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1996 はじめまして。初心者ですがよろしくお願いいたします。

旧海軍の軍艦の命名規則について質問です。
たとえば、戦艦では旧国名などで決められていますが、たとえばその中でも
「大和」はなぜ大和であり、その姉妹艦は「武蔵」なんでしょうか?
そして、「扶桑」があり、「伊勢」があって「長門」ときて「大和」
と連なる命名には連続性があるんでしょうか?

となると、「信濃」の姉妹艦になるべくものは何になるのでしょうか?
「信濃」級の次が「紀伊」「尾張」と巷間いわれていますが、信濃の姉妹艦
の名前についてかたられることがないような気がします。

諸賢のご意見を賜れれば幸いです。

山脇

  1. 現在、容易に手に入る本として、
    光人社「片桐大自著 連合艦隊軍艦銘銘伝」
    の一読をお勧めします。

    ご存知のとおり、軍艦の艦名については、明治24年以来終戦まで”海軍大臣が侍従長を通して天皇に奏聞して、裁定を仰いでいました”が、その形式は基本的に1艦につき2案を提出、そのうち一つお選びいただくものでした。
    よって、ある程度は海軍の側で考えられてから決められていたといえるでしょう。しかしながら、「大和」が大和でなければならない理由までは、残念ながら私にはわかりませんが、扶桑>山城、伊勢>日向、長門>陸奥、大和>武蔵については、
    扶桑=日本の古称>山城=かつての日本の中心、
    伊勢=現在の天照大神の社>日向=神々が日本に下りた土地(建国の地というべきか?)、
    長門=本州の左の端>陸奥=本州の右の端、
    大和=かつての日本の中心または日本の別称>武蔵=現在の日本の中心、といったような作為的なものを感じるのも事実です。
    信濃以降の戦艦については、それが実際に進水、命名されていない以上、巷に言われている次の名称については推測または伝聞の域をでないものであり、語るべく何かを見出すことも困難かと思いますが。
    しかしながら、大和型戦艦の4,5番艦が”美濃””尾張”だったら嫌だな〜^^;
    ついでに言えば、大和、武蔵は戦艦としてとてつもなく有名ですが、その先代の軍艦(正確には巡洋艦〜三等海防艦〜二等海防艦〜特務艦と遍歴したが)大和&武蔵が同型艦であり(実はもう一隻「葛城」があったが)特に特務艦時代には測量艦として両艦よも活躍したこともあるので、ペアーとして名付けられた可能性もあるな。(測量艦としての活躍の足跡は、日本海の海底地図を照覧あられたい。そこに両艦の名前が見つけられるでしょう)
    Lachesis

  2. >光人社「片桐大自著 連合艦隊軍艦銘銘伝」の一読をお勧めします。

    ご紹介ありがとうございます。

    >作為的なものを感じるのも事実です。

    このあたりが知りたかったのです。
    故事にちなんだものなのか、なにか神道的な背景があるのか、政治的なもの(アメリカの軍艦の名前みたいに)があるのか、いわゆる「ゲンをかついだ」のか?

    >大和型戦艦の4,5番艦が”美濃””尾張”だったら嫌だな〜^^;

    大和&武蔵>信濃&??>紀伊&尾張 というのが 俗説の定説(?)だと思っています。「美濃」という説もあったのですね。

    便乗なのですが、現在の海自についてはどうなのでしょう?
    最近、旧海軍の艦船からの襲名が多いような気がしますが・・・
    でもイージス艦は戦艦からもらったり、巡洋艦からもらったり、いまいちポリシーがないですね。




    山脇

  3. イージス艦やDDHは山の名(巡洋艦名;金剛クラスは元巡洋戦艦でのちに戦艦に変わったものです)、DDは天象気象名(駆逐艦)、DEクラスは河川名(軽巡)、潜水艦は潮の付く名(駆逐艦)のようですね。

    (信濃&甲斐という説を艦名の付け方を解説した古い丸のトピックスか何かのページで読んだ記憶が有ります。付け方規則自体は1.とほぼ同じでした。各論の解説がすこしちがったですけど)
    素人の空耳モード

  4. >金剛クラスは元巡洋戦艦でのちに戦艦に変わったものです

    命名規則は巡洋艦にならっているということですね。

    >信濃&甲斐という説を艦名の付け方を解説した古い丸のトピックスか何かのページで読んだ記憶が有ります。

    これはどういうつながりになるのでしょうか?
    戦国時代に由来する故事ですか?


