1959 |
質問なんですが、真珠湾の奇襲で戦艦から航空機へと変っていきましたが。実際の戦闘ではどのくらい戦艦を沈めることが出来たのでしょうか? 呱呱 |
- どのくらい戦艦を・・・という表現がちょっとあいまいですが、航空機によって沈められた戦艦がどのくらいあるか?ということだと判断してお話しします。
(ただし、あくまで洋上を航行中に航空機によってのみ沈められたものに限定します。)
まず、洋上を航行中に沈められた最初の戦艦は、マレー沖海戦の際に沈められた英戦艦「レパルス」と「プリンスオブウェールズ」。日本戦艦の例では、戦艦「大和」「武蔵」が挙げられます。
しかし、戦艦は元々重装甲で対空火器も多く、航空機にとっても強敵であることは間違いありません。まだ誘導兵器が発達していないWWII当時においては、回避運動を行いつつ洋上を航行する戦艦に、対空弾幕をかいくぐって爆弾や魚雷を命中させるには、相当な技量も要求されたのです。
日本では、最強とうたわれた大和・武蔵が航空攻撃で沈められていることから、戦艦は航空機には勝てないというイメージが定着していますが、両艦とも延べ数百機とも一千機とも言われるほど多数の航空機の攻撃を、集中的に受けたことによって沈没したのです。
「武蔵」が沈められたレイテ沖海戦おいては、「大和」「長門」「金剛」「榛名」の4戦艦は重大な損傷を受けることなく生還しており、また囮となった小澤艦隊の戦艦「伊勢」「日向」も、米機動部隊の空襲を受けながら、ほとんど無傷で帰投しています。
このことからも、洋上を航行する戦艦を航空機によって沈めることは、イメージほどには簡単でないことがお分かり頂けると思います。
海戦の主力が戦艦から航空機に移っていったのは、戦艦を沈めることができたからではなく、空母搭載機による攻撃範囲が、戦艦の主砲と比較して圧倒的に広い、すなわち、戦艦では敵空母に対してまともに攻撃をかけることができないこと。また、搭載機の種類や装備を変更することによって、対空・対艦・対地・対潜とあらゆる攻撃目標に対して柔軟に対応できること、つまり戦力としての使い勝手が戦艦よりも優れていたことによるものと考えます。
つね
- 泊地、港内での着底(場合によっては一時的である場合があります)をカウントに含めるかどうか、これで数字はかなり変わってくるものと思います
烈風天駆
- 戦艦は航空機によって撃沈され得るという考えは洋上航空戦力が構想された頃から存在します。というよりも主力艦を撃沈する為に洋上航空戦力は誕生したと言って良いような経緯が存在します。
日本の場合、開戦前の段階で既に敵主力艦一隻を撃破する為には72機の攻撃機が必要との研究があり、以降の戦術に反映されていますが、当時でさえ戦艦はその程度の航空攻撃で無力化されると考えられていた訳です。このような認識を持っていた日本海軍ならずとも、航空機は戦艦を撃沈する能力があり、各国海軍もそう考えていたのですから、戦艦が敵制空権下を進撃できるとは開戦前の段階で誰も考えてはいなかったことでしょう。
戦艦の撃沈事例が少ないのは、最初から航空攻撃に対して無力な存在として運用されていた事と、目標としての優先度が航空母艦に比較して低かった為ことが一番の要因ではないかと思います。
航空機が戦艦にとって重大な脅威となったのは、日本人としては少々残念ですけれども、真珠湾奇襲でもマレー沖海戦の大戦果でもなく、洋上に対艦攻撃用の航空機が姿を現したその時点ではないでしょうか。
BUN
- 「戦艦」や「沈没」の定義の仕方によってはかなり変動すると思いますが、一応こんな所でしょうか。
洋上で航空攻撃を受け沈没。プリンス・オブ・ウエールズ、レパルス、ローマ、武蔵、大和
洋上で航空攻撃を含む攻撃により損害を受け沈没(あるいは自沈)。ビスマルク、比叡
停泊中航空攻撃を受け大きな損害を受け、その後再就役しなかった事例。アリゾナ、オクラホマ、ティルピッツ、コンテ・ディ・カブール、伊勢、日向、榛名。これに含めていいか微妙なケースとしては、ペトロパヴロフスク、グナイゼナウなど。航空攻撃で大破着底後再就役した事例は、タラントのイタリア戦艦、真珠湾のアメリカ戦艦などかなりあります。
第二次大戦時の戦艦の撃沈事例を見ると、洋上では航空攻撃によるものとそれ以外の方法によるものとが拮抗していますが、港湾あるいは泊地では航空攻撃の戦果が圧倒的です。航空機が、軍港にこもる敵「現存艦隊」を破壊する能力を獲得したことは、航空機による制海権獲得に比べると地味ですが、これもまた画期的なことといえるでしょう。
カンタニャック
- >3.
