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1741 BC戦に対応するため大和などの大型艦には、エアコンが装備されていたそうですが、駆逐艦などの小艦艇にも装備されていたのでしょうか、装備されていたとしたらいつ頃から付けられたのでしょうか、資料なども有りましたら合してお教えください、お願いします。
中村

  1.  大和級戦艦のエアコン(冷房装置)装備は、BC戦への対抗ではなく、単に居住環境改善のためだったと思うのですが・・・
     たしかに、大和の発令所などは気密区画となっており、いざとなれば外気を遮断できる構造だったようですが、だから冷房を設置する必要が生じた、というわけではなかったはずです。(発令所も冷房の実施区画にはなっていましたが)
     大和級のエアコンも、専用のエアコン装置を積んだわけではなく、主砲火薬庫を冷却するための冷却装置を利用し、火薬庫の冷却をしていない間だけ、冷房を実施したものですし、一部を除いて兵員室などは通常の通風装置のみで冷房は来ていませんでした。
     僕の知るかぎり、大和級以外の艦艇は、大型艦から小型艦までエアコンは装備されていおらず通風装置のみだった思います。そのせいで、快適な居住設備をもつ大和と武蔵はトラックで「大和ホテル」「武蔵屋旅館(武蔵御殿)」などと陰口を叩かれるハメになりましたが。

    ちなみに、先に述べた「気密区画」の件ですが、これは毒ガスに対する防御として、大和級では扉や窓などを完全に閉鎖すれば循環通風装置や酸素放出装置・炭酸ガス吸収装置などにより24時間以上気密を保つことが可能だったそうです。

    大和級のエアコンについては、学研の歴史群像太平洋戦史シリーズVol.11「大和型戦艦」という本の「艦内生活所設備」の項、毒ガス対策の気密区画については同シリーズVol.22「大和型戦艦2」の「戦艦大和の艦艇工学的解説」の項にそれぞれ記述があります。
    つね

  2. 少し書き忘れ・・・。大和級以外の艦艇の空調について、「大和型戦艦2」の「戦艦大和の艦艇工学的解説」の項に、下記の記述があります。
    「・・・戦前の艦は大型艦で暖房は蒸気、小型艦では石炭ストーブを用いていた。冷房装置はなく、通風は普通まの給気または排気通風機を使用する・・・」

    つね

  3. 松本喜太郎著「戦艦大和 その生涯の技術報告」再建社刊、昭和27年
    p131「通風装置の設計基本概念」から
    「本艦の活動海面を南洋及び日本近海と想定し、艦内暑熱を防止して居住性を良好にするとともに、防毒を考慮に入れて通風装置の戦闘管制を行い得る如くした。」
    p135「暖冷房装置」から
    「軍艦の内部は夏期は著しく高温多湿となり、これがため艦内でありながら補機部員から日射病患者の発生する事もままあり、兵員室の一部は蒸風呂の如くで、安眠も十分取れぬような状態のところもあった。大和では居住性の改善をいろいろと施行されたが、通風系統に冷房装置を大掛かりに取り入れた点は、理想の域まで実現し得なかったとはいえ、一つの大きな進歩であったと思う。装置はthermo-tankを冷暖房兼用としたものによった。即ち、給気の場合空気は本タンク内を通る時に、冷房の際は四台合計六○万キロカロリーの力量の火薬庫冷却機導かれて、本タンク内に入っている冷水管に接触するために冷やされ、同時に空気中の湿気も、この時つゆとなって除去されるから、温度は下がり、湿度も低下するのである。」
    「冷房の施行範囲は、当初は居住区に対しては全範囲に及ぼしたい意向であったが、六○キロカロリー(ママ)の力量の火薬庫冷却機が、火薬庫冷却に活動しておらぬときにこれを利用する方針とし、そのために特に冷却機を増設せぬ建前であったから、力量が不足であること、海軍部内に、冷房は兵員室用としてはぜいたくだとの強い反対意見もあったので、居住区に対しては、特に煙路によって加熱を受ける中甲板の中央部の兵員室と、士官居住区に限定することとなった。冷房は、居住区のほかに防毒循環通風を行う発令所、電信室等へも施された。」
    p136
    「発令所等循環通風区画は冷房により夏期温度概ね摂氏二七度程度に保ち得た。これは頗る成功で、他艦は三五度位であった。」


  4. つね様、藤様、早速の回答有難うございます。
    私が知りたかったのは、クーラー(冷房装置)の事ではなく、BC戦に対応した通風装置のことです、この名前が分からずに曖昧な言葉を使ってしまい、皆様にご迷惑をかけ申し訳ございませんでした。
    長門型がBC戦を考慮して建造されたと「軍艦長門の生涯」には書かれており、また、それに応じた訓練も行われたようです、なので小艦艇にも装備されていもおかしくないと思ったのですが、実際の所はどうなのでしょうか、ご存知の方はおられないでしょうか、よろしくお願いします。

