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1865 日露戦争で捕獲されたロシア戦艦「レトウィザン」に関する質問です。

日本戦艦「肥前」となった同艦は、これより新しく捕獲後に大幅な改修を施した戦艦「石見」より10年も長く戦艦籍にとどまり、軍縮条約締結まで一等海防艦として艦籍にとどまっています。

これは従来型の戦艦を突き詰めた形のレトウィザンのほうが使いやすかったからなのでしょうか? それとも一等海防艦と戦艦の区別があいまいだっただけなのでしょうか?
A-140

  1. 補足。この場合の比較の対称にしている「石見」が、単純に使いにくい艦だったということかも、とは考えてみました。
    A-140

  2. 従来型を突詰めたといっても、アリョール(というかボロディノ級)もフランス式の従来設計を突詰めたものには違いありません。
    原型となったツェザレヴィッチにせよボロディノにせよ、ごくまっとうで正統派の「フランス戦艦」です。
    むしろ、ロシア戦艦時代のレトヴィザンはニクラウス(ニクローズ)缶の信頼性が悪く、機関に爆弾を抱えた艦であるとされ、また電動機を多用していたのが整備困難であるとされていました。

    一等海防艦と戦艦の区分の理由についてはよくわかりません。
    ただ、シベリア出兵の頃、いわゆる前ド級戦艦をかき集めて編成された第五戦隊には、戦艦も一等海防艦も一緒くたに詰め込まれていて、旗艦は当の一等海防艦「石見」が務めていますね。
    まなかじ

  3. 単に人手と予算が足りないんではとか書いて見る。
    SUDO

  4. 戦利艦で日本(イギリスと言ってもいいでしょうか)の規格からは外れたこの2隻はさぞ使いにくいと思っていましたが、その割りに扱いに違いがあることが気になっていたので、このように質問させていただきました。あるいは弩級時代になっているので、戦力的価値が低いという点で共通しているこの2艦の扱いは、日本海軍にとってどうでもいいことだったのかも知れませんね。

    ご回答、ありがとうございました。
    A-140


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