うーん、戦艦1隻当たり攻撃機72機ということは、直衛機の妨害その他諸々考えると
戦艦1隻無力化するのに正規空母2隻が必要ってことになりますね。
戦力としての汎用性は勿論空母に軍配が上がりますが、純粋に戦艦だけを相手どるとなると、
1対2というのは果たして効率的と言えるのかどうか…?
反復攻撃だの基地戦力だのも含めてもう少し考えてみます。
勝井
- 勝井山、建設的な意見が無いなら書き込むな。
72機という数字だけを一人歩きさせてどうする。
BUN
- カンタニャックさん、敵の泊地を攻撃して敵主力艦を撃破するという構想は最も歴史の古いものです。日本海軍の場合は水雷艇による奇襲攻撃が敵の防衛強化によって困難になると予測される中、その代替案として航空攻撃が提案されたという経緯があります。対艦攻撃用の兵器や航空機そのものが未発達な状況下で既に第二次大戦で行われたような運用形態の原型が構想されていたという事と、それはひとつの脅威として考えられていた事が大切なのではないでしょうか。
勝井山は戦艦一隻に空母二隻が当るのは非効率だと考えているようですが、この数字は艦隊側が演習を繰り返して得た目安です。基本的には100機でも40機でもいい数字なのです。それよりも重要なのはこのような認識の下では、小規模な戦艦戦隊を敵制空権下に進撃させれば袋叩きに遭って殲滅されてしまうという危惧が存在したという事で、戦艦は作戦上の自由度が大きく制限されてしまい、その地位が限定的なものに変ってしまったという状況でしょう。
BUN
- >7
小規模な戦艦戦隊の進撃の代表例としては、ガタルカナル飛行場の艦砲射撃
なんかがありますけど、夜間に行われたのはこの認識があったから、と考え
れるわけですね。
taka
- 大英帝国海軍は
11月25日にバーラムをUボートに
12月18日にはQEとヴァリアントをイタリア軍人間魚雷
にやられているから
(あのアリゾナにも魚雷が命中しているし)
戦艦から航空機というより
砲弾から魚雷の時代といえるのかも・・・
Kleist
- 空中からの対抗不能の脅威と言えば魚雷よりも水平爆撃でしょうね。
では空母ならば敵攻撃機の行動半径内を悠々と行動できたかと言えばそうではなく、日米の機動部隊は共に敵陸上機の行動半径内での作戦をできるだけ避けようとしています。
米海軍が制空権下の艦隊決戦を考えていたように、日本海軍が考えていた邀撃作戦も機動部隊が米空母群と刺し違えた後、第一艦隊に属する航空戦隊が対主力艦攻撃を基地航空隊と連携して行って主力艦数の劣勢を補い、更に主力艦随伴の小型空母が敵観測機の掃蕩と味方観測機の掩護、そして主力艦の砲戦観測を行うというもので、戦いの帰趨を決定するのはあくまで航空戦の勝敗です。
ですから戦艦の航空攻撃による撃沈事例が少ないからといって、戦艦が航空攻撃に対して対抗できたと判断しては早計なのです。
マレー沖海戦も「やれる」と判断して準備され計画通り「やった」だけの作戦で、乾坤一擲の大作戦という程ではありません。それを一大転機と呼ぶのは日本海軍側の、強いて言えば心意気の問題かもしれません。
BUN
- >7
WW1時にイギリス海軍が構想していた雷撃機の用法として、ヘリゴランド湾沖合いに機雷を敷設してドイツ艦隊の行動を抑制したうえで湾内に航空雷撃をかける、というのがあります。他の用法としては「来寇する敵艦隊の迎撃」が挙げられており、外洋を航行中の艦隊を積極的につぶしに行くという用法は想定していないようですね。
ただ、当時の雷撃機の航続性能からして目標の捜索をやっている余裕はなかったのでしょうが。
Schump
- >4 カンタニャック先生のリストアップに(もはやどうでもいいレベルの)補足。
>停泊中航空攻撃を受け大きな損害を受け、その後再就役しなかった事例。
