2010 |
東郷艦隊の敵前回頭を見たロジェストヴェンスキイ艦隊の幕僚は、なぜ「やった、我が軍の勝ちだ」「東郷は狂ったか」などと浮かれ騒いだのでしょうか? あの状況は、「反航戦ですり抜けられるかと思ったら頭をおさえられてしまった」という感じの、ロシア艦隊にとって非常にまずい状況だと思うのですが。 大名死亡 |
- 参考程度の話でしかないんですが…
その場に居合わせたある露軍幕僚は、戦後に著した本(「露艦隊幕僚戦記」)の中でこの回頭について「順次回頭では回頭点は海上の動かない一点であるから、これに照準を合わせてその点を通過しようとする敵艦を砲撃すれば大きな利益である。また日本艦隊は15ノットで走っているので回頭が終わるまで15分を要し、その間は一部の艦は視線が妨害されるので射撃できない。」といった内容のことをことを書いています。(この時筆者の同僚のある大尉は「日本艦隊の遣り方は丸で無謀だ、今に味方に先鋒艦を遣付けられるぞ」と言ったそうです)
もっとも、当時の砲術能力から考えて回頭点を狙うのは不可能だったと言う論もありますので、これが正解かどうかはちょっと疑問ですが。(殆どゴミですみません)
摂津
- もっと簡単なことでしょうね。
艦隊、それもこの両軍のような大艦隊は下手な動きをすると(実際にロジェスウェンスキーの側がそうであったように)隊列は乱れるわ、統制は無くなるわと大騒ぎになります。
ましてや敵の前面でそういった大運動を行った場合は、ただでさえ難しいのに、砲弾を浴びながらとなるので危険度と困難度は非常に高いものとなります。
いうならば、日本側は既に情報を得て待ち構えており隊列も整っていたのですから、それによって得られたはずの優位を、この運動で帳消しにしてしまう恐れがあったのです。
狙えるとか狙えないとかではなく、日本側の運動は混乱と自滅に繋がる可能性を内包していたのです。そして統制が取れない艦隊は(実際のロジェストウェンスキー側がそうであったように)烏合の衆と化してしまう恐れがあります。
日本側が優位に立っているのは艦艇の速度と艦の数であり、劣ってるのは戦艦戦力です。よって日本側が優位に戦うには、性能の劣る艦多数で敵戦艦をフクロにしないといけません。これには整ったチームワークが先ず持って前提になります。艦隊が混乱したら、そういった日本側が持つ優位を消してしまう恐れもあったのです。
単なる艦艇同士のタイマンなら有力戦艦多数を有しているロシア側にも十分に勝機はあり、日本側の自滅に繋がるであろう艦隊運動は、そのタイマンに持ち込むのにも有利だったのです。
勿論、これはロシア側が、自分達もそうだったように、こんな大規模の艦隊では、強烈な運動は出来ないと考えていただけであり、実際には日本軍は兵器で運動を行えてしまったのです。
勿論日本側としては、この運動を成功させることで同航砲戦に持ち込めるのですから、勝つために選択した運動です。このロシア側の態度が事実ならば、彼等のもつ常識と日本側のもつ常識に多少の違いがあったという事に尽きるでしょう。
SUDO
- >1. に一票。
>2.
>(実際にロジェスウェンスキーの側がそうであったように)隊列は乱れるわ、統制は無くなるわと大騒ぎになります。
それは旗艦(オスラビア、スォーロフ)が被弾轟沈、ないし炎上して、指揮が執れなくなったため、各艦ごとに遁走・自活を企てたためです。
>いうならば、日本側は既に情報を得て待ち構えており隊列も整っていたのですから、それによって得られたはずの優位を、この運動で帳消しにしてしまう恐れがあったのです。
仮にこの運動(敵前大回頭)を実施しなかった場合、ロシア艦隊に対してどのような優位が得られるか、ご教示賜りたいと存じます。
志郎家の客人
- >3
ソースが戦記小説(「バルチック艦隊の壊滅」)なのでどうなのかと思いますが、ロシア艦隊側も同時刻に致命的ミスを犯していますから…。
なんでも、敵前回頭の間に単縦陣への陣形変更を行い、スワロフ以下の主力戦艦隊がオスラビアがいる縦陣に無理矢理割り込んだために、後ろにいたオスラビア以下の艦が(戦闘直前に!)全艦停止を余儀なくされたとか。
