1998 |
なかなか時間が取れないので、連続質問となりますが、ご容赦 頂けると幸いです。 「−帝国陸海軍マサカ物語(3)−山本五十六提督虚構の戦艦砲撃」 (星雲社/山本昌雄著/2,000円/平成5年10月13日初版)の中で、 「昭和17年10月13日に行われた、戦艦金剛・榛名によるガ島砲撃 は、飛行場を火の海にし、大戦果を挙げたとあるが、事実は異なる のではないか。砲撃で使用されたのは、三式弾104発、零式通常弾 189発、一式徹甲弾625発とあるが、そのいずれも飛行場砲撃に向いた 性能を有しておらず、ほとんど戦果はなかったものと考えられる」 とありますが、以下の内容は事実でしょうか。 著者が論拠としているのは、以下によるものです。 ●一式徹甲弾の対地射撃の効果性 一式徹甲弾は全重量673キログラムの内、炸薬量は2%弱の11.1キロ グラムに過ぎない。これは陸軍砲でいうなら、24センチ榴弾砲の18.1 キログラムに劣り、爆風や破片効果のみを考えると、威力に劣る。 また、構造上、目標が装甲、もしくは分厚いコンクリートで保護され ている時のみ、弾底信管の着火行程が開始されるのが、徹甲弾の基本構造 からして、通常土や水など、目標内部に向かい急速減速していくような 衝撃では、衝撃不足で信管が作動せず、不発弾となるはずだ。 海軍は「昭和17年10月6、7日にガ島砲撃のテストとして、トラック諸島 中の無人島に対し、予行射撃を実施、使用予定の一式徹甲弾及び三式弾の 満足すべき性能が確認された」としているが、これは硬い珊瑚礁に対する 試験結果である。ガ島飛行場の地層は、日本で言うなら越中平野に比すべき ような、山地からの流出砂礫土よりなる、扇状地状堆積の土層であり、堅さ 不足による、不発弾発生の可能性は極めて高いとみられる。 裏付ける情報として、11月13日の比叡・霧島による飛行場砲撃は、10月13 日の常装薬に代えて、弱装薬が予定されていたこと(常装薬に対し、弾道上の 落角を大きく取れるので、信管の作動率を高められる)。 また、10月4日、弾着観測のため、潜水艦でガ島に急派された中馬静男 海軍少佐によれば、「弾着または破裂の閃光を認め得たのは、零式通常弾で 60%、一式徹甲弾で40%、三式火焔弾では100%」とあり、少なくとも60% は不発弾であったと考えられる。 また「HISTORY OF MARINE CORPS AVIATION IN W・W2」の図53では、3発の 一式徹甲弾の弾頭が埋め飾られている写真がある。不発弾が3発のみなら、 敵兵器調査を重んじる米軍が飾っていることは考えられないのではないか。 ●三式火焔弾の対地攻撃の効果性 昭和19年6月、呉海軍工廠砲熕実験部長が作成した「通常弾及び特殊弾 の威力」によれば、三式弾は「防弾タンクに対しては、弾子の焼夷効力は 期待できない」とあるが、当時の米軍機は防弾タンクであり、航空機破壊 に対する効果は期待できなかったはずだ。 また、弾子の燃焼温度は3,000度とあるが、肝心な燃焼時間はわずか 8秒でしかない。対空弾として考えれば、弾子命中による破壊・焼夷 (防弾タンクでなければ)・損傷効果や、激しい空気の流れによる自壊 墜落もあり得るが、地上砲撃弾として考えれば、たった8秒間(空中 爆発しているので、地上に落ちてからは5〜6秒)で、可燃物に火付け できるのだろうか。 飛行場の芝や雑草は燃焼できるだろうが、戦術的効果はゼロに近い。 しかも、ガ島の平均湿度は年間を通じて80%であり、消火も容易である。 また野戦築城の常識として、可燃物は防護され、分散配置されている ため、防弾タンクを貫けない三式弾が重要物に着火した可能性は低い。 ●零式通常弾の対地射撃の効果性 36センチ零式通常弾は瞬発信管を装備できるため、飛行場での炸裂自体 には問題がない。しかし砲弾重量は622キロ。炸薬重量は29.55キロであり、 炸薬比4.75と、陸軍の同種砲弾に比べ、極めて低い。 