スペイン内戦中の39年7月、西海軍ド級戦艦パメイIがHe111の爆撃で大破後放棄。
ギリシャ海軍はサラミス軍港で、(前ド級!)戦艦「キルキス」「レムルス」を独伊軍機の爆撃で着低させられています。
後、これは沈没時に重巡籍であった元戦艦の例として、ドイツのアドミラル・シェーア(45/4/9、キール)とリュッツオウ(45/5/4 シュヴィーデミュンネ)を蛇足として挙げておきます。
烈風天駆
- >パメイI
間違えられますが正しくは「ハイメ一世」です。ハイメはヤコブのスペイン語読みです。
モーグリ
- どうでも良いヨタ。
当時の水平爆撃の用法は、10機前後の編隊で一斉投下し、その散布界に目標を捕らえて、直撃弾を期待するというもので、砲撃の公算射撃と基本的に同じ事をするものです。
高度2,000mで約200m/s、3,000mからですと約250m/sの速度で落ちてきます(これに爆撃機の速度100〜200m/sを加味すると落角50度前後、激速は300m/s前後になります)
米軍の12吋50砲弾(450kg)が最大射程付近で落角45度激速437m/sで182mmの甲板を貫徹するそうですから、500kg級徹甲爆弾でもかなりの貫徹力が出る計算になります(これが800kgとかになるともっと凄い訳ですな)
各国の戦艦の水平装甲は75〜150mmですから(最新世代で150級)500〜800kg級水平爆撃の前には戦艦は穴だらけになると言えます。
>9
魚雷で大型戦闘艦が撃沈破されるのは日露戦争や第一次大戦で既に証明されています。
どちらの戦争も魚雷・機雷による損失の方が砲撃よりも多いのではないかと思います(旅順の陸砲を別とするなら)
SUDO
- >13 モーグリさん
書き込んでから別書でその読み方を見つけました。ご指摘ありがとうございます。
烈風天駆
- >14 英海軍の算出だと、6inの水平装甲は500lbAP爆弾には全高度で耐えますが、1000lbAP爆弾の
水平爆撃で15,000ft以上で貫徹、2000lbAPの場合だと7,000ft以上の高度で貫徹可能、とされてますね。
ところで最初に魚雷にやられた大型戦闘艦なら、我が海軍が日清戦争で沈めた甲鉄艦定遠を
忘れてませんか…。見よ定遠は沈みたり♪音に響きし威海衛♪、ああ、良い歌だ(笑)。
大塚好古
- >16
15,000ftだと、垂直分約300m/s、7,000ftだと200m/sぐらいになりますね。怖いもんですな(^^;;
>定遠
ああ、忘れてたっ(爆)
あれは確か港を襲撃したんですよね、後の航空機による港湾襲撃との関連性なんかに意識が向いちゃいますな。
そして#7でBUNさんが述べられたように、港湾の防備からこれが困難になっていくと(潜水艦による襲撃も水雷艇襲撃の亜種ですね)
SUDO
- >14
日本海軍の試算では九九式八十番五号(800kg徹甲爆弾)は2600Mで150mm装甲を貫徹可能、
2400Mで貫徹せずとなっていますね。
ルージュ
- >13
本題と全く無関係の駄レスですが…。ヤコブさんには二人ありまして、ハイメ=ヤコブは十二使徒の一人のヤコブ、即ち新約聖書に出てくるヤコブです。旧約聖書に登場するヤコブさんの方はスペイン語ではイァーゴ(オセロで有名ですね)となります。で、聖イァーゴとなると米西戦争のサンチャゴ海戦の「サンチャゴ」というわけです。
いちげんさん
- 水平爆撃は撃速が音速を超えないから
やはり艦砲の方が速く威力はあります。
しかも水平爆撃では静止目標にさえ命中困難だから
急降下爆撃なんて戦法があるわけです。
ドイツが1943年9月に高度5500メートルから水平爆撃で投下したフリッツXは
重量1.5トン(1.4トン徹甲爆弾、炸薬300キロ)でした。
軽装甲戦艦「ローマ」こそ弾薬庫誘爆で撃沈できましたが
