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WWII時のドイツ海軍軽巡洋艦、及び駆逐艦の遠外洋における活動が今一つ低調に感じられるのですが、これは意図的にそのような運用を行なわなかった節があるのか、それとも能力的な問題から行いたくても行なえかった事情でもあったのでしょうか? 烈風天駆 |
- すいません、上記文中に一部送り仮名に誤まっている箇所がありました。
烈風天駆
- ああ…上の書き込みにも変な部分がありますね。出直してきます。すいませんでした。
烈風天駆
- ハイ、能力的にできませんでした。
機関の信頼性がアレだったのと、船自体の耐航性がソレだったからです。
嵐が来そうになったら、帰投したり近くの港や湾に避退したりするのは当然のこととみなされていました。
某「U-571」の駆逐艦は、もう物凄い覚悟と気合で出撃してきたに違いありません(笑
まなかじ
- ドイツの軽巡洋艦は基本的に航続力が短いという欠点がありますので、あれに遠洋作戦を
行わせるのは如何なものかと。
大塚好古
- ↑追記:因みにどれくらい短いかというと、K級以降の艦の航続力は日本の白露型駆逐艦や、米のサムナー級
駆逐艦より短いです。(エムデンのみが陽炎型駆逐艦程度の航続力を持っています)。
K級は航続力延伸策として巡航ディーゼルを使うという手がありますが、子の場合最高速度は
10ktsにしかならず、おまけにタービン切替時に推進軸からディーゼルの結合を外し、その後に
推進軸をタービンと結合させる必要があるため、戦時において敵の脅威がある水域では使用出来ない、
と判定されています。
大塚好古
- ↑「子の場合」→「この場合」に訂正(汗)
大塚好古
- 半分、便乗質問になりますが。
WWII時のドイツ水上艦部隊は、深刻な燃料不足にあえいでおり、ティルピッツですら、独ソ戦開始以降、訓練用の燃料にも事欠き、出撃等論外だった(今、単身赴任中で、手持ち資料のほとんどを実家に置いてきているので、何に書いてあったか確認できません)と、雑誌記事で読んだ覚えがあります。これは、本当なのでしょうか。
もし、これが本当ならば、水上艦の能力だけではなく、燃料不足も遠洋作戦を行わなかった一因だと私は思います。
山家
- ↑ドイツ海軍の燃料ストックが危機的状況に陥ったのは1942年2月のことですが、この後アフリカへの
増援兵力投入のためイタリア海軍に燃料が引き渡されることとなり、また1942年4月には海軍への
割当て量がイタリア海軍に振り向けるためもあって一気に削減された結果、主力艦が所属する
北部方面艦隊は以後燃料制限の為、水上艦艇の出撃・配備・訓練が制限されることになります。
しかしこの時期はノルウェーに対する海軍の増強直後でもあり、効果が大きいと判定された
作戦に兵力を全力投入する事が不可能な訳ではありませんでした。また軽油はこの時点でも
不足していなかったため、その時期においては装甲艦の戦線投入が積極的に検討されています。
軽巡の場合、一時期ノルウェーの北極洋艦隊に派遣されてますが、投入されなかったのは
燃料不足もさることながら、その短い航続力が影響して、投入が躊躇された面は否定できません。
(30ktsで走ると1日チョイしか燃料持たんのです<ドイツ軽巡)。
大塚好古
- ↑×4
そうですか…。次のギアリング級で凌波性と速力の低下を忍んでもタンク増設した辺りA・M・サムナー級は相当苦しかったんだろうなぁとは思ってましたが、それにも及ばないんですね<K級以降の航続距離
蛇足になりますが、バレンツ海戦時ノルウェーに展開していたドイツ軽巡は存在するのでしょうか?
烈風天駆
- ↑ケルンが1942年9月10日以降アルテン・フィヨルドで待機しています。その後1943年1月6日に
総統がお怒りになった結果、キールに帰投しております。
大塚好古
- ↑大塚さん、早速ありがとうございます。
しかし、駆逐艦までドイツ海軍が繰り出したこの作戦について行けなかったとは、
ドイツ軽巡の行動能力の不足も深刻なレヴェルですね。
ある意味、駆逐艦の方がまだ(航続力の数字だけなら)マシな物だとも言えそうですね。
烈風天駆
- 大塚さま、どうも、ありがとうございました。
山家
- ↑10に追記。1942年12月にニュルンベルグがナルヴィクに派遣されとります。なお、「虹」作戦は
巡洋艦による作戦となっておりますが、これら軽巡二隻を投入する予定は最初から無かったようです。
(これらの軽巡が何のためにノルウェーに展開したのか今一つ不明…。一応装甲艦を支援するのが
目的だったらしいのですが…)。
大塚好古