1908 |
1905で質問した者です。連続質問で申し訳ありません。菊水作戦に参加し撃沈された大和ですが、あれと同規模の航空攻撃でTBF/TBMによる魚雷と2000ポンド級の大型爆弾攻撃が全く無かったとして機銃掃射、ロケット、1000ポンド以下の爆弾のみの攻撃であった場合、沖縄へ到達し得たでしょうか?(歴史に「IF」は許されませんが) 楠本 |
- 航空攻撃を突破できたとして、後方のアメリカ戦艦部隊と交戦した場合は結果は歴然だと思いますので、「水上艦艇と交戦せず、大和VS戦闘機/急降下爆撃機」という図式でお願いします。
質問者
- 沈みはしなくとも満身創痍になり戦闘どころの状態ではなくなると思います。ガダル夜戦において囮役を果たした比叡が中小口径弾の滅多撃ちを食らい損失したことをお忘れなく。
ささき
- 質問および1.の条件で「沖縄に到達し得たか」というのであれば、結論として到達し得たのではないかと思います。
第3次ソロモン海戦で、比叡が巡洋艦や駆逐艦にメッタ撃ちされた件でも、主機関は沈没寸前まで生きており、推進力は失っていなかったのです。ただ、舵取機室に浸水して操舵不能となったため、海峡から脱出できず、雷撃機によりトドメを刺されました。
大和の場合、舵取機室にも相当の防御が施されていましたので、1000ポンド以下の爆弾であれば、操舵不能に陥る可能性は低いと思います。
その他、主機関、主砲塔、司令塔などのヴァイタルパートについても、1000ポンド以下の爆弾では致命的な損傷は受けないと思われますので、航行能力と主砲の砲撃
能力(ただし艦橋測距儀損傷、砲側照準の可能性高し)を保持したまま沖縄突入に成功した可能性は高いと推察します。
ただ、大火災発生および高角砲や機銃などはほぼ全滅、主砲以外の攻撃手段はほとんどない状態でしょうから、突入後に有効に戦い得たかどうかについては、疑問だと思います。
つね
- >3.
別に比叡はトドメを刺されてはいないのです。
護衛についていた僚艦までも危険に晒し続けることを案じ、
自沈の決断を下したのです。
この辺りの経過は光人社「写真 日本の軍艦 戦艦II」に書かれています。
勝井
- >4.
正確にはそうかもしれません。比叡の最後は、操舵が回復しないまま夜が明け、航空機による攻撃を受け始めたため、また西田艦長のもとに主機関運転不能の誤報が入ったためとも言われますが、そのため自沈の決断が下され、総員退去の上、キングス弁開放、乗員を移乗させた後航空攻撃を避けるため僚艦は一時退避、その後戻ったときには既に沈没していた、いうのが一般的に言われているところだと思います。
つね