ウォースパイトには2発当てても撃沈できなかったばかりか
英巡ウガンダ米巡サバンナも沈没は免れています。
日清戦争ではせっかくの三景艦の32センチ砲は大きすぎて照準さえあわせられず
日露戦争では信管過敏のため装甲貫徹できなかった
大日本帝国海軍軍人のトラウマが、
真珠湾における800キロ徹甲爆弾で
アリゾナ誘爆爆沈を成就させた事を高く評価するのはいいのですが
その後もアメリカ海軍が装甲貫徹をあきらめた250キロ級の軽量爆弾を
徹甲爆弾で投下してサンゴ海のヨークタウンを取り逃がし、
その後もエンタープライズ、ホーネット等の飛行甲板に小穴を空ける事に汲々としてしまった。
フランクリンやバンカーヒルのような大型空母を
再起不能にしたのは、実は特攻機の燃料とその誘爆だった事も一考すべきでしょう。
Kleist
- >20
実戦での結果と、戦前の思想に基く爆撃威力の考えは別個に考えた方が良いと思いますよ。
誰もアリゾナ撃沈の事なんか取り上げてないでしょう。戦前における大型爆弾による爆撃機編隊が、各国の艦隊にどういう影響を与えていたのかという思想や考え方の話です。
またフランクリンをボコったのは通常爆撃で、またエセックス級が爆撃に対して強かったのは、甲板装甲が強靭で、爆弾が下層まで貫通しなかったからであるとも言われますね。
つまり、25番が力不足であると言う事と、より強力な貫徹力を期待できる大型爆弾による水平爆撃は何ら矛盾しません。
であるから、50番や80番の徹甲爆弾が各国で開発運用されたのではないでしょうか。日本軍でも50番徹甲を用いた急降下爆撃に移行するわけですし、それに対する防御を考えた装甲空母も建造される訳です(彗星や銀河は戦前から開発が始まっており、実戦における力不足とは関連性はあまり無いでしょう)
また、1.4トンのフリッツXで大型戦闘艦が沈まないのは、ある意味当然でしょう。大和型戦艦の46糎砲弾もほぼ同重量ですが、大巡4〜5発、戦艦9〜16発が廃艦所要弾数です。急所である弾薬庫に行かないと撃沈できくても不思議では有りません。ウォースパイトの被害を見れば、もう数発行ったら助からなかった可能性も否定できませんし、被弾した時点でこれらの艦は戦闘不能に近い被害を受けている事を思えば、まあ概ねこんなもんだろうと思います。
実戦ではどうだったかという、昭和17〜20年のハナシではなく。戦前、海軍休日時の、将来の海上情勢における展望はどういうものであり、その根拠はこういうところに有ったのだと、そういうハナシです。
SUDO
- >20
訂正
フランクリンと書くべきではなく
イントレピッドですね
Kleist
- 急降下爆撃は編隊精密水平爆撃の代用戦法ではありませんし、そもそも対主力艦用の攻撃法ですらありません。艦爆は敵母艦を先制攻撃する事を第一の任務として発達しているのです。ですから対主力艦攻撃任務を帯びた赤城、加賀などの戦時飛行機搭載標準には艦爆は1機も含まれていません。
BUN
- 海軍航空教範の試製爆弾の表の仮称二式五十番通(通常爆弾)の説明で
「八十粍ヲ貫徹シ自爆セザルヲ目標トス」と書かれていますし、
十三試艦爆にぜひ必要な弾種との説明や70ミリ装甲を貫徹出来る80番通常爆弾の
説明で最新空母に対しては威力不足との説明があります。
これらの爆弾の威力の基準は最新空母…つまり大鳳の飛行甲板装甲だったのではないでしょうか。
ルージュ
- 通常爆弾が空母用とは限りませんが、その目標としては大鳳と言うよりも「重空母(新)」と呼ばれる将来登場すると予想された装甲飛行甲板を持つ航空母艦群の第二世代も想定しています。艦爆の兵装強化は「空中兵力威力研究会」報告等を基礎に構想されたものではないかと思います。
BUN
- 御参考までに、昭和十三年十月の大鳳の検討資料には
「重空母(現)は現存のものにして防御甲板の熱さを55ミリと推定」
