1922 |
海軍は毘式40mm機銃を使用しなくなり、機銃のすべてを25mmと13mmの口径にしています。通常20mmと40mmのクラスを併用するような気がしますが、水雷艇などの小型艦艇に対抗するのに不便はなかったのでしょうか。それとも日本海軍は機銃による水上目標への射撃を考えていなかったのでしょうか? 山手 |
- 毘式40mmは小艦艇の一部では浮上している潜水艦の内殻を打ち抜ける物として選ばれたものの、性能不足で高角砲に換えられたと丸の小艦艇の特集か写真集にでていました。本国でもポンポン砲は(海軍はわかりませんが)不満だったようで陸軍は少数採用しただけでボフォーズに変わっているそうです。ですから単に役に立たないと判断されたのでは?
(記憶モード+勝手な憶測です)
部外者の空耳モード
- 九六式25mmは毘式40mmに対し、初速、重量、射程などで優れており、特に初速が
高いことから対空用として大きく勝ります。
素人考えですが、雷撃を仕掛けてくる小艦艇を始末するには魚雷の射程外で撃破することが理想であり、それには40mmでも力不足のような気がします。
ライフルマニア
- 水雷艇へ対処するには、駆逐艦なら主砲、それ以上の艦では副砲・補助砲を用いますので機関銃は主用火力では有りません。
軽艦艇同士の殴り合いになって、この規模の機関銃が有用であると理解されるのは大戦中盤からです。
SUDO
- で、機関銃なんですが、他の国も12.7とか13.2とか沢山使ってました。
また戦前の欧州で用いていた37mm砲は「機関銃」ではありません。半自動砲みたいなものです。
つまり、毘式40mmを導入していない国の場合は、7.7mm級と後の13mm級がが事実上の対空機関銃だったのです。
よって、各国とも、こうした問題への対処として20mm程度の機関銃を導入します。つまり13mm級よりも強力な機関銃という事ですね。
日本の場合は、この時に旧式の毘式40mmも置き換えたかったので、強力な25mmを導入して大量配備します。
ところが戦争の現実は残酷で、更なる対空火力の強化が望まれ、40mm級の機関銃が新たに導入されました。日本の場合は25mmだったので、導入の必然性が弱かったのです(37とか40は重たいので多数装備できません)
つまり、日本は25と13のセットでは無く、事実上25に統一しており、日本が25に統一する頃、他国では13mmに統一していたのです(米国では28mmを開発して装備しようとしてましたが重たくて故障が多く、最終的には捨てられます)そして13mmの置き換えとして20mm、そしてそれだけでは不足だったので40mmが導入されるのです。
日本と他国では0.5世代ずれていたんです。
SUDO
- 魚雷の射程距離から敵舟艇を撃破するのはやはり40mmでもつらいんですね。ありがとうございます。
しかし、戦争末期の日本に40mm機銃があっても高性能な射撃装置がないと意味がないですね。調べれば調べるほど日本が勝てないことが分かってくる・・・。
山手