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1926 第二次世界大戦前ですが、ふと疑問に思ったので
お願いします。
昔の帆船時代の海戦で、接舷して切り込み!というのを
よく学校の資料集などで見ます。
これは、相手が「大砲をぶっ放してこない」という大前提で
やれる行為だと思うのですが、接舷してくるのを見たら
付き合ってやるというのが海の男の礼儀だったからなのでしょうか?
それとも、至近距離で撃つ事が危険だからなのでしょうか?
時代錯誤ですがお願いします。
Poket

  1. 素人考えですが,帆船の時代には船に動力が積んでいないため,水平射撃しか出来なかったのでは無いでしょうか。大砲も割合に小型でしょうから,あまり遠方には届かなかったと思います。さらに弾もライフリングされていないでしょうから命中精度も低かったものと思われます。かつ,弾は球形でしょうから水面に落下した後,すぐに沈んでしまい,直進して喫水下に命中することは殆どなかったと思います。ご存知のとおり喫水下に穴があかないと船はなかなか沈みませんから,大砲はそれほど効果的な兵器では無かったと考えます。
    また,攻撃側も相手船舶の拿捕が最大の目的であったと考えます。相手が軍艦ならば,自分の戦力が増加しますし,価値有る交易品を積載した船舶なら自分の利益になりますね。ですから,船舶はなるべく無傷の状態にしたかったのでは無いでしょうか。ナポレオン戦争の時代,英国海軍の軍艦よりフランス海軍の軍艦のほうが一般に高性能であったため,フランスの軍艦を拿捕した時は喜んだという話を聞いたことがあります。
    へたっぴ

  2. 大砲は、白兵戦に移る前の準備段階とでも言いましょうか。
    できるだけ多くの敵兵を殺傷し、あるいは戦意を喪失させて、
    接舷後の白兵戦を優位に進めるための砲撃です。
    これは当時の大砲が門数も少なく、船体が木造であったことも手伝って
    敵船を抹殺するだけの能力をまだ持っていなかったためでもありました。

    しかし大砲の性能向上や、大量の大砲を搭載できるだけの大型船の建造によって
    この海戦構造は終焉を向かえていきます。
    ガレオンの登場と戦列艦への発展は、海戦が砲戦主体に移行したことを明確に示しています。
    勝井

  3. >2
     勝井山調べてから書こうね。
     門数で言うなら戦列艦なら100門以上積んでるぞ。
     木造船体になら球実弾でも被害は大きいし、ぶどう弾等の特殊弾もあったし、その目的に策具を破壊するというのもあったぞ。
     砲撃だけで撃沈された例も多数存在するぞ。

     #1でへたっぴさんが述べられたように、交戦距離が比較的短かったのが全てです。
     そして、その短い距離では、多数搭載した大砲でも十分な打撃を与えにくかったのです。当時は帆船ですので、敵との距離を適切に保って殴り合いというのが中々難しく(並走してても風向き次第で位置関係が変わる)よって有効射程が短いという事は、射撃をする時間があまり取れないという事です。
     接近>有効射程は敵人員の目玉が見える距離>双方はあっという間に有効射程から外れてしまう>何度も繰り返すと被弾等で帆船ですからロープが切れたりとか嬉しくない事が起こる>勝てそうな側は一挙に勝利を決める為に接舷を狙う。
     とまあ、こういう感じで推移するのです。
     勿論、捕獲した場合には賞金が出るというのも大きかったです。撃沈したら賞金にはなりません。捕獲した艦はその艦に与えられる訳ではなく、回航の為に人員も取られますので、決してその艦の乗員には嬉しい訳ではないのですが、何しろ代わりに捕獲賞金が乗組員には支払われるのです。ですから高額査定になる優秀艦や高価な積荷を運んでいた船を捕獲すると大喜びでした。

    SUDO

  4. いや、調べてるけど。
    新紀元社「海の冒険者たち」が参考資料。

    後にジョン・ホーキンスの指導によってイギリス艦隊のガレオン船は
    より一層砲戦主体の艦隊に進化していくそうで。
    勝井

  5. >4

     それは接舷切り込みに比べて砲戦の比重が上がっただけの話。ナポレオン戦争当時の一般的な海戦に
    おける戦列艦の通常交戦距離は600yds以下、射撃間隔は180秒。これで砲戦主体の戦闘が出来ると思う?
    因みに英艦隊は当時としては画期的な斉射間隔90秒、加えて船体を狙う、という戦法を取ったことにより
    各所でフランス艦隊を撃破しているけど(他海軍の戦術は索具やマストを狙って足を止めるというもの)、
    更に言えばトラファルガー海戦で砲撃により戦闘で沈んだ艦が何隻あった?大半が捕獲の後、
    その後の台風による沈没だよ。
    大塚好古

  6. ネルソン提督が艦上で、「小銃」による狙撃で戦死したことからも当時の「砲戦距離」が想像できると思います。
    なんでもフランス艦の艦長は自艦の砲撃術力の低さを認識してたために最初から接舷切り込みを意図して多数の狙撃兵を配置していたとか(ネタ本は原書房の本だけど現在手元になし。)
    相手が「大砲をぶっ放してこない」という大前提ではなく「相手が大砲をぶっ放してくる」という大前提で接舷切り込みしてたみたいですね。
    結局、この時のフランス艦は切り込みにはいたらなかったみたいですけど。

    あと英軍においては第二次大戦中くらいまで分捕り船の賞金が将兵に出てた
    んじゃなかったのかな。
    この前TVでやってた「ホーンブロワー」でも「本艦から離れた場所で敵艦を拿捕したら、分遣隊だけで賞金が山分けできると知ってて敵艦を拿捕したのか。」とかホーンブロワー君が艦長から言われてました。
    SAW