「重空母(新)は将来出現すべきものにして防御甲板の厚さ150ミリ(火薬庫上)と推定」
といった説明が付けられています。
BUN
- >24
80oというのは、昭和十二年頃、「米国の新型空母の防御甲板厚さが80o」という情報を得たからという説があります。
その後、150mmという数字が出てきたのは26番でBUNさんが書かれている通りです。これを基にして、ドイツから(爆弾実験用の)150mm甲板を輸入していますね。
以下余談
急降下爆撃の場合にはどうしても撃速が遅くなるのでロケットで加速する爆弾が開発されました、これは重空母(新)や戦艦(現)の撃沈を目的としたもので、昭和十年頃から研究が始まり、ミッドウェイ後には「急速に整備する必要がある」と進言されています。投下高度1000mの場合、250sで150o、500sで240oの貫徹力を目標としたものですが。250sの場合、実験では150oを貫通したものの、実機から投下した場合には150oを貫徹する事はできなかったようですね。
tackow
- >26
>重空母(現)は現存のものにして防御甲板の熱さを55ミリと推定
>27
>米国の新型空母の防御甲板厚さが80o
エセックス級の格納庫甲板が2.5inでアッパーデッキが1inなので目標はどうやら
こちらのようですね。
昭和15年の航空機性能標準で艦攻と艦爆が出来れば同一形式である事を求められたのは
80番で重空母(新)の防御甲板を貫徹する事を狙ったようにも思えてきます。
ルージュ
- 日本海軍には世界に誇る各種魚雷があるから
それで戦艦でも空母でも沈めればいいと思うんですが・・・
移動目標に対しては格段に命中率が落ちる水平爆撃をする際には
6インチ装甲を貫徹して23キロ(80番5号爆弾)の少量の炸薬を爆発させ
さらに命中が期待できない弾薬庫の数百トンの主砲弾薬誘爆を狙わずとも
陸用爆弾に瞬発信管をつけて艦上で382キロ(80番陸用)の炸薬を破裂させれば対空兵器を沈黙させる事が出来て、雷撃がしやすくなるんですがねえ。
空母にいたっては艦底近くの弾火薬庫を狙わずとも
飛行甲板上、格納庫内にバイタルパーツである航空機があるんだから
それを破壊するべきなんですが・・・・
装甲貫徹は男のロマンなんでしょうか?
Kleist
- 細々とした説明は省きますが、戦艦や空母の装甲を貫徹出来ない(と考えられていた)場合には短遅働の信管を使い「上部構造物の破壊」を目的として爆弾を用いる事も考えられていました。
例えば、いわゆる通常爆弾は重空母(新)あるいは戦艦を「除く」艦船撃沈用であり、重空母(新)等に対しては「防御甲板以上の構造物破壊」を目的としていました。
そして、装甲がそれら艦船に対しては、撃沈するために徹甲爆弾たる五号爆弾が開発された訳です。
空母格納庫あるいは対空火器に対しても同様で。短遅動の信管を用いる事によって格納庫内の航空機破壊を狙う、という方針もありましたし。陸用爆弾搭載機で先に対空火器を沈黙させ、その後、通常爆弾でじっくり料理する。という運用が実際になされたのは戦史が示す通りです。
tackow
- 訂正。。
装甲がそれら→装甲が強靱なそれら
tackow
- 搭載機はバイタルパートではないですね。
編隊精密爆撃による徹甲弾攻撃が重ねて検討されたのは全甲板を貫通し艦底で起爆させてキールを折る、という構想があった為です。その為に炸薬は少なくても貫通力が重視されたということで、魚雷では達成しにくい一撃での撃沈を期待できる手段として徹甲弾攻撃は注目されています。これは敵航空母艦に対する攻撃手段として実際に検討されていますし、精密編隊爆撃の命中率も実際に十分有効な数字が予想されていたのです。
BUN
- >29
どうも急降下爆撃に対する憧憬が強すぎませんか?