    山脇

  5.  3に追加。
     海自の護衛艦(天象気象、山岳、河川)、潜水艦(海象:○○しお)の命名基準については3の通り。それ以外だと・・・
     護衛艦・潜水艦以外の警備艦艇では、機雷艦艇のうち掃海艦艇は島の名前、掃海母艦・敷設艦は海峡・水道・岬、ミサイル艇は通し番号または鳥の名前(ちなみに海自の旧駆潜艇も鳥の名前だった)、輸送艦艇は半島名または通し番号となっています。
     補助艦艇は地名、名所旧跡の名、旧艦名の継続(種別変更)が基準となっており、補給艦は湖名、練習艦・特務艦艇は風光明媚な地名、訓練支援艦は峡谷名、潜水艦救難(母)艦は城の名前、砕氷艦は山または氷河名などとなっています。

     ちなみに、現在建造・就役中である『むらさめ』『たかなみ』型DDは、ほとんどが海自創設初期の国産警備艦(護衛艦)の艦名を復活させた形になっています(ついでに通し番号も101〜に戻った)。個人的には『あやなみ』が復活するかどうかが・・・(ゴミっす)
    ブラック・タロン

  6. >>5
    詳しいご解説ありがとうございます。
    海自には現状では旧国名は登場していないのですね。
    たしかに反発が強いかも・・・・

    ちなみに旧海軍の軍用機の命名についても同様な作為はあったのでしょうか?

    局戦にx電、とかそういうのはありますが、雷電、紫電という流れに意味があるかです。

    蛇足ですが、そもそもなぜこのようなことをお伺いしているかというと巷にあるいわゆる火葬小説みたいなやつに登場する兵器の名前がけっこう笑えますので、反証にたる知識を得ておきたいなぁ、と思いましたので・・・

    山脇

  7. >2&4(の一部)
    金剛は一等巡洋艦として計画されました。
    日本海軍の艦艇類別に巡洋戦艦種が制定されたのは大正元年8月28日の海軍艦艇
    類別標準の改正からとなります。金剛が部内限で命名されたのは明治43年6月5
    日、進水は明治45年8月18日です。
    ですから金剛型は「命名規則は巡洋艦にならっている」ということではなく、一等
    巡洋艦に一等巡洋艦としての命名基準で命名したという、ごくごく当たり前の経緯
    で艦名が決まっています。
    金剛は、一等巡洋艦(計画・建造時)→巡洋戦艦(竣工時)→戦艦(昭和6年5月
    30日の類別改正以後)と類別が変更されたということになります。

    明治38年8月1日に制定された艦艇の命名基準により、一等巡洋艦の艦名は山の
    名と定められており、鞍馬、生駒等のちに巡洋戦艦種となる一等巡洋艦もこの基準
    により命名されており、金剛型も一等巡洋艦ですからこの基準に従って命名されて
    います。

    太平洋戦争時の艦艇類別から見れば「霧島」は戦艦で「妙高」は一等巡洋艦であり
    全く違うもののように感じられますが、それぞれの艦の命名された時期のことを考
    えると両艦とも一等巡洋艦であり、
    >イージス艦は戦艦からもらったり、巡洋艦からもらったり、いまいちポリシーが
    >ないですね
    ということはなく、「旧海軍の一等巡洋艦の艦名を襲名した」ということで統一さ
    れているのです。
    枚方太郎

  8.  ごみレス
     防衛研究所の史料閲覧室に足利艤装関係綴という冊子が保管されてまして、これには巡洋艦足利の命名理由として矢倉神社がどうとか日本武尊がこうとか書かれていました。
     ですので大和艤装関係綴を見れば大和の命名理由もわかるとは思うのですが・・・
     ちなみに巡洋艦と駆逐艦以外の艤装関係綴は見つけられませんでした(涙)
    中村

  9. >>5
    詳しいご解説ありがとうございます。
    海自には現状では旧国名は登場していないのですね。
    たしかに反発が強いかも・・・・

    ちなみに旧海軍の軍用機の命名についても同様な作為はあったのでしょうか?