「射撃に関する定説」によれば、「榴弾及び破甲榴弾の尋常土における 漏斗状の直径は、口径の20〜25倍。深さは5〜6倍」とされている。 36センチ零式弾の炸薬比を考慮すれば、零式弾が炸裂した場合、地上 にできる穴は、直径7メートル・深さ2メートル弱と考えられる。 この程度の穴であれば、米軍のブルドーザーなどによってあっという 間に復旧されてしまうであろう。 ガ島飛行場2,200平方メートルに対し、炸裂効果が期待できるのは、 189発の零式弾のみだが、これでは一町あたり0.4発にしかならず、 砲撃効果は期待できない。 米側評価でも、「砲撃の死者41名、航空機の被害は90機から42機に 減少」とあるが、これは日本軍機の空襲による30機近くを含めている ため、実際の被害は18機前後である。 また米建設部隊による「BUILDING THE NAVYS BASES IN W・W2」(昭和 22年刊)によれば、「飛行場は21穴をスチールマット上に受けた。その 大部分は砲撃によるものであった。日本側が徹甲弾を使用したことも あり、弾丸も土中深く潜入したわりには、その穴は大きくなかった。 また、砲撃の直前にすべての装置は地上家屋から4つのトンネル内に 移されていた」とあり、発射918発中21弾しか効果的打撃を与えていない のがわかる。 また、海兵第一師団航空隊による、「MARINE CORPS AVIATION」(昭和 27年刊)には、航空機用燃料消失の記載はなく、砲撃の翌14日に20機の 米機による日本船団攻撃が行われている点からも、大きな被害はなか ったものと考えられる。 高村 駿明 |
- これは結構知られている本なんですけれども、ちょっと気が付いた事としては、ガダルカナルの土壌がどうであれ、滑走路というものは舗装、転圧されていますから地質に関わらずかなり硬いのではないでしょうか。ましてガダルカナルは陸攻用の中間基地として設定された飛行場ですからコンクリートではないにせよ少なくとも何らかの舗装は行っていたのではないかと思いますし、占領後に米軍も手を入れています。
本質的な問題ではありませんが、そんな事を感じています。
BUN
- まあ確かに艦砲射撃が世間一般に言われる程効果が無いのは事実である、と前置きしておきますが…。
燃料の焼失については、モリソン戦記の「The Struggle for Guadalcanal」にも記載されてますし、ティルマン先生の「The Dauntless Dive Bomber of World War II」でも触れられております(「大日本帝国の興亡」にも「後一回の出撃分を残して焼失」と書いてあったような記憶が)。実際カクタス航空隊は翌日には壊れた機体から燃料を抜く等燃料集めに狂奔しており、また米海軍はこの直後に輸送船・駆逐艦・潜水艦・水上機母艦・艦隊曳船など、当時動員できる兵力を総動員して航空燃料及び弾薬の緊急輸送を行っています。これらの事実から見ても、燃料の焼失によってヘンダーソン飛行場における予備燃料の残数が危機的数値に陥ったのは、事実であると判断できます(なお、私の手元にある資料から逆算すると、10/14朝の時点における残燃料数は概ね20トン前後ですが、これだと確かに残機数(合計42機)の出撃一回分を賄える程度の量にしかなりません)。
あとヘンダーソン所在航空機の中で、艦砲射撃と一式陸攻の爆撃から難を逃れたのはの結果、偶々飛行場外部に移動していたF4Fだけであり、10/14朝の段階でSBDは39機中7機が稼働状態にあるに過ぎず、TBFに至っては稼働出来る機体は1機も残っていませんでした(因みに多賀谷氏の著書だと、一式陸攻は10/13にB-17を含めて一ダースばかりの飛行機を破壊していることになってますね)。
大塚好古
- ↑「艦砲射撃と一式陸攻の爆撃から難を逃れたのはの結果」→「艦砲射撃と一式陸攻の爆撃から難を逃れたのは」。文章推敲時のカットアンドペーストのミスでしたf(^^;
大塚好古
- でも計算変じゃない?