    中村

  5. BC戦つうか
    火災なんかで発生する有毒ガスが念頭にあると思うんだが…
    勝井

  6. いんや、毒ガス下での行動を念頭に置いてますよ>我が艦艇。

    どうしても外気と接触する場合なんかだと防毒面つけてますが。
    tackow

  7.  中村さまの本来の質問、「小艦艇の通風装置はどんなものであったか?」に対する回答は残念ながら出せないのでいるのですが、毒ガスに対する考え方について、松本喜太郎氏は前掲書で次のように述べられていますので紹介します。
    「一体毒瓦斯攻撃が海上戦闘の場合、果して起こり得るであろうか、もしありとすれば、如何なる攻撃法なりやという点について研究された。その結論は、海上戦闘で機動性豊かな軍艦に対して海面上に気象条件にも左右され易い毒瓦斯を、有効な広さと厚さに作って敵艦を確実にこれの中に補足する事は、必要な薬品の量の著しく膨大となる点から見て、殆ど考慮の必要のない問題である。可能性の考えられるのは、毒瓦斯弾丸、もしくは爆弾攻撃の形による場合であろうということであった。(中略)しかし、戦技や訓練では、艦隊は毒瓦斯攻撃を受けた場合の研究や訓練を真剣にいろいろやってはいた。これは自ら毒瓦斯兵器を搭載せぬにしても、敵がこれをもって攻撃してきた場合には、これに対処せねばならぬという考え方に基づいた。」「戦艦大和 その生涯の技術報告」p126


  8. 弾薬庫の冷却といいますが、他の艦艇では冷却の必要はなかったのでしょうか?
    Yakisaba

  9. >8. ガダルカナル砲撃作戦において戦艦金剛の弾薬庫で熱射病による死者が一名出たという話を聞いたことがありますので、相当に過酷な環境だと思われます。ただ、大和以外の艦には冷却装置を積みたくとも余裕が無かったのではないでしょうか。
    ささき

  10. たびたび引用している学研の「大和型戦艦2」の中で、「・・・火薬庫冷房機は大型艦で炭酸ガスを冷媒とするルプラン式冷却機を使用していたが、「大和」のような大きな火薬庫ではルプラン式では冷房能力が不足で・・・(中略)・・・メチレンクロライドを冷媒とするターボ式冷却機が搭載された」とあるので、大和級以外の戦艦の火薬庫についても能力・性能は別として冷却装置は搭載されていたものと推察します。また、大和級に使用したターボ式冷却機は、試験的に「比叡」にも搭載されています。
    つね

  11. >8
    「扶桑」には積まれていたそうですよ
    弾薬庫冷却装置
    出展は何だったか・・・
    ななし

  12.  戦艦の主砲のような大口径砲の弾は、実際に標的めがけて飛んでいく「砲弾」の部分と、これを発射する為の「装薬」の部分に分けられている事は御存知のとおりです。そして、砲弾に詰められている「炸薬」は、湿気や気温の変化に対して鈍感であるのに対して、「装薬」の方は湿度温度の変化に非常に敏感なのだそうです。したがって、「砲弾」の方は「弾庫」に、「装薬」の方は「火薬庫」に格納し、「火薬庫」の方には冷却装置を設置するのだそうです。(「軍艦構造及艤裝」松本喜太郎、昭和二十八年、「昭和館」図書室蔵)
     同書によれば、「火薬庫」は温度摂氏7度から21度、湿度80パーセント以下に維持されるように冷却機の能力を設定するそうですが、設計時における条件としては気温38度の時、「弾庫」は38度、士官室や兵員居住区などは40度という環境において上記の条件をクリアできるようにするそうです。
     ではいったいいつごろから「火薬庫」の冷却が行われるようになったのかについては私も勉強不測で分らないのですが(申し訳ありません!m(__)m)、遅くとも明治末期に作られ、大正から昭和にかけて改装を繰り返した「金剛」以降の戦艦群にはみな装備していたものと考えられます。ですから、「扶桑」にも当然冷却装置はあったでしょうし、また「金剛」で熱射病患者が出たと言うのは、「弾庫」での出来事であっただろうと推測されます。
     そうであればもっと早くから火薬庫の冷却装置を利用した冷房が行われてしかるべきだったのではないかと実は私も思うのですが、艦内の配管の都合等技術的な問題はもちろん、どうも艦内を冷房するという発想そのものが日本を含めたかつての海軍に無かったのではないかと思われます。

     さて本題に戻って駆逐艦などの小艦艇に対する通風の問題ですが、やはり「昭和館」の図書室に納められている「造船設計便覧」の中に、「白露型駆逐艦ニテ防毒トスベキ区画」と題する昭和11年の文書があります。これを読みますと、「駆逐艦は防毒の意味より従来どおり下の諸室は気密とす」とあり、「諸室」とは「艦橋休憩室兼発射司令所、前後部電信室、無線電話室、海図格納所兼暗号室、操舵室、射撃指揮通信中継所、機械操縦室、罐操縦室」となっています。「従来どおり」とあるということは、「白露型」以前の駆逐艦、遅くとも「吹雪型」も毒瓦斯対策としての気密構造、つまり「軍艦長門の生涯」に登場した循環型の通気装置(冷房装置ではなく)が設置されていた事を示すものと推定されます。

     「推定」と「思われます」ばかりで申し訳ありません。更に詳しい方のフォローをいただければ、私も勉強になり有り難く思います。
     


  13. 皆様、いろいろと答えていただき有難うございました、大変勉強になりました、今後ともよろしくお願いします。
    中村


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