    局戦にx電、とかそういうのはありますが、雷電、紫電という流れに意味があるかです。

    蛇足ですが、そもそもなぜこのようなことをお伺いしているかというと巷にあるいわゆる火葬小説みたいなやつに登場する兵器の名前がけっこう笑えますので、反証にたる知識を得ておきたいなぁ、と思いましたので・・・

    山脇

  10. >旧海軍の軍用機の命名についても同様な作為はあったのでしょうか

     昭和17年の途中から採用された海軍機の名称については以下のような基準がありました。

     甲戦 (制空戦闘機/水戦) … 「風」に因む名称 (烈風、陣風、強風など)
     乙戦 (局地戦闘機) … 「雷」または「電」に因む名称 (雷電、紫電、天雷など)
     丙戦 (夜間戦闘機) … 「光」に因む名称 (月光、電光、極光など)
     爆撃機 … 「星」または「天文」に因む名称 (彗星、流星、銀河など)
     攻撃機 … 「山」に因む名称 (天山、連山など)
     偵察機 … 「雲」に因む名称 (彩雲、紫雲、瑞雲など)
     哨戒機 … 「海」に因む名称 (東海、大洋など)
     輸送機 … 「空」に因む名称 (晴空、蒼空など)
     練習機 … 「草木」に因む名称 (紅葉、白菊など)
     特殊攻撃機 … 「花」に因む名称 (桜花、橘花など)
    T216

  11.  訂正です。

    誤:昭和17年の途中から採用された海軍機の名称
       ↓
    正:昭和18年から採用された海軍機の名称

     失礼しました。
    T216

  12. 「作為」って・・別に不正な事をしている訳でもないでしょうに。
    飛行機の場合は十八年の八月十日以前に制式兵器となったものとその改造型は年式を冠した名称のまま残され、試作中のものは新しい名称付与様式によって新たに命名されています。
    BUN

  13. >>7
    枚方太郎様、ご解説ありがとうございます。

    >旧海軍の一等巡洋艦の艦名を襲名した

    金剛等は一等巡洋艦として計画された。
    計画時の類別が基準になる、という理解でよろしいでしょうか?
    たしかに空母として完成した赤城なども改名がなされたわけではありませんね。
    でも、改装空母などで名前がかわったものもあるような気がします。
    そのあたりはいかがでしょうか?

    >>8
    中村様、ありがとうございます。
    >ですので大和艤装関係綴を見れば大和の命名理由もわかるとは思うのですが・・・

    主だった艦艇のそれをまとめた抄録でもあれば楽しそうですね。

    >>10,11
    T216様、ご解説ありがとうございます。
    そのような類別があるのはおぼろげに存じていました。
    すみません、私の質問がわるかったようです。
    >「雷」または「電」に因む名称 (雷電、紫電、天雷など)
    たとえば、「電」に因む名称はあまたある中で「雷電」がチョイスされたのには
    どのようないわれがあるのか?たんに力強いとか、そういうものなのでしょうか?
    神話や故事にちなむいわれがあるのか、そういうものを順に選んでいたのでしょうか?
    それとも、語感や力強さという基準だけだったのでしょうか?
    回答があるようなことでもないのかもしれませんが。

    >>12
    BUN様、恐れ入ります。
    「作為」という単語は不適切ですね。
    なんといいますか・・・・単に「旧国の名前」という基準だけではなく、その背景には偶然ではない命名の意思が連続してあったのだろうか?
    という意図で質問させていただきました。
    (>>1でLachesis様がおっしゃられているような、神話にちなむような、ある意味神頼み的な意思を感じるような)

    山脇

  14. >10
    18年時点では「特殊攻撃機」はありませんから、「下ニ『花』ヲ附ス」のは操縦練習機というのが本来の規定です。

    >13
    ということで、意味的に明らかな意図をもって命名されたものがあるとすれば、練習機の規定を横取りした『桜花』『橘花』こそそれにあたるのではないでしょうか。