そしてオスラビアが動き出したときには日本側の集中砲火がはじまり、敢なく沈没と相なったわけで。
指揮系統の問題についても、これはロジェストウェンスキーがトンでもない命令を出したのが理由です。
「旗艦が指揮能力を失ったときには、2番艦、3番艦の順に指揮を引き継ぐべし」という命令なのですが、日本側は常に先頭の艦艇に砲火を集中していたので…本来なら「ニコライ1世」搭乗のネホガトフ提督がさっさと指揮権を引き継げば良いのに、彼がフリーハンドを手にしたのは夜になってからと言うありさまだったのです。
つまり大艦隊の場合は、単純な命令ミスだけでもこのような大混乱に陥るわけですね。
結論として…ロシア側の幕僚は自分たちの大ミスを気にも止めず、相手の失策を期待しただけの結果に…。
zono
- >3&4
そゆことです。既に会敵時にロシア側は混乱が始まっていたと考えます。
上手い表現が思いつかないのですが、日本側は会敵状況を選択できる余地が存在したはずです。
例えば同航に近い形で接触するような航路を取って会戦に持ち込むことも、既に大分前から第三艦隊が張り付いているので選択できたと考えても良いでしょう(あくまでもロシア側から見た場合の危険はこれは無視出来ないでしょう)
勿論、このような接近航路を選択した場合、日本艦隊がロシア艦隊に接触する時間は遅くなり、日没までの戦闘時間を十分に取れなくなる危険性があるのですから選択として正しいかどうかは判断が難しいでしょう(日本側は最短距離で接触して、接触後に向きを変えるという、接触時間最大になる手段を選択しました)
よって、個人的には、バルチック艦隊の前に反航状態で日本艦隊が現れた時点で、ロシア側としては「勝った」と思ったと考えます。
日本側はどこかで回頭しなければならず、それは混乱の惹起に繋がり、隊列の乱れ方次第では、戦隊単位で各個撃破の可能性すら「バルチック艦隊の正面に反航で現れた」時点で内包していたのだと思うのです。
あの大回頭は、いつかどこかでしなければならない行動であり、その大回頭を敵前でしなければならなかった時点で、ロシア側から見たら「失敗」だったと考えてよいのではないかと考えています。
なぜなら、常識的に海上の一点を狙うなんてことは出来ないと、当時の人でも判っていたはずです。
回頭がそのような危険性を持った行動であると、多くの海軍士官が考えること自体が、何処かおかしいのではないかと考えます。
海上の一点を狙えば云々は、後世の一般市民に、わかりやすく危険を説くために用いられた方便だったのではないでしょうか。
危険と失策は、回頭という運動が砲撃に対して危険だからではなく、混乱しやすい行動を敵前で行わざるを得ない接敵時点の初期配置にあったと(ロシア側から見た場合)考えられます。
日本側が、回頭しなかった場合は、たぶん、どうにもならないでしょう。
短時間の反航戦の後、行き過ぎてから回頭し、延々と日没まで追いかけっこが続き、逃げられちゃうんじゃないかな・・・。下手に高速な艦だけが突出した場合はそれこそ酷い事になるでしょう。
そう、東郷の艦隊が反航で接近してきた時点で、ロシア側は「勝った」ぞと思ったんです。
SUDO
- >1. に一票。
>2.
>(実際にロジェスウェンスキーの側がそうであったように)隊列は乱れるわ、統制は無くなるわと大騒ぎになります。
それは旗艦(オスラビア、スォーロフ)が被弾轟沈、ないし炎上して、指揮が執れなくなったため、各艦ごとに遁走・自活を企てたためです。
>いうならば、日本側は既に情報を得て待ち構えており隊列も整っていたのですから、それによって得られたはずの優位を、この運動で帳消しにしてしまう恐れがあったのです。
仮にこの運動(敵前大回頭)を実施しなかった場合、ロシア艦隊に対してどのような優位が得られるか、ご教示賜りたいと存じます。
志郎家の客人
- >6. は誤送信です。済みません。
日本主力発見に伴い、ロシア艦隊が2列縦陣から単縦陣への陣形変更を実施しているうちに砲戦開始となったのは事実でしょうが、一方の日本艦隊は、敵前大回頭で隊列は乱れるわ、統制は無くなるわの混乱が生ずるほど、錬度が低かったのでしょうか?!
