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Warship.comをみてふと思ったんですが・・・・ 空襲下の重巡・利根の写真(至近弾が炸裂している瞬間)は、主砲が左舷側に旋回していますが、着底後(終戦後)の写真だと2番砲塔が正面を向いてますよね。しかも、仰角も掛かっていないようだし・・・・・。戦艦・日向も同じように1・2番砲塔が正面を向いていて、3番砲塔だけが右舷を向いてます。 これは、旋回状態の砲塔は、戦闘中に破壊、あるいは射撃不能で放棄され、正面を向いている砲塔は戦闘可能な状態で終戦を迎えたため、など何か理由があるのでしょうか? すごくくだらない、不謹慎な質問ですが、このあたりの理由についてご存じの方、お教えください。よろしくお願いします。 はつせ |
- それは、当時の砲術長(か、艦長)が御存命で、なおかつこのHPを見てくださるという幸運を、期待するほか、難しい質問では?
Lachesis
- 二重投稿しながら、忙しさにかまけてResもつけず、スミマセン。
上記の質問に至ったのは、
1.終戦直前の燃料事情を考えると、警備艦となっていた艦艇は陸上から動力(電力)の供給を受けていたのではないか?
2.だとすると、首尾線上に主砲が旋回しているのは何らかの意味があったのではないか?
3.また、旋回動作などが行われたのは、終戦時まで未だ艦が放棄されていなかったためではないのか?
と推測したからです。
もしかしたら何らかの文献があるかもしれませんが、なにぶん浅学者なもので深く調査しないまま本掲示版にスレッドを立ててしまいました。
はつせ