  15. >13
     海軍では改名は縁起が悪いとされていました。、あた、恐らくもうひとつの理由としては天皇から戴いた名前であるという遠慮もあったのではないかと想像します。
     改装空母で改名したものも、給油艦の剣埼>祥鳳、高崎>瑞鳳は「軍艦」ではなかったわけで、軍艦で改名したのは潜水母艦の大鯨>龍鳳の一例だけ、大鯨はやっぱり名前的に空母にはちょっと向いてないでしょうから、仕方が無いという事なのではないかと考えます。
     という事で、何か大きな理由でもない限り「軍艦」の名前は変わらないというのが海軍の基本ルールだったと思って良いと思います。
     改名した艦の例としては、運送艦(給糧艦)南海>野埼、南進>杵埼。元々雑役船で、ナンバーから名前に、そして運送艦籍に入ってまた改名してます。
     運送艦沖ノ島丸>若宮丸>若宮。後の航空母艦というか水上機母艦若宮です。元々日露戦争時の捕獲輸送船だったのですが、日本海海戦で捕獲したロシア戦艦が海防艦沖島になった結果、紛らわしいということで若宮丸に改名、水上機母艦任務について海防艦籍(軍艦)になった事で若宮と改名を繰り返しました。
     ナントカ丸という名前で編入された後、丸が取れる場合(類別変更のときなど)は比較的事例が多いのですが、完全な改名をした例は、他には駆逐艦が番号にしてから名前を付けたような事例を別にすると、非常に珍しいと言えるでしょう。
    SUDO

  16. >15. ゴミレス。米軍機にはノーズアートと共に固有機の愛称が付けられていますが、中古機を引き継いだ場合は愛称もそのまま引き継ぐのが習わしだったそうです。名前を変えるのはやはり縁起が悪いとされたそうです。
    ささき

  17. 信濃って3番艦の名前を空母名に変えたものでしょ?4番艦は建造計画が始まった頃からすでに「紀伊」って呼ばれていたらしいですよ。ということは、信濃の本当の名は別にあり、4番艦も空母に改装された場合は山、川にちなんだ名前になるはずですよね。飛騨って何かの本で読んだことがある気がします。信濃の元の名前は、尾張ではないかと言われていますが、終わりと読めるために縁起が悪いとして用いないでのではないかとも書いてありました。何故なら八八艦隊のときも尾張を最後にして建造計画のあったその次の2隻の建造中止になりましたから。たしか駿河と近江だったかな?
    シルバー

  18. >17.「信濃」は戦艦としての旧国名であって、山名ではないです。上のほうでも書かれていますが、命名済みの軍艦から空母へ改装されたとしても、基本的には、名前の変更はありません。また、信濃に次ぐ111号艦は、未命名であることからもわかるように進水に至っておらず、空母改装の計画対象外です。


  19. >17
     信濃の名は信濃国(現在の長野県)に因むもので、戦艦としての命名基準に従ったものです。信濃川に因むものではありません。また111号艦(大和型四番艦)の予定艦名については諸説ありますが、その中に「尾張」というのもあるにはあります。
     ただ……尾張にせよあるいは紀伊にせよ、それまでの戦艦命名ルールの不文律(二隻ペアで関連性を付ける)に沿いません。そもそもなぜ「信濃」が選ばれたのかも明らかではありませんから、余計に分からないのですが……

     これは完全な私見なのですが、もしかすると諏訪大社(戦国時代以降、武士の守護神とされた、日本第一大軍神)にあやかったのかもしれません。とすればそれと同等以上の格式のある、香取神宮のある「下総」、鹿島神宮のある「常陸」のどちらかが、四番艦についたかもしれません。常陸の可能性が高いかな?
    tac

  20. 初っ端に書いて、今までほったらかして申し訳ありません。
    「美濃」「尾張」については、冗談です。
    だって、語呂がわるいでしょ^^;身の終わりなんて、、、
    「美濃」なる名前は、予定艦名とされるものの中にはないはずです^^;

    ちなみに、水上機母艦から空母に改装された「千歳」「千代田」は当然改名されるよていでした。しかし、艦長の発案で乗員にアンケートを採ったところ、改名しないで欲しいという意見が大半であったため、あえてその名前を残したとの逸話もあります。
    また、あえて金剛型の”戦艦”の名を上げなかったのも、もともと一等巡洋艦であったので、命名基準が計画時には巡洋艦であり、後に戦艦に(巡洋戦艦>戦艦)分類されたものであったためです。
    >19tac様
    なるほど、諏訪大社の可能性ですか。ならば海のない国の名をつけたのも考えられますね。目から鱗。ならば、東国武士の守り神、防人たちの守り神であった”鹿島神宮”がペアーとしてふさわしいかもしれませんね。