零式通常弾による炸裂孔が直径7m深さ2mの漏斗状(円錐)とした場合、一つの孔は25.64立方メートルになります。
これが189発だと、全部で4,845.96立方メートル、飛行場面積が2,200平方メートルなら、飛行場全域、高さ2mに土砂が散った計算になります(実際には転圧されてたんですからもっとでしょうな)
飛行場で積雪(土だって)2mを簡単に除去したり、埋め戻すのが「あっという間」にできるなら凄いですね。さすが米軍ですな。
SUDO
- おまけ。ヘンダーソン飛行場に落下した14in砲弾は、主滑走路には落ちてますが、脇の草地に造られた戦闘機用滑走路には落ちてません。それ故14日にも航空作戦が実施出来たのですね。
主滑走路は少なくとも14日は使用不能です…<作戦機は終日戦闘機用滑走路から出撃してます。15日には主滑走路は埋め忘れた穴に航空機がはまるなどの事故はあったようですが、一応機能を回復しているようです。
燃料についても、10/14-15に飛行場及びその周辺を探し回った結果、奇跡的に半分所在が忘れられていたドラム缶350本以上の航空用ガソリンが発見されており、これによって緊急輸送による補給が届くまでなんとか凌ぐことが出来たようですな。
大塚好古
- 飛行場の面積は2200平方メートル、じゃなくて2200m×2200mではないですか?
tackow
- みなさま、回答ありがとうございます。
色々と記述におかしなところがあったようですね。平方メートルは
入力ミスで、原書では2,200メートル平方と書かれていました。そりゃ
そうですね。推敲不足で申し訳ありませんでした。
日本戦艦による対地攻撃効果については、効果があるのかないのか
よくわからなかったので、勉強になりました。
ちなみに、日本海軍は陸上砲撃用の砲弾を特に持たなかったよう
ですが、艦砲射撃による陸上支援を多用した米海軍でも同様なので
しょうか。それとも、対地用の砲弾があったのですかね。
どなたか教えてください。
高村 駿明
- >7
米海軍の戦艦級はAPとHEしか使ってないはずです。
また、日本軍は三式弾の効力の弱さを理解していました。
このため、対空用途としては黄燐を焼夷剤にした焼撒弾を、また対地・対船舶搭載物件用には焼夷弾が開発され大戦末期には一部が生産配備されていたようです。
三式弾:マグネシウム主体の焼夷弾子を放出。
焼撒弾:黄燐焼夷弾子を放出。着火性向上、発光・曳光・白煙等の威嚇効果大。12糎高角砲等に使用
焼夷弾:通常の炸薬(下瀬火薬)に加え、焼夷炸薬(91式爆薬+アルミニウム)と焼夷弾子(テルミット主体)を充填した代物。
でもって、通常弾等の破片効果が小さいと言うのもどうかと思います。
http://sus304l.hp.infoseek.co.jp/shell_var/he.htm
いちのへさんのページに紹介されている陸軍の15糎砲弾の破片量はこんな感じですが
海軍の14糎零式通常弾は弾重38kgで炸薬は2.816kg、陸戦砲のそれよりも大分少ないです。
この破片は100g以上60個、50g以上167個、50g以下906個、総計1113個だそうです。
勿論ばらつきは相当ある筈ですが、50g以上の威力ある破片量は15榴と変わらず、結果的に威力半径が250mもあります(でっかい破片は遠くまで飛びますので)
細かい破片が少ないので破片密度が粗になるであろうと言うのは想像できますが(恐らく陸軍式の威力半径では低めになる)それをして艦砲射撃が効果小と主張するのも、また変では無いでしょうか?(勿論、総合的に見て炸薬比は大きめであることが望ましく、艦砲は弾重程には対地威力が無いと言えると思います)
小さいといわれる戦艦の炸薬ですが、徹甲弾の11.1kgは15榴の倍ですので、625発の徹甲弾は1250発の15榴と同じだけの炸薬量です。これを効果の無い威力とするのは、中々凄い胆力だと個人的には考えます。
結局のところ、大塚さんが述べられたように、物凄い威力・戦果では無かったけど、数日は米軍が困るほどの被害は与えていたと。
両極端な「凄い戦果」と「まったく駄目」の間に真実は有るんじゃないでしょうか。
SUDO
- 便乗質問です。
「通常の炸薬(下瀬火薬)」ということは太平洋戦争時にも日露戦争と同じ下瀬火薬が炸薬として使われていたのですか?
見習い三等兵
- >9
その通りです。
海軍が主要した火薬は多岐に及びますが、徹甲弾にはTNAを基本とした91式、その他の砲弾には下瀬火薬が用いられました。
言うまでも無いことですが、爆発威力ではTNTやTNAは下瀬火薬に劣りますので、下瀬火薬の鋭敏性が問題にならない範囲では下瀬火薬を用いていたのです。
SUDO