戦前、何処にどれだけの急降下爆撃機があったでしょうか。
原理的には急降下爆撃の精度面の優位は明らかですが、例えば米国ではノルデン照準機という高度な照準装置で水平爆撃精度を高めようとしてますね。
急降下爆撃機を導入したがらなかったフランスや英国のように、急降下爆撃は決して主流の考え方ではなかったのです。
また雷撃ですが、日本海軍の航空魚雷は、新型航空機の速度に対応できていなかったのです(航空雷撃無用論もありました)
96中攻、97艦攻、1式陸攻、天山、どれも機体が配備された時、その最高速度で突進した時の雷撃は出来なかったのです(魚雷の改善も行われていましたが、飛行機の発展速度に追いつけなかったのです)
また大攻や大艇では速度問題と同時に、雷撃そのものに必要な運動性を確保するのが非常に困難であり、これも雷撃に対する依存と信頼性を低下させていました。
更に各種の対空火器の発達は近接を必須とする雷撃(しかも運動性不足で動きが鈍く、魚雷投下速度制限で遅い)の危険性の懸念へと繋がっています。
確かに第二次大戦の実戦においては、通常爆弾による急降下と最高速度で突進する雷撃の組み合わせが成立しましたし有効性を証明しましたが、これは、ほとんど泥縄だったのです。
戦前においては、急降下爆撃機は、可能性は感じられても、海のものとも山のものとも判断がつきかねるところが有り、雷撃は自殺強要とイコールであり、編隊精密水平爆撃という戦法は、実績も訓練も、また可能な機材も最も多数派であった、ある意味一番信頼できる攻撃手段でもあったのです。
SUDO
- >33
昭和15年の連合艦隊航空戦技で、
水平爆撃は9機編隊9個で合計2乃至3発の命中弾しかあげられず
「水平爆撃無用論」が再び起こったはずですが・・・(奥宮正武氏)
日本航空魚雷投下時の速度制限とはいつの話をされているんでしょう?
Kleist
- http://www.warbirds.nu/truth/seinou3.html
ここで昭和18年の「性能標準」を御覧あれ。
開戦後も雷撃よりも水平爆撃が優先されていることが明確にわかります。
性能標準は軍令部が航空本部、空技廠、横空の協力を得て作成する各種航空機の仕様書ですからここでの評価は海軍航空隊の総意と言えるものです。
航空魚雷の投下速度制限とは九一式が実用化された直後から問題となり、戦争末期まで高高度高速投下が航空魚雷の改善項目として残り続けています。魚雷の強度問題は当初から重大な問題ではあったのですが、総合的に見れば八九式艦攻の時代から最後の雷撃機「彩雲」まで、投下する攻撃機の性能が開発当初よりも格段に向上している為です。
BUN
- >34
航空雷撃無用論は昭和12〜13年がピークだと思いますよ。
昭和15年では91式改2が登場し、96中攻や97艦攻の全速雷撃に対応できました。
#35でBUNさんが述べられてるように91式魚雷の投下速度制限は、ずっと飛行機をおいかけてるんです。
91式は日本初の航空専用魚雷でして、航空機から安定、安心して投下できる空中雷道をもってましたが、当時の主力である89艦攻の最高速度での突進には対応できず、強度改善した改1が昭和5年辺りから生産されます。
ただし改1でも最大120kt、実用レベルでは80〜100kt程度に速度制限がかけられてます。
これは96中攻世代で問題になり、強度を更に改善し、細かい改正を行った改2に発展します。改2は細かい改造モデルもありますが、この速度制限に関して言うと昭和14年ぐらいから配備が始まったようです。
ですが、この改2も開発中の一式陸攻には耐えられませんでした(改2は224ktの96中攻を念頭に置いたもので250kt近い一式は想定外だったのです)
これを解消するべく、翌年から改3の開発と配備が始まることになります(努力目標で間に合ってない)この改3の配備では解決せず、天山の開発配備に伴ってまた出ちゃいます。改3は実機試験で試したところ、耐えられませんでした。大問題ですな、大慌てで改3改が作られます。次に戦況にともない生産性拡大の改設計が行われ強度も改3改の応急対応から、抜本的な対処をした改3強へと発展しますが、これでも流星や彩雲には対応できていません。最終的には改5ないし4式空雷2型といった改良型が300〜400kt級を目指して改良改善が進む事になります。
91式航空魚雷はこのように実に多くのモデルがあり、その殆どが、その時の実用作戦機の速度に後追いで対応したものであり、新型雷撃機はどれも、出現時には、その性能を発揮できなかったのです。
マレー沖で96中攻が91式改1、一式陸攻が改2を用いていますね、つまり、この時の陸攻隊は本来より旧式の魚雷を用いていたのです(爆弾が徹甲ではなく陸用だったように、配備が間に合ってなかったのですね)
SUDO
- SUDOさん、私が書いたのは
「水平爆撃無用論」であって
「航空魚雷無用論」ではありません。
それで91式魚雷改1の投下速度制限(最大射入速)により
マレー沖海戦で減速して投下した中攻があったのでしょうか?
