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日露戦争を中心に活動した戦艦富士、八島。通説ではコンパウンドアーマーを採用して舷側装甲が457mmという非常に厚いものになったとありますが、建造時期や竣工時期がハーヴェイ鋼採用のマジェスティック級9隻のそれに割り込むような感じです。実際のところはどちらの装甲が装着されていたのでしょうか? 烈風天駆 |
- いや、某所の会話でハーヴェイ鋼を採用したと聞き掠ったものでして…
詳しく聞かせてください。
烈風天駆
- 戦艦富士・八島は詳細設計決定後に英国側の意向も有ってハーヴェイ鋼の採用が決まりましたが、厚みを半減すると全重量と重心高さに変化を及ぼすため、従来(コンパウンドアーマー)のままの457mm(18in)厚としたとのことです。(海軍砲術史より)
志郎家の客人
- >詳細設計決定後
この時期についてなのですが、これは1894年の起工以前と考えてよいのでしょうか?
既にこの時期マジェスティック級が起工されつつある状況でコンパウンドアーマー仕様とは、この詳細の決定自体はマジェスティック級の設計よりかなり前で、建造着手だけが何らかの事情により遅れてしまった、ということなのでしょうか?
(まさか明治帝の勅命云々の話もこれにからんでいるのかな?
烈風天駆
- 戦艦富士・八島は明治26(1893)年度計画によって当時最新の英国戦艦ロイヤル・サブリン級(第1艦は1892年5月竣工)を範として英国で設計・建造されたものです。主砲はより新しいものになっていますが、船体・主機・装甲については共通点が多く見られます。
この間、英国自体は1段階進歩させたマジェスティック級の第1艦マグニフィセントを1893年12月にチャタム工廠で起工しています。竣工は1895(明治28)年12月です。日本では明治29(1896)年度計画によってこれに範を採った敷島を翌明治30(1897)年3月に起工しています。
このように当時の日本戦艦はその時点で完成している最新の英国戦艦に範を採って計画されていましたので、建造に当っては英国最新の装備と若干のタイムラグが生じていたようです。
志郎家の客人
- >4 建造に当っては英国最新の装備と若干のタイムラグが生じていたようです。
便乗となりますが、当初から三笠はクルップ鋼採用の予定だったのでしょうか?
上記の文章と起工時期から推察するに、三笠起工前の段階でクルップ鋼の採用を決めてしまうのは不自然ではありませんか?
私は三笠建造開始直後ぐらいに、その頃順次完成しつつあるキャノーパス級の結果からクルップ鋼採用となったように思うのですが。
>1
クルップ鋼になってさらにハーヴェイ鋼より厚みが減りましたが、このことによる重量問題などはなかったのでしょうか?
烈風天駆
- 三笠は朝日・初瀬と同様明治30(1897)年度計画によるものですが、起工は朝日が明治30年8月、初瀬が明治31(1898)年1月であるのに対し、三笠は明治32(1899)年1月と丸1年遅れており、この間の技術進歩を可能な限り採り入れることはむしろ当然かと存じます。建造がヴィッカーズ社であることより、同社からのオファーが有ったかもしれません。舷側装甲厚は229mm(9in)で前2艦と同一ですので、重量問題もさほど問題無かったものと考えられます。
志郎家の客人