その後3回も敵前一斉回頭(八点プラス八点)実施しましたが、隊列が乱れたとは存じておりませんが・・・
志郎家の客人
- 余計なことですが、露艦隊の運動について補足させて頂きます。同じくロシア側の「露艦隊最後実記」と日本側の「明治三十七八年海戦史」からです(時刻はロシア側の資料に依りました)。
当初単縦陣で進んでいた露戦艦隊は、しつこく付きまとう日本第三戦隊を撃攘するため12時25分にスワロフ以下の第一戦隊を単横陣にしようとしました。しかしオスラビア以下の第2戦隊の速力を落とさせた後まず右八点の正面変換をやった所、二番艦のアレクサンドル3世がスワロフについて行ってしまいボロジノ以下もそれを追ったために陣形変更に失敗、その結果第一戦隊が前に飛び出した形の二列縦陣になってしまいます。とりあえず艦首方向の日本艦隊を挟撃の姿勢を示して追い払い、二列縦隊のまま艦隊は進みました。1時15分には艦隊速力9ノットの指示が出されています(手元の資料では第2戦隊が停止したという話は確認できませんでした)。
その後1時25分に東郷、上村艦隊が霧の中から突然現れたことを受け、5分後に第2戦隊の速力を弛めつつ第一戦隊の速力を11ノットまで上げて単縦陣に移ろうとしました。が、オスラビアとアリヨールが並んだ1時50分(日本側では2時8分)、まだ陣形が完成していない状態で回頭中の三笠に対してスワロフが射撃を開始、後は「虐殺」ですね。
私としては、ロシアにとっては混乱していたところに敵が現れたと言うより、遭遇戦に近い状況だったのではないかと思われます。
(あと大規模な順次回頭の危険性についてですが、当の文中には順次回頭が困難であるといった話はないようです。ただ、大回頭前の感想として「日本艦隊は何を考えているのだろうか。風位を利用し、かつ高速力を利して後続の運送船と殿艦を一挙に撃滅しようと考えているのだろうか、もしそうなら日本艦隊は最も恐るべき十字火の下に陥る危険を冒すだけなのだが」と言う文はありました。)
摂津
- >7.の方へ
2.と5.のSUDOさんの回答をよく読みましょう。日本海軍の練度が低かったなどとは何処にも書いてません。
単に「ロシア海軍は、日本海軍が敵前大回頭なんていう艦隊運動をこなせるだけの練度があるとは思ってなかった。」と言っているだけではないでしょうか?
TETSU29
- >9.
2.と5.のSUDOさんの回答を拝読しますと、艦隊運動すると混乱と自滅を招く可能性が大であると当方には読めましたので、そんな艦隊ならハナから海戦など無理かなと思ったものですから・・・
敵前大回頭は敵との距離八千メートル前後で、射程内ではあるが(当時は)命中率は低く、自滅を賭すほど投機的な艦隊運動とは当方は思っておりませんので。
>2.
>いうならば、日本側は既に情報を得て待ち構えており隊列も整っていたのですから、それによって得られたはずの優位を、この運動で帳消しにしてしまう恐れがあったのです。
>狙えるとか狙えないとかではなく、日本側の運動は混乱と自滅に繋がる可能性を内包していたのです。
>5.
>日本側はどこかで回頭しなければならず、それは混乱の惹起に繋がり、隊列の乱れ方次第では、戦隊単位で各個撃破の可能性すら「バルチック艦隊の正面に反航で現れた」時点で内包していたのだと思うのです。
志郎家の客人
- ソ−スが児島襄さんの「日露戦争」ですので、ここで引用して良いのかはかなり疑問ではあるのですが・・・
ロシア側が日本側の行動をあざけ笑った理由としては
・バルチック艦隊の弱点は、右翼であったのに対し(右翼後方に運送船隊とその護 衛の巡洋艦部隊が張りついていた)、日本側がその弱点を狙わず、戦艦群が並ぶ 左翼に並ぼうとしたから。
・連合艦隊が敵前回頭した時の日本側とロシア側の隊形が、ちょうど、トラファル ガ−海戦の時のイギリスとフランス(前者がロシア、後者が日本)に似ていたか ら
と、いう風に記述していますね(どこまで正確かはわかりませんが)
月読
- >10
大回頭の時点でロシア艦隊の砲撃を受けるから混乱するのではなく、大回頭という大きい運動を全艦隊で行なうから混乱が起きたかもしれないだろうとSUDOさんは主張しておられるように思います。
たとえば回頭中の一艦の操舵手が操作を誤れば、あるいは一艦の掌信号長が旗艦の信号旗を見誤れば、また、艦橋からのテレグラフを切り間違えて過速や後落を起こしたら、どうなるでしょうか。
艦列は大混乱に陥らないでしょうか。
訓練で起こるわけのないことも実戦では起こるかもしれません。
そして、有効射程に入っていないとしても、その距離といいタイミングといい、非常に微妙でクリティカルな場面での大規模艦隊運動であって、その時点で絶対にミスは許されません。
もし、それが起きてしまったら、『隊列の乱れ方次第では、戦隊単位で各個撃破の可能性すら「バルチック艦隊の正面に反航で現れた」時点で内包していたのだと思うのです』ということでは?
まなかじ
- > 2
そもそも艦隊運動が瓦解すると当時のロシア側は本当に思っていたんでしょうか?
