1948 |
フリゲートの名前になっている Oliver Hazard Perry とはどんな人なのでしょうか?また Matthew Calbraith Perry 氏(浦賀に来たことで有名な人です)とは親族なのでしょうか? レギオン |
- 日本に来たペリーの実の兄です。アメリカでは兄の方が有名人です。
便利少尉
- 付け加えると、オリバー・ハザード・ペリーは、米英戦争(1812〜1815) で、20門ブリッグ「ローレンス」と「ナイアガラ」を主力とするエリー湖艦隊を造り上げ、バークレイを指揮官とする英艦隊を破りました(1813年9月10日)。
蛇足
私も便利少尉と同じように認識していたのですが、数年前アメリカ人(かなりのインテリの地方検事)と何かの調子でペリーの話になり、「マシュー・ペリーは、…まあ、エルダーブラザーのオリヴァ・ハザード・ペリー程有名ではないが…」といったら、「日本にいったアドミラル・マシュー・ペリーなら知ってるが、オリヴァ・ハザード・ペリーって誰だ?」と聞き返され、思わず「お前それでもアメリカ人か!」といっちゃいました。最近は日米関係のからみで弟の方も少し有名になっているようです(それにしても、オリバー・ハザード・ぺりーを知らないなんて…。きっとジョン・ポール・ジョーンズも知らないんだ。ブツブツ)。
カンタニャック
- ↑便利少尉さんを呼び捨てにしてしまいました。申し訳ありません。
カンタニャック
- >カンタニャックさん
少尉って階級が付いていますので、そのままでもいっこうにおかしくありません。お気にせずに。
そうですか。アメリカ人でも、O・H・の方は知らないで、M・C・だけ知っている人もいるのですね。
でもアメリカ海軍内の評価はやっぱりO・H・>M・C・だろうなあ。
弟が幕府に対してやたら強硬だったのは、兄の声望に対抗して外交で実績を挙げようとしていたため、
とかの説もありますね。
便利少尉
- ついでにすみません。「コモドー ペリー」って呼ばれるのは弟の方ですか?
それとも両方とも「コモドー」でよいのでしょうか?(病没後での昇進?)
GST
- >5
弟ペリーは1842年にCommodore に昇格し、死ぬまでCommodoreですね(汗)。そもそも弟ペリーが死ぬ後の1862年まで、アメリカ海軍にはAdmiralという地位がなかったとは…(大汗)。弟ペリーをAdmiralと呼ぶのは俗称に過ぎないわけですね。いかんなあ。反省。
http://www.wikipedia.org/wiki/Admiral
GSTさんの疑問は、エリー湖の戦いのあとにCaptainになったが死ぬまでCaptainだった兄ペリーが、アメリカではしばしば、Commodore Oliver Hazard Perry と呼ばれているのは何故かということですよね。
これは、複数の艦艇による臨時の小艦隊の指揮官という意味でのCommodore、と解釈すべきなのではないでしょうか。
参照 http://www.wikipedia.org/wiki/Commodore_rank
つまり兄ペリーは、米海軍のランクではCaptenペリーで、臨時の小艦隊司令官としての意味での、Commodore ペリー。一般向けの書籍やHPではしばしばCommodoreと呼ばれる。
弟ペリーは当時の米海軍の最高位者としての、公式のCommodore ペリー、そして一般向けの書籍やHPなどでは俗称としてAdmiralペリーと呼ばれることもある。
結局両方とも「Commodoreペリー」と呼ばれているのが実態ということでしょう。
カンタニャック
- >6 訂正9行目 Capten→Captain
カンタニャック
- カンタニャックさま。詳しくご解説いただき、ありがとうございました。
ず〜と不審に思っていたことが、おかげさまで氷解いたしました。
正規の階級が海軍中佐でなくても、C/Oやコマンダーなどと呼ばれるのと
似たようなものなんでしょうか。
GST
- おおっ、実兄でしたか。ありがとうございました。
レギオン
- 昔の米軍の場合、役職に合わせて階級が一時昇格する、という実例が結構存在します。南北戦争時の
カスター将軍は戦後中佐に戻されてますし、開戦時太平洋艦隊司令長官であったキンメル大将は
就任時に少将から大将扱いになってますが、解任後元の階級の少将に降格されています。なお、後任の
ニミッツ提督も太平洋艦隊司令長官への就任前は少将で、長官就任時に大将扱いとなり、その後制式に
大将に親補されています。
大塚好古