  7. も一つ理由として、「木造帆船を作るのは手間がかかる以上に、資材不足で困難」でした。良質な木材が枯渇してしまうためです。そのため、拿捕した敵の船をそのまま自国艦隊に編入して使うことは珍しくありません。その意味でも分捕った方が沈めるより価値があるんです。
    沈めたら一隻の戦果ですが、拿捕だったら差し引き二隻の戦果になりますからね。
    tac

  8. 徹底して相手艦を撃沈しようとするか、どうか、により艦砲の使用方は変化すると思われます。
    ぎりぎりまで接近して片舷斉射、艦首・艦尾の速射砲による連打など、は合戦でよく見られます。相手艦も接近してきて凄惨な砲撃戰となるのは、本格的な戰艦同士の死闘で、どちらも妥協せず、沈むか、沈められるか、乗っ取られるか乗っ取るかとなります。これに海兵隊の小銃狙撃が雨あられと注がれ(小銃狙撃が有効な距離にまで彼我接近している、双方の艦の間の水上は破壊落下した構造物が大量にぶかぶか浮いている)、近距離なので船體・乗員ともに大損害を蒙ります。ことに檣楼を破壊され、兵員に大損害を出した方は、艦が動けないので決死の覚悟となり抵抗はかえって強まります。
    (運動戰を伴うと、なかなか決着がつかず、劣勢となった方が頃合を見て逃走に移り、長い追撃戰の後に勝敗はうやむやとなります。)
    その一連の過程のどこかで、接舷斬込が双方のうちから惹起されるケースが多く、大勢で自艦に乗り込まれると艦砲を撃っているどころではなく、あっという間に艦上を占拠され殺傷されるので、砲手も白兵をとって迎撃におおわらわとなります。斬込中に相手艦が発砲しても、次の装填を行っている間に、砲甲板に押し寄せたこちらの斬込隊員により砲員を殺傷されてしまい、次が撃てなくなります。
    指揮官は凄惨な砲撃戰の間も冷静に接舷斬込の戦機を窺っており、彼我の勢力比を計算しています。勝算のある時は躊躇せずに斬込を選びます。そのアテが外れて撃退・逆襲されることもあります。

    通商破壊を目的とした小艦による小戦闘では、乗員が捕獲償金を目当として奮戦します。砲撃は檣楼など艦上の構造物を破壊して威嚇するだけで、なるべく船體に損傷を与えず、積荷と共に拿捕する必要がありました。相手艦船が降伏せず抵抗する意図を顕にする場合は、接舷斬込をもって制圧しました。
    相手艦船が当方より重武装をしていて近づきがたい時は、策略を巡らせて当方の存在を慎重に隠蔽して、数隻のボートに斬込要員を満載し(小砲を舳先に積むこともあり)、長駆挺身、濃霧や夜陰にまぎれ相手艦に接近し、斬込急襲を行うこともありました。寝入りばなを襲われると相手も見えず艦砲を撃つどころではなく、舷側番兵が倒されると、あっという間に艦上を占拠され、あっけなく相手艦の乗員は捕虜となります。
    明らかに償金が得られるにもかかわらず、艦長が臆病で、可能な攻撃を行わず、ことに接舷斬込を避けて相手艦船の逃走を許した場合は、逆に命を懸けて奮戦した自艦の乗組員の不満をたかめ、持って行き方によっては叛乱を惹起し、艦長の職権と権威を認めないと云う事態になります。
    あるめ

  9. なるほど…。
    昔の大砲の力不足と拿捕という概念があったのですね!
    考え落としていました。
    皆さん、どうもありがとうございました!
    Poket

  10.  斬り込んで来るのを待ってやるどころか、敵艦の甲板に待機した斬り込み隊を艦砲で掃射して皆殺しにした例もあります。
     トラファルガーでフランス艦ルドゥタブルはそのような形で白兵戦力を失ったところを英艦テメレーアに逆に斬り込まれ、捕獲されています。
    大名死亡

  11.  接舷斬り込み戦といえば、日本最初の近代海戦といわれる(らしい)戊辰戦争の宮古湾海戦(1869年)も、榎本海軍の『回天』が新政府海軍の『甲鉄』に強行接舷しての斬り込み戦でしたね。
     江差で『開陽』を失った榎本海軍が『甲鉄』奪取と起死回生を狙って仕掛けたこの戦いでは、『回天』は米国旗を掲げて単独侵入し直前で日章旗に変更して『甲鉄』に攻撃をかけましたが、『回天』の上甲板は『甲鉄』より3mも高かったそうで、勇を鼓して飛び乗らんとした斬り込み隊は下で刺殺されるか銃弾を浴びせられる羽目に陥ったとのこと。結局戦闘は30分ほどで『回天』の負けとなり退却・・・
    ブラック・タロン

  12. 接舷後敵艦に乗り移るための器材の変遷、ローマがカルタゴとの戦いに使った、
    打ち降ろして鈎爪を敵艦に食い込ませる桟橋は、その後どうなったのでしょうか。
    りとるにも

  13. 補足。クレーンの様に持ち上げられ旋回する、打ち降ろしたときに敵艦に食い込み固定する鈎爪が付いた、桟橋です。
    りとるにも

  14. 明治初期の日本海軍兵学校のカリキュラムには、艦の衝角での体当りと、接舷斬込が科目として載っています。蒸気船時代にもブラックタロンさまの言及なされたごとく、帆船時代の戦術がちゃんと生きていて制式となっているのですね。(けれど日本刀を振りまわす獰猛な日本海軍には余り斬込されたくないです)
    あるめ


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