質問者の疑問とした記述も海上の一点云々って話も露国海軍軍令部編のいわゆる「露日海戦史」が大元だと思うんですが。
同書では
「このような日本艦隊の転舵は、我が艦隊にとり予想外で甚だしく乗員を驚喜させた」
その理由として
「東郷提督が殆ど我艦隊の弾着距離に於て大角度の正面変換を行い、一時発砲不能の状態に陥ることが、日本艦隊にとり如何に危険であるかは、何人も容易に看取できるところである」
と分析していますが、回頭による日本艦隊の混乱の可能性については言及がないように思われます。
ろしあんぶるー
- >SUDOさん
八月十日の海戦で東郷は逐次回頭よりはるかに難しい一斉回頭を多用して、しかもそれで艦列が乱れたなどということはなく、ヴィトヘフト艦隊の幕僚もそれを見て驚いたなどということもありません。
マニラ湾のデューイも、戦力が隔絶していたとはいえ、敵前での逐次回頭の繰り返しに何らためらった形跡はないように思えます。
ロジェストヴェンスキイの幕僚だけ、何でそんなに逐次回頭を難しいものと思っていたのかが不思議です。
>月読さん
まあ、児島先生ですからね。
敵前回頭が完了して第二艦隊まで回りきったところを見ればトラファルガルっぽくもないかな、という感じもしますが、三笠すら回りきってない時にそこまで想像して浮かれるわきゃありませんわな。
大名死亡
- ↑「ヴィトヘフト艦隊の幕僚も……」
あ、そりゃわからんか。全滅しとるもんな。
大名死亡
- ゴミ、ゴミです!:いろいろ後世からの視点が交錯して、難しい所だとおもいますが・・・
>東郷艦隊の敵前回頭を見たロジェストヴェンスキイ艦隊の幕僚は、なぜ「やった、我が軍の勝ちだ」「東郷は狂ったか」などと浮かれ騒いだ・・・
とは、例えば公式?統一所見とも思えません。
又、いわゆる、戦史/手記での記述であり、しかも「和訳」です。その語感が本来のニュアンスと違う可能性もあるかもしれません。
この幕僚・・・彼の意識した「勝ち」が、撃破か?遁走か?も不明です。
『オー!クレイジー?!』は単に「狂ったか?」でもない筈。
ここは恐らく・・・【よしイケル!東郷は間違ってるう〜!】みたいなー・・・
そう極限下で発したひとつの言葉。・・・とも思えます。
では、なぜこの幕僚は(互いの艦隊運動を俯瞰している訳でもなく、その現場で)
>浮かれ騒いだ・・・
か?といえば、艦隊首脳部の見解(艦隊運動や砲術論)ではなく、彼にとっては・・・敵艦隊が横へ逸れてゆく光景に対しての素直な(戦闘の恐怖に対して)心情だと思います。
それこそ、この記述の元著者が、書き下ろしの際に選んだ・・・印象に残った一言かもしれません。それこそ>後世の一般市民に、わかりやすい・・・方便・・・
こうした立場でヨムべき、記述ではないでしょうか?
sinn
- >大名死亡様
質問の書き方が違います。
>東郷艦隊の敵前回頭を見たロジェストヴェンスキイ艦隊の幕僚は、なぜ「やった、我が軍の勝ちだ」「東郷は狂ったか」などと浮かれ騒いだのでしょうか?
・・・ではなく、
三笠の変針(1405)を見たロジェストヴェンスキイ艦隊の幕僚たちは、なぜ「しめた」「我が軍勝った」「東郷は狂ったか」などと口々に浮かれ騒いだのでしょうか?
・・・です。
つまり、この時点では(反航戦と思っていたのに)三笠が自隊に向かってくるように見えたので、「わざわざ自分からT字を描かれに来たか」と誰しも思ったのではないでしょうか?!
東郷長官の幕僚すら、あの近距離で敵前大回頭するとは思ってなかった訳ですから、ましてロシア側の意表を突くことは大なるものが有ったでしょう。
で、その後すぐに驚喜は驚嘆に、次いで絶望に変わるのは周知の通りです。
志郎家の客人
- >17
>「わざわざ自分からT字を描かれに来たか」
おお、それは完全同意です。
言われてみれば、あの瞬間なら、それが一番説得力ありますね。
SUDO
- >15.
些細なことですみませんが、全滅ではないようです。黄海海戦でチェザレヴィッチではウィトゲフト長官と航海長、航海士官と参謀一人が戦死したそうですが、参謀長や艦長などは負傷しましたが助かっています。
(私が>1.等で引用した本の著者は、この時もチェザレヴィッチで記録係を務めていたそうです)
摂津