦に装備する大型射出機と専用搭載機の開発が予定されています。しかしベースとなる戦艦がこれらの装備を見込んで造られていないことと大型射出機、専用搭載機の開発の都合から暫定的に局地用水偵を搭載使用する設備が設置される、とされています。日本の旧式戦艦の航空兵装は艦の設計と搭載機、発着兵器の開発を睨んで決められた暫定的なものなんです。SUDOさんのおっしゃるように要求順位が低かったとか、改造する予定が無かったという訳ではありません。
高雄型の搭載設備が新造時の形態に決定したのは昭和5年ですけれども、妙高型が高雄型に準じた設備を設けられた理由は大正7年の海軍省に対しての軍令部要求「軍艦飛行機搭載機数」等で飛行機搭載設備の充実が求められていた事によります。全て用兵側からの要求があっての事なのです。また、高雄型は二号射出機前提ではなく次世代の大型射出機装備を見込んでいます。
BUN
- つまり、用兵側が射出機2基を要求しなかったのは何故ですか?
それは後でやるから良いやなら、つまり今やるほどの優先順位はなかったでしょ?
妙高では2基に増備するような要求が用兵側から出されて、同じぐらいの装備を要望していた戦艦がしてないのは、つまり用兵側が要求してない、つまり用兵側の優先順位の上位ではなかったんでは?
SUDO
- 幾ら航空兵装の充実がしたくとも、あの改装スケジュールで更に予算や手間を掛けると
改装出来ない戦艦が出てきそうな気がしますが(汗)
ルージュ
- SUDOさん、戦艦と巡洋艦で航空兵装の充実の優先順位に顕著な差があったとする史料はあるのでしょうか?同等であると見るべき証拠は複数上げられますが、おっしゃるような例はありません。想像は他所でどうぞ。
BUN
- 軍令部要求等で射出機の装備が文書上に現れるのは大正15年頃です。
射出機の実験成功が昭和3年、翌年以降逐次装備されています。
搭載要求は前述の通りそれ以前から出ています。
一万トン級巡洋艦の航空兵装が構想上で確定するのは昭和5年ですからその準備段階にあった飛行機搭載艦として要求されていた妙高型も含めて新しい設計艦は理想に近い配置を採用できた訳です。ですから「一部の艦」でもありませんね。
SUDOさんのおっしゃる水上爆撃機の集中運用構想が定まるのは昭和12年であることは以前お見せした「艦船飛行機搭載標準」からもわかると思いますが、その登場以前の段階で既に射出機は2基装備なのです。ですから水上爆撃機集中運用構想以前の時期に構想された大和型も2基の射出機を装備しています。「優先順位の優劣」ではなく、難易度の問題、「用兵上の問題」ではなく、艦側の余裕と兵器開発の問題なのです。
BUN
- ああ、つまり、戦艦も重巡も、2基装備を標準と定めたが、それを前提として建造された艦以外では、艦の余裕や何らかの制限があって適用されなかった。
そう考えて宜しいでしょうか?
戦艦では乗せる機会も余裕もありそうに感じますが、恐らくそれによって失うものも無視出来ない事だったんでしょうね(伊勢みたいな事になったりしかねない)
SUDO
- まぁ、旧海軍の艦船は、およそ漠然と、漫然として建造、改装されたのではなく、その時点で考えられていた作戦要綱に沿って行われたはずです。その中で戦艦と巡洋艦の役割を考えれば、どちらがまず航空機(偵察機)を必要としているのか、わかるでしょう。
また、巡洋艦に何故二基の射出機を必要としていたか。
多分に推論ですが、その緊急性と、故障に対するリカバリーを考えますが。一基で故障?最悪ですな。無論、戦艦にも偵察機の必要性もあるとは思いますが、それよりも、戦艦の搭載機の最重要目的は着弾観測ではないでしょうか。これならば、もし当該艦の射出機が故障しても、他の艦の観測機でリカバーできるでしょう。しかしながら、偵察に使用される巡洋艦艦載機が、もし射出機の故障で発艦できなかった場合、偵察網に重大な穴があく事にもなりかねません。
斬減作戦では、まず相手の位置と進路を確定。それに対して決戦前夜から暫時攻撃を仕掛け、敵主力が弱ったところで、わが戦艦部隊が殴りあいをする、という基本構想でしたので、その(殴り合い)能力を減らしてまで戦艦に多数の航空機を搭載する考えは、初めから無かったのでは?
そもそも、戦艦と巡洋艦の特質を抜きに、航空戦力の搭載に関して論ずるのも、話としては面白いが、行過ぎると議論のための議論になりつつありませんかな?
Lachesis
- おっしゃる事はよくわかりますが、前提が間違っていれば結論もおかしくなってしまいます。例えば戦艦の搭載機が弾着観測を最重要目的としている、という前提も昭和初年に於ては必ずしもそうではありません。搭載機と搭載艦の用途、目的は大正後期から開戦に至るまで、数回の改訂を経ているのです。
そして巡洋艦であろうと戦艦であろうと必要とされる射出機は2基ではないでしょうか。そして2基の射出機を必要としているのはむしろ新造艦に大して6機の搭載要求まである戦艦の方だと言えます。しかし軍令部の搭載要求に対応できたのは新戦艦と1万トン巡洋艦だけだったという事で「巡洋艦だけに射出機が2基ある理由」として巡洋艦という艦種の任務に引き寄せて考察してしまっては大和型の搭載設備を説明する事もできません。旧式戦艦が射出機を暫定的に1基のみ搭載している理由は艦が旧式であることと、必要とされていても本来搭載すべき専用搭載機と大型射出機が未完成、という事情によるといった程度の事は残された文書で読める、というお話です。
BUN