Kleist
- 「戦闘機無用論」にせよ「雷撃無用論」にせよ「何々無用論」といった極論が急激に主流を占めた事など、海軍航空隊では一度も無いですよ。15年度の演習成績の良否といったものは大きな流れの中ではあまり重要な出来事ではありません。
BUN
- >37
>「水平爆撃無用論」であって
>「航空魚雷無用論」ではありません。
ええ、ですから、毎年のように「あれは駄目だ」とか「いけるんでは」といった話しは出ているという事です。
昭和13年には雷撃が駄目っぽいと言う話が出、もしかすると15年には水平爆撃は駄目かもと、色々出るものです。
そしてBUNさんが述べられたように、それとは別に筋の通った方向性というものも存在しました。
実際に、水平爆撃より急降下爆撃の方が当たってない日華事変の龍驤とかもあり「じゃあ如何すればいいんだよ」というのが本音だったんじゃないでしょうかね(笑)
またマレー沖で速度を殺したのかどうかは私は知りません。
91式改1の投下制限速度は高度80mで速度120ktであったこと。実戦では高度5〜10mで落とした事。
魚雷の空気抵抗を無視した場合、高度80の120ktでは、魚雷の着水速度は約72m/sです。
高度5〜10m前後で透過した場合、着水速度が72m/s前後になるには?投下航空機は145kt前後まで許容出来る事になります。
96中攻の最高速度は200〜220ktですが高度3000以上ですから、海面高度では180〜200ktが良いところで、魚雷は外部搭載ですから、それも加味すると、別段速度を殺さなくても、何とか許容範囲と考える事も出来ますね。
では、何故投下制限があるのかというと、投下高度が鍵だったのです。高度80m(後の改2以降は200m)での投下が要求されてました。200mで落とすと、落下速度だけでも62m/sにも達します。そして雷撃では、ある程度の高度から緩降下して降下加速しつつ突入となってました。よって200kt以上でしかもかなり高い高度から落とせる事が、将来に於ける必要な機能とされており、試験はそれを前提に行われてました。
96中攻の全速対応である改2は225ktの高度200が条件ですから、着水速度は130m/sに達したのです。そしてこの魚雷を用いた一式陸攻も高度5〜10mで雷撃してます。つまり許容速度は250ktぐらいになります。これは高度4000mで一式陸攻がクリーン状態でも出せない速度ですから、実用上許容範囲だったことは疑う余地は無いでしょう。
ただし、これらの雷撃は搭乗員の技量に多くを委ねるのみならず、編隊襲撃を困難にし、また襲撃速度にもマイナス(機体の安全性)でもありました。
日本軍の十八番のようになった超低空雷撃とは、航空本部や軍令部が望んでいた「あるべき姿」ではなく、猛烈な対空砲火と低い魚雷性能といった外的要因によって強いられてしまったものだったのです。軍令部では高度1,000mからの投下も要求していましたが、それに応えられる魚雷は最後まで登場しなかったのです。
SUDO
- >39
追加ね。
爆撃と雷撃は同じ機体を使いますので、どちらか有望と思われた側に注目が集まる傾向もあったんではなかろうかと想像します。
別の見方をするなら昭和13〜14年頃は水平爆撃の方がいけてるのではないかと思われていたんですね。
水雷史に記されてるところを抜粋要約すると、昭和14年に雷撃戦技中止の意見が各部隊から上がってきて、これに対して横空では、以下のように答えてます。
1:爆撃だけにしたら敵は対応が楽になる。
2:気象条件によっては高度が取れない。爆撃が難しい条件もある。
3:高高度水平爆撃は針路に乗ったら変更が難しい
4:水平爆撃は戦闘機や対空砲火に弱い
5:雷爆同時攻撃も必要
6:急降下爆撃は当たるけど、抜けないので致命傷にはならない
7:戦闘機対空砲火には低空突進の雷撃が有利(有利じゃないと実施部隊は思ってたんですがね)
8:雷撃の異方向異高度同時攻撃は対空砲火分散に有利
9:多数機による襲撃の場合、敵艦が魚雷を避けきるのは困難
10:水平爆撃・雷撃・急降下の三者同時は対空砲・戦闘機にも有利である。
まあ、言ってる事は簡単で普通ですが、つまり、その時の考えに流される事無く、色々なのを組み合わせてやっていこうよという話です。
面白いのは、大陸の実戦で水平爆撃で大きな被害を出した実戦部隊は「低空をノタノタと進んで、しかも1000mまで近づかないと駄目な雷撃なんぞ撃つ前に落とされちゃうよー」と言ってるのに、横空では「超低空とか多方向同時とかでなんとかすればいいしぃ、新型魚雷なら速度出せるぜー」と言ってるあたりですね(この年の戦技では従来以上の大規模で、新型改2を用いて非常に良い結果を出しました>でもたった24機なんですけどね)
このように、その時の流行みたいな話は結構出るんですが、それとは別に「今度はこういう方向で行こう」という話は、ちゃんと研究部隊で行われているという事です。
SUDO
- >36
>強度改善した改1が昭和5年辺りから生産されます。
91式魚雷改1が昭和5年から生産って・・・?