    「紀伊」は六番艦(50cm砲搭載艦の一番艦)という説もあることを、ここに書き込んでおきます。
    Lachesis

  21. 明確な基準を覚えていない記憶モードでアレですが、旧国名の名前をつける場合にも基準がありまして、のべつまくなしにつけてはいなかった様です。

    旧国名は、おおよそ二つの分類になるようでして、上国と下国かなんかに分かれたと思います、どれがどの分類か詳しくは忘れたのですが、つける場合は上国の方が優先され、下国の方はあまり使われなかった様です、例外としては日露戦争当時の鹵獲戦艦につけられた例がいくつか見られます、誰か詳しい方フォロー願います(^^;。
    (例:上国・出雲/下国・石見など)
    ooi

  22. え?5番艦?大和級4隻で次の超大和級が3隻ではないのですか?
    シルバー

  23. >>22
    大和級はD計画で5番艦が計画されています。
    このとき、20インチ砲戦艦がさらに2隻計画されており、これがいわゆる超大和級です。
    勝井

  24. >21
    律令制による国の等級は、大上中下の4つのランクに分けられています。
     
    それで戦艦の名前ですが大国の播磨や近江の名前がつけられていないのに、中国の薩摩や長門の名前はつけられています、鹵獲戦艦にしても上国の名がつけられている艦もあります。
    確かに下国は避けられているようですが、上位が優先されていたという訳でもなさそうです。
    それと、石見は中国です。 
    中村

  25. 信濃の命名を伝える「達」は母艦への改造決定後に出ていますね。
    また111号艦の艦名を正式に伝える通達は出ていません。
    命名されなかった111艦の予定名を推定できる確かな史料も未発表の状態です。
    その後の建造艦に予定があったとする説も今の段階では無理があるでしょう。
    BUN

  26. >24
     ども、うろ覚えだったんですが、これに付いて触れた書き込みがなかった物で。
     フォロー感謝します。
    ooi

  27. 考えてみると、扶桑・山城に対して大和・武蔵というのも相互に関連づけられるんですよね。
     扶桑=日本の古称、大和=倭=日本の古称
     山城=かつての日本の中心、武蔵=現在の日本の中心
    そうなると信濃は本来、伊勢に対応するのかも……? とすれば四番艦には日向と同じような位置づけになる国名が来るかもしれませんね。

     そもそもそれまで使ったことがない「信濃」を使うに至った(それこそ、海のない国をわざわざ選んでいるわけですし)経緯だけでも分かれば……
    tac

  28. >27
    伊勢・日向に対応するとすれば、信濃・出雲ならば、と思いますが、出雲は既に存在してるわけですしねぇ。やはり何か関連する事実記録が出ないと。
    MB

  29. みなさま、たくさんのご回答ありがとうございました。
    私などの知識の及ばない範囲ですが、とても面白く感じました。
    自分でも調べてみたいとおもいます。

    山脇

  30. 歴史・神話上のつながりだけでなく地理的関係だけでつけている例もあるとさきのにあげた丸の記事にも出ていましたので、そっちの絡みで名が付く場合も考えられますね。
    (長門&陸奥(東西)、加賀&?(土佐でしたっけ?違うな〜?忘れました、すいません、加賀の相手はなんでしたっけ?)(南北);地理的に相対する位置)

    素人の空耳モード

  31. ↑土佐&加賀ですが、土佐は維新の功労藩(薩長土肥の他三藩はすでに戦艦名になっている)、加賀は外様の最大藩、ということで戦艦名候補になったのでは。
     八八艦隊の他の艦名を見ると、維新藩の長門、親藩の紀伊尾張、というように旧幕時代・維新時代にいわれのありそうな艦名がついています。そういうのも多少は考慮のうちにあったのではないでしょうか。
     以上根拠のない思いつきです。
    大名死亡

  32. 何で日本の艦名って他の国のように神話上の名前や人名はないんでしょうかねぇ。紺○の艦隊みたいに(嫌いだけど)
    プー次郎

  33. >32
     明治時代、天皇にお伺いを立てた(歴代天皇の謚や功績のあった武将など)ところ「それは好まぬ。国の名を使うように」とご返答があったため、取りやめになったんです。紙幣や貨幣に天皇の肖像を使っていないのも、そういえば珍しいのですけどね。
    tac

  34. (訂正)
    最初のほうの3.で甲斐と書きましたが記憶違いな気がしてきました。
    ともかく手元に読んだものが残っていないのでこの部分を訂正させていただきます。
    すいませんでした。
    素人の


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