SUDOさん、91式って意味わかってますか?
Kleist
- >41
自分の無知、勘違いには目を瞑り、他人のあげあし取りのみをする。
ステキな脳みその構造だナー。
そしてそれを指摘する漏れもきっと同じ構造の脳みそだナー。
通りすがり
- >42
このスレッドで私はかなり書いてきたのに
「あげあげあしとりのみをする」とは
どういう意味なんでしょう?
Kleist
- >43
あれでもわかんないとはね…。知りたければメール寄越すよろし。
monamonamonamona657@hotmail.com
通りすがり
- >41
おお、失礼、ろくにチェックせず上げてしまいました。
そうですね、91式改1は昭和9年以降の製造で、製造中止は15年です。
ついでに記しておくと
91式改2は14年度戦技からの運用開始で、実施部隊に回るのは15年以降
改3は15ないし16年には配備されるよう要望が出ていましたが、十分に間に合っていなかったようです。
改3は前述したように戦前から配備要求が出てましたが、真珠湾に向かった艦隊に送られた、浅海面対応櫃を装着した新造魚雷が改2であったことからも、まだ製造の中心が改3に置き換わってないのが判ります(まあ在庫の問題もあったのでしょう)
SUDO
- >33
>また雷撃ですが、日本海軍の航空魚雷は、新型航空機の速度に対応できていなかったのです.
それでSUDOさん、
日本海軍は最大射入速260ノットの優秀な航空魚雷を持っていたので
天山や1式陸攻でも速度制限など気にする必要なく雷撃できたんですよ。
ですからこの議論の中で投下速度制限をもって、
雷撃より水平爆撃をよしとする貴公の論調は否定せざるをえません。
Kleist
- >46
着水260ktは速度条件だけです。
もう一つは高度と速度から来る着水角度がありまして、200〜300ktですと、推奨50m、最低で10〜20m以上の高度がないと水面で跳ねます。
つまり、一式陸攻が行った推定200kt、高度5〜10mでの雷撃は、許容範囲ですが、この高度で速度を上げると、確実に跳ねます。
そして天山で試験したところ改3は耐えられず、強化改善処置が施されました。
また先にも述べたように、日本軍の当初の「雷撃」は超低空で50m、普通では150〜250mを想定し、将来には500〜1000mを要望していました。
超低空雷撃は、想定外の、やむにやまれぬ雷撃だったのです。つまり、普通には雷撃できないから低空で落とそうとなっただけで、これは当初の91式で高度80m以内での投下制限があったのと本質的には変わりません。投下制限5mとか10mになっただけです。
日本軍の想定する本来の雷撃とは、降下・加速して敵艦に1000mまで一気に突っ込み投下するというかなり激しい運動であり、それが出来ないのは「制限」だったのです。
そして、低空での雷撃は強度をクリアできても跳ねる危険性を内包しており、これは当然ですが銀河・流星・彩雲では5〜10mでは強度以外の要素で落とせません(改2ですと天山でもやばいかも)
投下制限は最後まで飛行機を追いかけていました。これは紛れも無い事実です。
また、私は、上でも書いてますが、雷撃よりも水平爆撃をよしとはしていません。
単に、戦前の日本軍では、各種の戦法にはどれも一長一短があり、一種類に全てをかけることは出来なかったという事実を述べているだけです。
SUDO